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第13話「悪魔の囁き」

◆ユウゼイ◆


「――さっき説明したように次は技能教練だ。場所はロホ三七錬技(れんぎ)室、時間に遅れるな。迷うことはないだろうが、近くの奴らは草野の連中を案内してやれ」


 以上、解散と、教官がミーティングを締める。

 一拍の静寂の後、湧きあがる喧噪。ルキアスを中心に人が動きだす。その流れに溶け込むように、自然な所作を心掛けユウゼイは席を立つ。


「とも――

「指名をいただいたんだもの、おもてなしをしてあげないと」


 脱出の機会が宮子の一言に遮られる。不覚にも足が止まった。

 早苗が視線でどうするのかと問いかけている。

 ユウゼイは早苗を宮子から引き離すべく、早々に教室を出る計画でいたのだ。早苗にもその旨はレスで伝えてある。

 まるで計ったようなタイミング。作戦で使うSRSを介してのレスだ。読まれるなどあり得ないとは思いつつも、冷や汗が垂れる。


「お気遣いどうも。だが案内は不要だ」


 口にしてふと気づく。当然のごとくあると想像した舐るような視線が――ない。

 宮子の瞳はユウゼイを映しておらず、和葉へと向けられていた。

 そして和葉はといえば、その眼差しから逃げるように視線をゆらしている。


 どうやら、先の言葉はユウゼイたちに向けられたものではなかったらしい。足を止めてしまった己の愚劣さに腹が煮える。

 立ち去るべきか。悩むユウゼイの視線が、ゆれる和葉のそれとぶつかった。

 和葉の瞳から迷いが消える。


「も、目的地は一緒なんですから、お話ししながら行きませんか!」


 なかを振りきるような力強い声。そしてそれは思わぬ伏兵の一撃となった。

 早苗がユウゼイの袖を掴む。


「……あれ?」


 なぜ自分がそうしたのか分からないといった様子だった。

 改めてどうするべきかとその瞳が訴えてくる。

 そして本当はどうしたいのかということも。

 

 言わんとしていることは分かっていた。早苗は肝心なことはいつも口にしない。

 最悪に最悪を塗り重ねた最低の事態。


 明るさにかき消された焦燥の薫り。それは一度でも嗅いだことのある者でなければ気付けないほどかすかで。それゆえに忘れられない。

 割りきっている自分はいい。だが早苗はどうだ。その隣にいるのがサンクチュアリだと伝えるか。そうすれば早苗は……。


 すべてを救うことは出来ないのだ。


 だが、断ち切れば早苗のなかで確実になにかが失われる。そうした弱さすべてを否定するのはたやすい。

 が、背負うのは自分の役目だとユウゼイは決めていた。


『二人が信頼できるとはかぎらない。そのことは忘れるなよ?』


 早苗は躊躇いを見せながらも小さく頷いた。


「そうだな。いい機会だ、俺もそいつに二三聞いておきたいことがあった」

「ではっ!」


 太陽が咲いたように思えた。

 宮子と和葉の関係は不明だが、恐らく和葉には宮子のほかに言葉を交わす相手もいないのだろう。


 電視野に表示したままの個人情報(プロフィール)。そのサフェル等級審査の結果へと眼をやる。

 真衣への干渉精度をしめす度数の値が三七・三しかなかった。

 明らかな重篤患者。発症限界値である二五・〇まではまだいくらかの余裕があるが、五〇・〇(安定域)に届くことはもうないだろう。

 度数は四〇・〇を切るとレッドゾーンと呼ばれる。減少こそすれ増加はしない。

 和葉は、いつ蝕変をひき起こしサーフェナイリスと化すかも分からぬ身なのだ。


 隣に表示された宮子の度数は八二・七。

 罹患者としてはかなり高い方だが、恐らく偽造だろう。先の衝突からして九九・〇〇を下回ることはありえない。

 ユウゼイ自身は九九・八三、早苗は六〇・七を数えていた。


「ああ。早苗(ともね)の話し相手になってやってくれないか」


 どこかやりきれない気分になるのは、ユウゼイもまた過去に引きずられている証拠だ。

 レッドゾーンなんて腐るほどいる。罹患者全体を見れば六割にもおよぶのだ。

 まして安定域にまで届くのは二割程度にすぎない。その二割にしたって、真衣の過運用による半症からの蝕変で大部分が命を落とす。


「和葉さんは非没入(デスクトップ)派ですか? それとも半没入(ハーフ)派ですか?」

「私はハーフですね。というか、ここのサフェルはほとんどがハーフだと思いますよ。技能教練の時間以外ずーっと繋ぎっぱなしです。そして余裕があれば完全没入(フルダイブ)

