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第9話「稲葉早苗はひとり密かに策を練る」

◆早苗◆


 戦闘を終えた兄が指揮車(トレーラー)へともどってきた。

 車両後部で真衣を排脱、従来物質に還元し、用途別組成調整槽の三番、四番、八番へと流し込む。続いて抗侵蝕中間衣を除装。付属する記録装置(レコーダー)が専用の棚に置かれた。

 早苗はそれらを仮想空間(SRS)から、接続(リンク)した機器の数値変化(リターン)で確認する。


 ほどなくして、着替えを終えた兄が早苗のいる管制室へと入ってきた。

 座席型有線式端末(コンソール)の並ぶ、狭くて薄暗い室内。四つある端末はその三つが空席で、埋まっているのはただひとつ、早苗が使っているものだけ。


 兄は並ぶ端末には目もくれず、いつものように早苗の座る端末の足もと、定位置となったその場所に静かに腰をおろす。そして目をつむるのと前後して、草野の研究室を模したSRSに、兄の電脳体が表示された。

 兄の姿は基底現実(リアル)でのそれと、なにひとつ違わない。

 髪の一本一本、皺の数形、そして刻まれた傷跡にいたるまで、すべてが同じだ。


 通常、SRSではセルフイメージを偽装できない。

 少なくとも、SRSの基本特性のうえに組まれているこの空間では、電脳体は実体(リアルボディ)と変わらぬ意味をもっていた。

 早苗はその身体に真新しい傷がないことを確認し、張りつめていた精神をゆるめる。

 そして電脳体を維持したまま、こっそりと意識を肉体(リアルボディ)へと移した。


 早苗は端末から降りると、床に座る兄の手を握る。

 触れた指先を介して、無事に帰ってきてくれたのだという安堵が広がっていく。


 仮想現実と基底現実とを、感覚情報から区別することは不可能だと言っていい。

 基底現実(リアル)以上に快適な仮想現実(リアル)の謳い文句に誇張はない。既存の電脳空間ヴァーチャル・スペースと次元を異にする、現実の写し。

 そして、仮想にサーフェナイリスは存在しない。

 それは罹患者にとって福音に等しかった。現に多くの罹患者がそれを救いとしていることを、早苗は知っている。


 でもだからこそ、早苗は思わずにはいられないのだ。

 真衣の存在する基底現実が自分の在るべき場所なのだと。


  ◆◆◆


 兄がSRSに姿を現したことで、デブリーフィングが始まった。

 この場に電脳体で意識を投影しているのは早苗、兄、理灯の三人だけ。ほかにも五人が、半没入(ハーフ)で状況を追っている。


「死者行方不明者六百八十三人。それに加えて、公式には存在しないことになっているけど、ガトウ所有の罹患者が二百三十九人消息不明。サーフェナイリス関連設備が全損、保存されていた研究資料はその大部分が流出。これはまた素敵な結果になったわねえ。役員の首がいくつ飛ぶのかしらん」


 後頭部でくくった髪をゆらしながら、理灯(みちひ)がいたずらめいた笑みを浮かべる。

 外見年齢は二十前後。以前、年を尋ねたら凄く怒られたので、実年齢はそれよりも一回りはうえかもしれない。

 仮想だというのに、私服に白衣を崩さないアナクロなこだわり。

 それが妙にさまになっているのが理灯らしい。


 虚空に立ちあがる無数の(ウインドウ)。膨大な情報(データ)が理灯を中心に渦巻いている。

 特級(ウィザード)の早苗にも読みきれぬ、情報の濁流。その中から、理灯は次々と重要部分だけを抜きだし、可視化していく。

 そう、可視化。

 SRSにおいて、データは実存する。

 電脳空間特性――仮想を理想郷足らしめている、基底現実(リアル)とのもうひとつの相違点だった。


「理灯さん。結局、今回の兄さんの行動はどう扱われるんですか?」


 早苗の口にした扱いとは、言葉そのままの意味ではない。

 理灯がそれを交渉材料とし、どのような結果を得たのかという意味だ。


「相変わらず素直ね、サナちゃんは」

「別に、普通ですよ」

「そう? まあいいけど。で、今回の一件。ユウちゃんは分類(カテゴリ)Dを撃破していないし、侵されざる純潔(サンクチュアリ)の迎撃も八束防疫局派の部隊の撤退前に行われていた、ということになるわね」

「……えっと、どういうことでしょう?」


 理灯の話を要約すると以下のとおりだ。


 稜江派の提供する作戦情報には穴があり、仕方なく我々は独自の索敵をおこなった。その結果、稜江派部隊の後方に敵部隊を補足することとなる。安全確保のためには、それら部隊の排除が必要と判断し、撃滅へと向かう。

