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第0話「規格外 -イレギュラー- 」

◆倉田◆


 物理的、電子的にすべての光源を断たれた通路。真闇のただなかを、倉田は迷いなく駆ける。

 抗侵蝕性の打放しコンクリートで囲まれた灰色の通路は、ここ八束ではなによりも見慣れた景観だ。外の人間は陰気だとよく否定的な物言いをするが、倉田はこの色に安堵を覚える。


 もっとも、それはこんな状況でなければの話だ。


 部下のものを除けばあたりに動体反応はなく、人の温かみを欠いた灰色は、どこか寒々しい。

 倉田は両の眼に映らぬ眼前の光景を、電視野に投影される複合視覚として見ていた。


 軍用総合感覚器――面頬(フェイスガード)には、無数の観測器が内蔵されている。

 得られた情報はこめかみの接続端子を介し、脳内にある有機生体電脳に送られた。そして電脳にインストールされたソフトがデータを処理、疑似視覚情報として再構築するのである。

 こうして造り出されるのが複合視覚だ。

 照明下で得る視界の再現は、複合視覚の機能としては基本的なもののひとつであった。


 後方からは部下たちの足音がぴったりとついてくる。

 隠密よりも速度を重視した走法。

 床を伝わる振動は人にしては重く、パワードスーツにしては柔らかい。

 倉田には聞き慣れた、装衣(そうい)歩兵特有の響きだ。


 至近に迫った十字の交差路をまえに、倉田は急激に速度を落とし足を止める。

 わずかな誤差を残して続く足音もかき消えた。

 背中に感じるのは、面頬で覆われていてなお感じる緊張の息遣い。

 行く手から漂う異臭が精神を炙る。


 倉田は電脳経由で背面装備を操作、小型観測機――蟲の群れを飛ばす。

 同時に、そのデータを半没入(ハーフダイブ)状態にある仮想空間シミュレーテッド・リアリティ・スペースを通じて、部隊で共有。


 周囲に敵影はなかった。

 すでに戦闘は終了し、国際テロ組織シャマシャナ《カーラ》は撤退したと見るべきか。


 一瞬の黙考の後、倉田は後続の各分隊へ索敵を指示。部下の動きを仮想空間(SRS)上で確認しつつ、再び歩を進める。

 そして角を曲がり、複合視覚からのぞむ惨状に小さく息をのんだ。


「酷いな」


 濃密な鉄錆と汚物の入り混じった異臭に、倉田はたまらず嗅覚の感度を落とした。

 八メートル幅の通路に、百メートルに渡り折り重なるようにして転がる死体。ひとつやふたつではない。百以上、二百におよぼうかというかつて人間であったモノ。

 倍近い誤差は、それらがひとつとして五体満足ではないからだ。

 切断され散り散りになった肉の断面を、腫瘍や水疱がびっしりと覆っている。


 蟲を介して得られる映像とは、情報量の差で生々しさの次元が違った。


「文字通りの全滅ってやつですな」


 副官の声もいつになく乾いて聞こえる。


 倉田も防疫局の監察官としては長い。蝕害(しょくがい)の対応はもはや日常だ。

 そんな古参の域にある倉田ですら、これほどの現場に遭遇することはまれだった。なまじ人の形を保っているだけにたちが悪い。


 骸がガトウ・サーフェニクス社の警備部隊であることは、間違いなかった。

 奥に見える扉の死守を命じられていたのだろう。だが抵抗空しく扉は破壊され、収められていた罹患者たちも今やカーラの手の内。

 どれだけ一方的な戦闘が繰り広げられたのか。想像すらためらわれる。

 唇を舌で湿らせ、ひとつ大きく息を吸い、そしてつとめてゆっくりと言葉を口にする。


「生存者はいると思うか」

「残念ながら」


 分かりきった問答は鎮静剤だ。

 長年のつき合いになる分隊員を引き連れ、徒労と知りつつも死肉と鮮血の川へと踏み入る。


 扉の中も似たような有様だった。兵士よりも研究者の死体が多いという点が異なってはいたが。

 研究機材もすべて執拗なまでに破壊され、原型すら留めていない。


 倉田は、複合視覚の情報をSRS上で優先指定する。

 指定を確認した指揮所が、情報を優先的に分析、次の指示を送ってくる仕組みになっていた。

 本来、判断を仰ぐのであればその旨を添付するのが鉄則。

 しかし、倉田はあえてそれをしなかった。


 ガトウ・サーフェニクス社との連携は、とてもではないが満足とは言えない。

 提供された情報には、そこここに穴が目立つ。

 倉田の部隊がこの危険地帯に(めくら)で放り出されるはめになったのも、その穴が原因と言えよう。

 そして、自分たちがいいように使われている理由がそれだけではないことも、倉田はよく知っている。


『指揮所より白〇一。五三二小隊が敵本隊を捕捉、現在もこれを追尾中。五一三小隊はただちに現場へ急行、敵本隊の側面を突き、五三二小隊とこれを殲滅してください』


 間もなく発せられる指揮所からの命令(レス)

