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第15話「取り交わされる言葉の先は」

◆ユウゼイ◆


 学院三部の課程は、大別すると実技、学科、課外の三つがある。

 技能教練は実技に分類されるもので、半症を抑え真衣の自覚顕在化をその目的としておこなわれる。医学的リハビリテーションと考え方は同じだ。

 そのため、真衣の安定的顕在化を可能とする等級C以上の罹患者(サフェル)にとっては、児戯に等しい。

 しかしそこには相応の意味が、正確には複数等級が教室(クラス)に混在するのには、相応の意味があった。


 学院では一定以上の適性保有者に、準指導官としての資格を与える制度がある。

 罹患者は消耗品だ。使えば使った分だけ、金とひき換えに数が減る。過剰な需要に対して、供給が追い付いているとは言いがたかった。

 優秀なサフェルのことごとくを企業に奪われる防疫局では、その傾向が顕著だ。

 喫緊(きっきん)の治安部ならいざ知らず、学院にまわされるサフェルの数は少ない。指導教官にいたっては、万年人手不足と言ってよかった。

 この制度はそうした指導教官の頭数を補うとともに、防疫局員候補生を育てるという役割もある。


 企業の需要の薄い草野では形骸化し、院生の身分で任官した監督官、執行官が務めるかたちとなっていたが。


 錬技室は内部で無駄に広々とした複数のブースに区切られている。

 分厚い抗侵蝕コンクリートに五面を囲まれた袋小路状の空間。まだらになった灰色は、積み重なった半症と修復の痕跡だ。

 サフェルは袋小路の最奥にある、教練儀と呼ばれる半径二メートルの球形の装置に身体を固定する。そして、その球体の内部空間で素材(サンプル)の真衣化と非真衣化、形状の操作をくり返すのである。


 早々に自身のノルマを終え、ユウゼイは早苗の監督をおこなっていた。とはいえ、早苗も今は安定域に落ち着いている。やれることはなかった。

 自然と意識にのぼるのは宮子と交わした先ほどのやり取り。


 ――わたしとひとつ取引をしてみない?

 そんな切り出しで口にしたのは、不可解と不信感が形をもったような条件だった。


 学院区域内における稲葉早苗の身の安全の保証。それがこの取引によりユウゼイに与えられる対価だ。

 対して求められるのはただひとつ。近藤和葉のそばにいること。それも、常にというわけではない。


 あまりにもユウゼイにとって都合のよすぎる内容。なんの打算もなくそんな条件を口にする女ではない。必ずや裏がある。しかしそれが見えなかった。

 蝕害兵士(マリオネット)のことが頭をよぎるが、あれは数をそろえてこそ意味がある。ひとりに(かかずら)うなんてこと、等級AAが戦場でやるお遊びにしてはいささか度が過ぎていた。


 侵されざる純潔(サンクチュアリ)が学院への潜入を果たしたのが一ヶ月前の十月頭。

 カーラが本格的に活動を開始した昨日までの、そのまるまる一月もの間、ふたりはここでなにをしていたのか。深まるのは疑念ばかり。

 それに、この女が素直に約束を守るとは信じがたい。


 だが同時にこうも考える。

 そのなにかしらの準備が整うまでは、取引は効力をもつのではないか、と。


 このような条件を出すあたり、サンクチュアリにとっても今はまだ、ユウゼイらに余計な行動を起こされると都合が悪いのであろう。

 今日明日という短期的な目線でもない。

 それは悔しいがユウゼイの戦闘力ではなく、その背後、久遠研究室の政治的手腕への警戒を思わせる。

 築いてきたものが実を結んだというのに、屈辱で血を吐きそうな最悪の気分だった。


 万全を期すのであれば、すべてを理灯に任せるべきなのであろう。しかしユウゼイは理灯の駒ではない。

 理灯の頭脳は頼りにしている。けれど、頼りにするのと頼るのとは別物だ。

 ユウゼイと理灯はあくまでも互いに利用し利用される間柄。そこには明確な線引きがなされている必要がある。


 そしてなにより、和葉の件はユウゼイと早苗、ふたりの問題だった。

 自分たちの事情をそこまで他人に委ねる気はない。


 宮子に時間を与えるのは不愉快だが、それはこちらも同等の時間を得ることでもある。

 感情に流され目的を見失うなど、愚劣極まるおこないだ。

 稜江という目下の敵がある今、情報ももたぬまま宮子と対立することに益はない。宮子がユウゼイを利用しようとするのであれば、ユウゼイはそれを逆手にとり宮子を利用するまでのこと。


