第11話「こいつは俺のだ」
◆ユウゼイ◆
学院で自動化された設備は実に少ない。
罹患者とは不発弾だ。度々発作で破壊される設備に出す金など、この世の中には存在しない。重要なのはいかに安価で、たやすく修繕を可能とするか。
利便性の欠如は、外の人間から見れば家畜小屋にも劣るだろう。だがそれこそが学院の合理だった。
手動式の引き戸をくぐり、教官の指示に従って教室へと一歩。室内に視線をすべらせる。
電視野に起動しておいたツールが個々の顔を識別、都市データベースに居並ぶ三十九の照会をかける。
照会したデータから、事前情報との誤差を抽出。同時に、すでに判明しているこの教室内のカーラの本人確認をすませ、付箋をつける。
新しい環境に身を置くうえで、真っ先にすべきことはなにか。
安全の確認である。
驚異の有無はもちろんのこと。脅威が有るならばそれはどこに有り、どのようなものなのか。矛先はどこに向いている。対立している立場にあるものはいないのか。
そうしたもののいち早い理解こそ、有事の際に己が身を守る盾となるのだ。
ルキアスに続いて教卓のある壇上へとのぼりながら、各種情報をAIに洗わせる。
もし情報間に齟齬が見つかれば、それは情報を歪めたい何者かを示唆している。
確認のとれた罹患者は、予測される関係派閥を視覚情報にのせ、可視化していく。
同様の行程は早苗とルキアスもおこなっていた。
最終的にそれらをSRSで共有し、確度を高める手筈になっている。
壇上に立ったユウゼイら――というよりは、件の『短期交換プログラム』を教官が簡単に説明。そしてルキアスから順番に自己紹介が始まった。
回ってくるまでの時間を利用し、ユウゼイは情報に複雑化した視界で室内を見渡す。
データではなく、知識として有機的に結びつけるためだ。
――ぞくり、と。不意に悪寒が走った。
なんだ。なにを見つけた。
激しい動悸。喉の奥に耳があるかのような錯覚。
ここにあってはならないモノを見た。その感覚だけがはっきりとしている。
冷や汗が頬を伝う。口の中はカラカラで、喘ぐように喉が動く。
ユウゼイは再びゆっくりと視線をめぐらせる。
薄く弧を描く口元。既視感。
違う。自分は確かにそれを見ている。
視野が狭窄し他の何もかもが見えなくなる。
少女の眼が、やっと気づいてくれたのとでも言うように、笑みの形に細められた。
ゴーグルの奥に見た眼差しが重なる。
カーラの等級AA、侵されざる純潔!
少女の視線がほんのわずかか左――早苗に逸れ、戻る。
唇が動き、音もなく言葉をつむいだ。
『かわいい子ね』
ゆっくりと。まるでユウゼイに言い聞かせるように。
絶望がユウゼイを頭の先までひたした。
初めて少女に対面した時の窮地など、今に比べれば万倍マシ。
サンクチュアリは気づいているのだ。自分と早苗の関係に。
はったりではない。
そうであって欲しいという甘い希望をきり捨てる。
脅威を低く見積もって好転する事態などありはしない。それは妄想だ。ただの逃げだ。
今のユウゼイには、そんな逃避の時間すら惜しかった。
かつてない危機的状況をまえに、ユウゼイは打開の道を探す。
彼我の距離はおよそ十二メートル。サンクチュアリが瞬時に真衣干渉可能な五十メートルには、大きく満たない。
真衣の展開だけでいえば、ユウゼイは一歩先んじることができるだろう。
しかし、その次はどうか。
ユウゼイは早苗を抱え、三十八メートルの距離を稼がなければならない。
悪いことに、そこには『最低でも』という前置きまでついてくる。
「兄さん」
囁く声。
不意に袖が引かれ、混迷の渦にあった思考が引きもどされる。
早苗が人質にされているという現実が、ユウゼイを急き立てていた。
だからそれは、反射的な行動だった。
「えっ、……にい、さん?」
声が胸元から聞こえることに、ユウゼイは疑問を覚える。
視線を下げれば、少し頬を赤らめた早苗の顔。
ようやく周りの様子が見えてくる。
ユウゼイは早苗を抱き寄せていた。
教室中から突き刺さる視線。ルキアスまでもが、少し驚いたように眉をもちあげている。
サンクチュアリに気をとられ、自分が今どんな状況にあるのかも忘れていた。
――さてどうしたものか。
にたにたと嬲るような笑みを一瞥する。
早苗を腕のうちに抱え、最悪だった状況は最低程には改善された。
だが、サンクチュアリから逃げるという選択は、果たして正しいのだろうか。
愚行とひき換えに頭は冷えていた。
在るべき大局的な視点は、否と答えを出している。
「……初めに言っておくことがある」
なるようになれ。これ以上悪くなることなどありはしないと、ユウゼイは開き直る。
「こいつは俺のだ。手を出そうというなら、相応の覚悟をしておけよ」
サンクチュアリを牽制するように、しかし誰にともなく言いきる。
「に、先輩っ」
歓喜が混じった早苗の声に、教室が沸騰したような喧騒に包まれた。