 捕捉した区域へとおもむいてみれば、そこではすでに八束防疫局派の部隊が、敵部隊との戦闘をくり広げていた。

 敵部隊は少数。しかし戦況は相手方が優勢。

 我々は与えられた情報から、この少数部隊によるガトウ社の施設破壊工作こそが敵の主目的と判断し、その戦闘に介入。八束防疫局派の部隊の奮闘により分類(カテゴリ)D二体を撃破、等級AAの殺害こそ失敗するも、撤退させることに成功した。


 という筋書きらしい。

 稜江派の情報隠蔽(いんぺい)を逆手に取ったかたちになる。


「ガトウ警備部隊の全滅はあたしたちの関与するところじゃないし、サーフェナイリス関連設備の破壊も、防疫局が部隊を突入させるころにはすでに終わっていたの。すべてはガトウが内々に事態を収拾させようとした自己責任、ということになるわねー」

「そして八束の防疫局派はそれ以上の被害のいっさいを食い止めた、か」


 よくできた茶番だと兄が(わら)う。

 早苗も少しやりすぎじゃないかと思う。反面、兄の立場が明確でないため、完全な虚偽と断じることもできない。


「稜江としても、本当は手持ちの部隊で乗りきるつもりだったんでしょうけど、別口でカーラの部隊に本社を襲撃されちゃ、そちらに戦力を集中するしかなかったんじゃないかしら。稜江の看板背負った部隊が、テロリストごときに遅れをとるわけにはいかないでしょう。政治的体面って重そうだし」


 ――手持ちの部隊で乗りきるつもりだった。

 嫌な引っかかりがあった。


 ――八束の防疫局派はそれ以上の被害のいっさいを食い止めた。

 被害の実態をかんがみるに、それ以上なんてものはありはしない。


「理灯さん、ひとついいですか?」

「はいサナちゃん、どうぞっ」

「さっき自己責任って言ってましたけど、それって、最初に話に出ていた罹患者が消息不明ってところにもかかるんでしょうか?」

「サナちゃんもしっかりと読めるようになってきたじゃない。お姉さん嬉しいわ」

「つまり。公的機関である防疫局は、公式に存在しないことになっている罹患者については、今後もいっさい関知しない。というスタンスでいくわけですね……」

「そうよー」


 理灯がにっと笑う。


「防疫局内の稜江派が何と言おうと、内外における八束防疫局派の功績はゆるがない。そしてこの件は防疫局の立ち位置を明確にし、防疫局の有する利権への外部からの圧力に対する口実にもなるの」


 ――うわー。


 正直、ちょっと引いた。兄が嗤うのもよくわかる。

 どう考えても吹っかけすぎだ。たとえそれが、防疫局というものの在り方においての正道であったとしても。


 特区に存在するすべての罹患者は、学院での治療と教育、審査を受ける必要がある。しかし現実は、企業が所有する非公開の罹患者に対し、防疫局は口をはさまないという暗黙の了解のもとにあった。

 そして今回防疫局がとった行動は、公式に管理されたもの以外に罹患者は存在しないと公言したに等しい。


 実態がどうであるかなんて関係ない。

 企業はそうと認識し、秩序はぬり替わる。ぬり替わった秩序はそれを維持しようとする者たちに支えられ、容易には覆らない。

 少なくとも、状況が稜江に覆すだけの余裕を与えないに違いない。

 でもそれは――。


「八束の防疫局に恩を売った結果だな。だがその利権に反発する派閥から突きあげを食らうのは、事態を今のかたちに誘導した俺たちということになるぞ」


 兄がふたたび危険な橋を渡らなければならないということ。


「そこは、カーラが早々に稜江を引きずり下ろしてくれることに期待するとしましょ」


 答える理灯は珍しく曖昧な物言いをした。

 そんなことで本当に大丈夫なのだろうか。早苗の不安は増すばかり。

 等級AAはサンクチュアリ以外にも潜入している。それらが行く手に立ちはだからないともかぎらない。


「今後の方針に変更はなしってことですか?」

「ええ。多少授業の方で調整があるかもしれないけど、そこはあたしに任せてちょうだい。それから、ユウちゃんはサナちゃんをしっかり守ってあげてね」

「あんたに言われるまでもない」


 ――そう、兄さんはどんなにぼろぼろになろうと私を守ってくれる。


 言いきれてしまう自分たちの関係に、早苗は消えてしまいたいほどの後悔を抱く。

 本当は自分が兄の支えになりたかった。

 けれど出会ってより七年、守られてばかり。

 足手まといは嫌だった。だから――。


 早苗は密かに情報ネットワーク(サガラ)へと意識をのばす。

 兄を害する、悪意の芽を摘むために。



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