 意を決したユウゼイは隣のブース、和葉を監督する宮子のもとへと足を向ける。

 宮子はユウゼイの決断を見越していたのだろう。ブースの入り口、こちら側との境の壁に、軽く背をあずけていた。

 その唇がユウゼイを見てにんまりと笑みを深める。


「あなたの大切な大切な妹ちゃんから、眼を離してしまっていいのかしら?」

「そう言うあんたこそ全然見ていないようだが、オトモダチは大丈夫なのかよ」


 重篤患者、それも身体変異の半症持ちである和葉にとって、技能教練は文字通り命がけだ。半症がいつ蝕害に発展するか分からない。


「心配ないわ。あの子のことはわたしが誰よりも分かっているもの」


 だと言うのに、宮子に和葉を気にかける様子はまったくない。


「あいつ自身よりも、ってか」

「そうよ。喜びも悲しみも、楽しみも苦しみもぜんぶ」

「あんたのそれは、人の心を力で支配して、それですべて理解した気になっているだけだろ」

「そう思うのなら試してみたら」


 挑むように距離を詰められる。もとから互いのかすかな声が届くだけの間だ。今やそれすらもなくなった。好きにしていいぞと、間近で見あげるその瞳が物語っている。

 得体の知れない余裕。己へのゆるぎない自信。


 気に食わない。


 殺してやりたいと思った。殺せると思った。けれどそんなものでは足りない。その余裕を、自信を突き崩してやりたかった。口惜しさに顔を歪めるその目の前で嗤ってやりたかった。

 だが、それを思った時点でユウゼイは悟ってしまった。自らの立場ではそれが出来ないことを。そして宮子がそれを見越して誘っているのだということを。


 わざとらしく大きくため息をこぼす。

 荒れ狂う海原と化していた感情が沈む。それを理性で冷静に判別し、口を開く。


「浅野宮子、いや侵されざる純潔(サンクチュアリ)。先の取引、俺は――」


 言葉の途中。猛烈な違和感に声が詰まる。

 ぴくりと肩を震わせたきり、宮子の笑みが凍っていた。挑発的に見あげていた瞳が逃げ場を探すように伏目がちにゆれている。頬にはうっすらと朱が散っていて。


 なんだこの生娘みたいな反応は。

 もちかけられた取引以上の驚愕がユウゼイに去来した。


「あの糞専務、やっぱり殺しておくんだったわ」


 ぽつりと怨嗟がもれる。


「おまえ」

「なに?」


 半眼で睨まれる。幼さが残る外見でありながら、迫力だけは永山に近いものがある。いや、永山も見た目はガキだったか。

 にやける口元は隠せそうもなかった。

 強情さも、恥じらいの裏返しであると思うとなおのこと。


「侵されざる純潔」

「っ!」


 治まり始めたその頬に再び紅がさす。ひき結ばれた唇に、心のうちが手にとるようだ。かすかに寄った眉根が完成度を高めている。

 壮観だった。あの高慢な等級AAがと思うともうたまらない。このまま飾って愛でてやりたいくらいだ。


「恥ずかしい奴だったんだな。専務とやらがつけたのか? まったくいい趣味してる」


 喉の奥でくつくつと笑う。周囲に気取られないようにするのは一苦労であった。

 浅はかだったと、正直思う。


「愛しのお兄様のこんな姿を見て、妹ちゃんはなんて思うのかしら」


 たったひと言で十分だった。真冬のシベリアもかくやという極寒の声音。


「わたし少しばかり興味があるの」


 未だ上気したままの頬。だがそれを笑う、なんて余裕も消し飛んでいた。


「ま、待て」

「ふふ、待って欲しいの?」


 宮子が踏みだしかけた足をひき戻す。悠然とした微笑み。対照的にユウゼイの笑みは引きつっていた。大急ぎで途切れた思考を組み立てる。


 その時、二つ隣のブースから声があがった。


「三番、数値に異常検出。パターンE」

「さっさと装置からひき剥がせ。不活剤は」

「注入してあるが効きが鈍い」


 教官の声はどこか事務的で、慣れ特有の手抜きが見てとれる。

 二言三言、院生の間で交わされる言葉。等級C以上の何人かはそちらへと視線を送っているかもしれない。


「今あいつにこのことを話されるのは、二重の意味で困る」


 すぐさま持ち直したユウゼイは宮子を見据え、そちらへは一顧だにしない。

 些事だった。気を配る価値すらない。


「あらそう。でもわたしは別に困らないわ」

「そうでもないさ」

「取引の件だが、おまえの要求を全面的に呑むことにした」


 カチリと。安全装置をはずす音が妙に大きく室内に響いた。

 立て続けに九発。耳を刺す銃声が木霊する。

 おさまりきらぬ反響のなかに、外衣型半症部位(患部)除去完了の声。院生たちの注意が完全に散っていく。


「だがこちらの条件を追加してもらいたい。あいつをおまえらの事情に巻き込むな」

「それではあなたにとって有利に過ぎるわね」


 不満の声ではない。

 退屈な提案。そんなふうを装っている。


「そこでもうひとつ。俺はおまえの識別名を金輪際口にしない」

「くだらないわ」


 そらした宮子の視線に、ユウゼイはにやりと唇を歪ませる。


「ああ実にくだらない。で、どうする」

「ふふ、いいわよ。その条件で呑んであげる」


 向けられる相変わらずの人を小ばかにしたような笑み。ユウゼイは不思議とその笑みに嫌味を感じてはいなかった。

 しかしこの時のユウゼイは、取り交わされた約定と今後の方策に意識をまわしていた。だから、それを違和感としてとらえることもまたできなかったのである。


 ふたりの脇を回収班の局員が四人、機材片手に三番ブースへと駆けて行った。



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