「やっぱり仮想ですよね」

「そうですね。あそこはサフェルにも行動制限ありませんし。ただ、私みたいにはっきり出ちゃうと意識されちゃうので基底現実(こちら)と変わりませんけど。反映率の低い非制限空間とかは電脳体の偽造ができるんで、私はもっぱらそっちですね」

「ふふふ、実は私そういうの得意なんですよ。例えば、っとそのまえに、連絡先(アドレス)を教えてもらうの忘れてました。これ、私のになります」


 錬技室へと歩き始めたふたりは、早くも前向きに後ろ向きな話題で盛りあがっている。

 仮想なんてしょせんはお遊びだ。とか言うと、反電脳主義者の妄言か支配者階級の嫌味にしか聞こえないが、ユウゼイにとっては基底現実のみが現実(リアル)だった。


 ユウゼイと宮子が少し距離をおいてそれに続く。

 当たり前のような顔をして、宮子は間合いの内側を歩いている。もう皮肉も出ない。袖内のナイフを確かめることだけは忘れていないが。


「自分でサフェルの命をさんざん奪っておいて、いまさらレッドに同情だなんて。そんなに自分をまともな人間だと思いたいの? それとも――」

「俺は。……そんな善意をもちあわせていないことくらい、自覚しているさ」


 遮るように言葉をはさんだ。

 そんなユウゼイの言動に宮子が薄く笑みを浮かべる。


「ええ、違うわよね。仕事だから殺すなんて言いわけしてみて。でも本当は自分のためなのよね。いえ、あの子のため、なのかしら」

「よく(さえず)る口だな。黙れよ。あんたに聞きたいのはそういうことじゃない」


 場慣れしていない人間であれば、それだけで腰をぬかす声色。久しくなりを潜めていた獣性が言葉の端々に滲む。

 それを環境音かなにかのように聞き流す宮子。まったく気に食わない。


「あの子に背負わせたくないから、自分のためなんていっているのかしら。それとも、あの子もまた言いわけなのかしら」


 宮子の言葉に、ユウゼイの中でなにかが振りきれた。意識が急速に冷める。


「つくづく嫌味な女だな。そう言うあんたは疎まれて後のないガキをたぶらかして。人が死に物狂いで足掻くさまを見るのは、さぞ気分がよろしいことなのだろうよ」

「ふふ、あなたも分かっているじゃない。必死にもがいて、でもどうにもならなくて、それでも諦めきれず無様にすがっちゃって。そういう姿ってたまらないでしょう」


 ユウゼイの変化に宮子が気づかなかったとも思えない。

 しかしそのことに言及してくることもなく。代わりに振ったユウゼイの言葉に、にたにたと嫌味たらしい笑みで応じるだけ。


「ひとつ、いいことを教えてあげる。あなたが一番気にしていることよ」


 覗き込むように顔を少し傾け、宮子は続ける。


「わたしは学院(ここ)にカーラとして来ているわけじゃないわ。ここでなにか特別なことをするつもりもない。問題を起こすなんてもってのほかよ。信じる信じないは、あなた次第だけれど」

