第10話「学院」
◆ユウゼイ◆
ガトウ社の一件は、八束に変革をもたらそうとしていた。
話題性としては、同時刻に発生した稜江襲撃に劣るだろう。
だが、意味においては同等か、勝るとさえ言われている。
稜江派は策におぼれ、防疫局派はすんでのところで息を吹き返すことに成功したのである。
そして翌朝。
学院の無駄に広い廊下を、ユウゼイは早苗と並んで歩いている。
侵蝕を前提とした、希少サーフェナイリス性同位体の素材元素を多分に含んだ白い壁材。取ってつけたような環境映像の識飾が、なんとも白々しい。
斜め三歩前を行くのは、ふたりと同じ久遠研究室所属の嘱託執行官、佐久間ルキアス。ここでの偽名は津田ルーク。なんとも安直だが、覚えやすくて助かる。
そろって身に着けているのは学院指定の制服。
袴を模したそれは、抗侵蝕素材の糸を編んで作られており、罹患者の突発的な半症に対する保険としての機能を備えていた。
ルキアスの明るい金髪の先に、指導教官の厳つい背中が見える。
ユウゼイたちは教官に従い、これから一月の間、日常として潜り込む教室へと向かっている最中なのだ。
ユウゼイたちはこの八束へと『学院間の教練相互評価のための生徒による短期交換プログラム』なるものを隠れ蓑にした、『治安部間の極秘増派計画』に則って入都を果たしていた。
このプログラムには、ほかにも多数の罹患者が動員されている。
本命の偽装効果を高めるためだ。
増派計画であるから、当然ほかの派閥も戦力を投入してきている。
だが、情報漏洩を警戒して相互の情報交換はなされていない。ユウゼイや早苗が偽装した身分で入都しているのも、同様の理由があるからこそ。
それゆえにと言うべきか。実際のプログラムをなぞることもまた、この増派計画の基本作戦行動として規定されているのであった。
『なあ先輩』
作戦行動でも使う秘匿性の高いSRSを介し、ルキアスに疑問を投げかけた。
『何かな?』
『もうすぐ二十一ですよね。三部のガキを装うのは、屈辱的だったりしないんですか?』
学院はその教育課程から五つの部にわかれている。
部の決定に用いられる要素は、主に『病の症状』『基礎学力』『入院からの年数』の三項目だ。しかしそれにより自動で振りわけられるのは、三部までであった。
四部や五部はそれらと少し趣を異にしている。
決定の基準に『年齢』を採用しているのだ。
三部までが教育をその基本とする一方で、四部より先は純粋に吾破病の治療を名目としていた。つけ加えるならば、四部と五部の違いは任意修学課程の有無である。
そしてルキアスは、同じ学院でも四部に属している。
『仕事と思えばどうということはないよ。それに、若い女の子たちと遊べる』
振り返った男の口もとには、にやり、とそんな表現の似合う笑み。
ルキアスは非常に整った顔立ちをしている。あまり人の顔に頓着しないユウゼイにすら、そう断言させるほどだ。
そんな完成されたおもてに不釣合いと思える表情は、しかしかえって人間味を感じさせ、好ましい印象を与えていた。
『そういうもんですか』
『そういうものなんだよ』
ユウゼイはルキアスのことを詳しく知らない。
同じ久遠研究室に所属しているが、こうして仕事をともにするのは初めてだった。
あまりに胡散臭い経歴から、ルキアスには警戒を念頭において接している。こうして珍しく他人を気にかけるのも、その人となりを探るという思惑が裏にはあった。だが不思議と悪感情は抱いていないのだ。
それらも人好きする容姿のなせる業、なのであろうか。
『相方はいいんですか』
『彩のことかな? あいつは……いや、あいつのことは今はよそう。気苦労をここまで引きずりたくはない』
ルキアスの覇気が急速に衰える。
三上彩。同じく久遠研究室所のメンバーの一人だ。仕事ではルキアスのパートナーとして動いているとあった。
年は十九歳。赤毛に翡翠色の目をした、大人しそうな人物だ。
ログから口が悪いことは知っていたが、ルキアスの様子からするになかなかの曲者らしい。
『あー、それで……情報収集の方は任せちまっていいんですかね?』
話をもどす。
収穫はあった。主に力関係的な部分で、だが。
『俺も早苗も身内以外と殆どつきあってこなかったんで、聞き込みとか戦力外と思ってください』
『それはなんというか、理灯先生から聞いている』
隣を歩く早苗をちらりと見れば、にへらと気の抜ける笑み。
これは同じ教室で過ごす一月を楽しみにしている顔だ。ユウゼイは自身の予測に絶対的な自信があった。
ユウゼイと早苗は同時期に入院した。させられた、と言うべきか。
司法取引のようなものだ。
ユウゼイは草野の秩序を保つため、防疫局に売られた身であった。
当初は自由もなく、資質による部分けに口をはさむことも出来なかった。
『ところで、君の妹ちゃんこそ大丈夫なのかい、三部は一年目だろう? 二年装っての三年編入なんてややこしそうなことして。僕らが二年を装う方が――』
『その点は心配無用です。こいつはしょっちゅう俺たちの学科に潜ってましたから。もとのデキも俺なんかより優秀ですし。それに先輩が二年って、ちょっと無理ありませんかね。三年でもギリギリでしょう』
『なに、君の隣に立っていればそうも見られないさ』
『視線で人を殺せそうだとか作り笑顔が夢にまで出てきそうだとか、兄さんの悪口は私がゆるしませんよっ。粛清です!』
それまで会話に加わらずにいた早苗が、唐突に割り込んできた。
電脳攻撃を思わせる尋常ではない情報量で、強調されたレス。
流れ弾にユウゼイは歩調を乱す。
『いや。落ち着きと妙な貫禄がある彼の隣にいれば、あとは会話で年齢的なものを誤魔化せると、僕はそう思っただけなんだけどね』
レスには苦笑の情報誤差が濃く見える。
『落ち着きと貫禄ですか。ふふ、それならゆるしてあげましょう』
妙に上から目線な早苗の言葉にも、気を悪くした様子はなかった。と言うよりも、その背からは愉快げに笑っている印象すら受ける。
ルキアスの人物評価を上書きしながら、声に出さずに溜息をこぼす。
『妹ちゃんはなかなかに過激だねえ』
『子育ては計画的に、甘やかすだけではダメらしいですよ』
個人に絞って送られてきたレスに、ユウゼイも絞ったレスを返す。
『……にしても、先輩がそれを言いますかね』
あんたも十分過激だよ、とは心のなか。
『ん、何のことだい?』
とぼけた風ではない。自覚がないのだろうか。
また溜息がもれそうになる。
資料を見るかぎり、こう見えてこの男、とんでもない戦闘狂なのだ。