「信じられないね。信じたくもない。カーラの等級AAが戦場のただなかで院生ごっこ? 悪い冗談だ。それにそんなガラには見えない」

「ずいぶんな言われよう。そんな邪険にされると傷つくわ。これでも年頃の女の子なのよ。わたし、なにかあなたの気に障るようなことをしたかしら」


 脅しをかけておいて白々しい。逐一反応を観察するふうなのも癇に障る。

 それにしても。他人を見下しているこの女が、他人から言われたことで傷つくことなどあるのだろうか。


「ところで、よかったのか。あんなことを肉声で」


 傷心の装いに気をとられながらも、口もとに嘲笑を刻むことには成功した。


「あら心配してくれるの?」

「巻き込まれるのはゴメンだ」

「あなたの飼い主は、あなたが思っている以上に優秀みたいよ。この棟は学院のなかでも特別複雑。大小様々な勢力が入り混じって、稜江ですら迂闊(うかつ)に手だしはできない。ぬけ駆けはゆるされないの。露見すれば秩序を乱したペナルティをもらうでしょうね」

「そんな情報を俺に与えて、それで信用されるとでも思っているのなら、あんたも存外浅い女だな。それにどうせ建前だ」


 口でそうきり捨てつつも、電視野上では情報の洗いなおしを始める。

 確かに腑に落ちる点は多いのだ。理灯がそれを知っていて伝えなかったのも、万に一つの可能性(イレギュラー)を排除するためと思えば納得がいく。


「あら、残念。そして時間切れかしら」


 会話の主導権を終始宮子に握られたまま、その真意を確かめるより先に錬技室へとたどり着いてしまった。

 この先で専用衣に着替えるのは草野と変わらない。


 錬技衣は制服と同じ、真衣親和性の低い抗侵蝕素材の生地で作られている。

 違いは三層式であることと、抗侵蝕中間衣同様に身体に密着する構造となっていることだろう。

 着替には相応の時間がかかる。その間、宮子を早苗のそばに置いておくことだけは避けたかった。


「来たければ、更衣室まで一緒に来てくれてもいいのよ?」


 挑発めいた言葉に、ユウゼイはわずかな引っかかりを感じる。

 宮子の洞察力は並大抵ではない。それはユウゼイとて認めざるを得ないことだ。常人が十から一得るところを、宮子は十以上のものを引きだすことができる。そしてなお悪いことに、得たものを効果的に使う術まで持ちあわせているのだ。

 そのことを、ここまでの会話で嫌というほど思い知らされた。

 だからこそ引っかかったのだ。果たしてこの局面で意味のない挑発をしてくるものかと。


「あんたには、もうしばらくここで俺との会話につきあってもらいたいんだがね」


 ユウゼイは直接切り込むことを選んだ。

 回り道をしたところで、結局は宮子の手のうち。ならば、と。


「ふたりきりで?」

「ああ。ふたりきりだ」

「智子ちゃんがなんて言うかしら」


 口では困ったふうを装っているが、否定の意思はうかがえない。

 本当は和葉ともひき離したかったのだが。欲をだしても得るものはあるまい。

 入り口でこちらをうかがう早苗に、ユウゼイはレスを送る。


『早苗。視覚と聴覚は結んでおけ』

『なんですか、兄さん。妹の着替えを覗き見て恥ずかしがるさまを視姦しようっていうんですか、鬼畜ですね』

『アホなこと言ってないでさっさと通せ』

『そんなに女性の裸に飢えていたんですか? ままままさか、視覚情報を保存して兄さんはあとでこっそり』

『……早苗』

『冗談です。分かってますよ、それくらい。でも、今日は兄さん宮子さんのことばっかり意識しているようだから、少し意地悪したくなっちゃったんです』

『今後の俺たちの関係が円滑に進むように教えておく。俺はこの女が理灯にも増して嫌いだ』

『……仕方ないですね。結んであげます。けど、えっと、私のことはあまりじろじろ見ないでくださいね?』


 最初に自分で言ったことでも思いだしたのか、耳がほんのり赤い。

 フィルターでもなんでも噛ませればいいだろうに。そう思ったが、言えばそれはそれで面倒事が増えるだけの気がして黙っておく。


 早苗と和葉が扉に消える。

 無駄に広い廊下には、ユウゼイと宮子のふたりだけ。ユウゼイが望んだ状況。そして恐らく、宮子の望んだ状況。

 そして、その答えは間もなく明らかとなる。


「ねえ、ユウゼイくん。わたしとひとつ取引をしてみない?」


 悪魔がそう囁いた。




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