 目標変更の知らせとともに、敵本隊の座標がSRSに立体投影された空間図上へと表示される。

 罹患者を抱えているのだろう、飛び交う情報に執念を感じた。


『白〇一了解。これより『山下分隊敵影補足ッ! な、なんだコイツは……おいおい、オイオイオイオイ冗談じゃねえぞ! 火線を集中させろ、絶対に近づけ――』


 SRSを駆けた声無き叫び(レス)は、接続途絶の情報の乱れ(臭い)を残し断ち切られる。

 わずかに遅れるかたちで、声の主をあらわす空間図上の[白三八]の文字が緑から赤へ変化。

 意味するのは心肺停止――すなわち死亡。


「ちっ、残していやがったか」


 面頬の内側にもれた自身の声に、倉田は眉をひそめる。

 堰を切った銃声が、抗侵蝕コンクリートに被覆された通路に反響する。

 それは、訓練で耳にした精細さを欠いて聞こえた。


 空間図から次々と緑が消え、赤がその割合を増やしていく。


『白〇一より指揮所。至急山下分隊(白三)複合視覚()から敵情報の解析を要請』

『指揮所より白〇一。解析済みの範囲をSRSに表示します』


 倉田の無声通信(レス)に即座の返答(レス)

 部下に次々と指示を出しながら、倉田はその情報に焦点()を通す。


 展開された複数の仮想モニタ。そこには、熊に似た体躯を持ち、外骨格状の硬皮に覆われた二足歩行の異形が映し出されていた。

 いや、姿そのものが特異なわけではない。その形状は面頬の有無を除けば、装衣歩兵が身に纏う真衣(まな)の装甲に似通っている。

 異形と称されるのはその細部にあった。


 身体のいたるところで、ブクブクと生まれては弾ける水疱。

 裂けた皮膚を押し退けるようにこぼれ出す、内臓を思わせる器官。

 うごめく器官は出来損なった生物のように形を変えた。

 そして外皮に触れると溶け合い硬化し、新たな水疱の苗床となる。


 それは蝕害――サーフェナイリスと化した人間の真衣に見られる特徴に近い。

 だが何よりもおぞましいのは、人ならざるものと化しながら、そこだけ理性的な眼が見えるだけで八個、あたりを睥睨していることだ。


「糞っ垂れめ」


 ついて出た悪態。

 倉田だけが口にしたものではない。面頬を透かして、部下たちの渋面が見てとれる。

 上の点数稼ぎで殺されるのは御免だった。

 すくめた肩に、同意するように低く笑い声が続く。


「カーラの蝕害兵士(マリオネット)、か。こちとら噂だけで腹一杯だったんだがな」


 倉田は情報へと眼を向けながら悪づいた。

 そこには主力戦車の装甲に匹敵する大盾を掲げ、重機関銃の掃射のただなかを悠然と駆け抜けるマリオネットの姿。

 銃弾が度々頭部を破砕するが、その再生能力のまえには無意味に等しい。

 噂に聞く通り、変性部位()を破壊するしか止める方法はないだろう。


 吾破病罹患者(サフェル)基準で言えば等級AA(ダブル)に比肩する怪物。

 そんなものと遭遇したにもかかわらず、司令部は別働隊の捕捉した敵本隊への挟撃を撤回しようとはしなかった。


 精々上手く立ち回ってやるさ。

 倉田は胸のうちで呟くと、SRSを介し部下に命令を飛ばす。


『お客さんはカテゴリD一のサーフェナイリスだ。戦術パターンは対サフェルを継続して基本とする。五一三小隊は第四主道まで後退、機動戦車(白六、白七)と合流の後、敵人型サーフェナイリス[D〇一]を撃破し敵本隊の側面を突く!』


  ◆◆◆


谷川分隊(白六)敵影補足、数二。内一体はカテゴリD一と推測。もう一体は……』


 合流場所まで残り五十メートルという地点。

 通信が、優先指定された視覚情報とともにSRSに流れた。


 幅二十メートル、高さ五メートルの主道。

 D〇一と酷似した巨躯の傍らを、身体年齢にして十五、六と思しき少女が軽快な足取りで歩いていた。


 目元から額を覆う無骨なゴーグル状の電装(サイバーウェア)がなければ。

 あるいはここが戦場でなければ。

 いや、傍らにD〇二さえいなければ。

 それはショッピングでも楽しむ、年頃の娘に見えたことだろう。


 それほどまでに少女は自然体だった。

 そう――。

 日頃からサーフェナイリス化した罹患者を狩ることに慣れた、防疫局執行官の心中に疑念を抱かせるほどに。


 少女はその懐疑に、小首をかしげ口もとに弧を描くことで返した。

 その笑みは、執行官の心に生じたわずかな隙間から入り込む。そして、言い知れぬ恐怖で心をかき乱した。


 前衛が抜き身のサーフェナイリス性銀同位体ロ五《ミスリル》刀を構え腰を落とし、後衛が重機関銃の引き金を絞る。

 重々しく響く大口径の三重奏。単発で人の胴体を両断する一二・七mm徹甲弾の驟雨(しゅうう)

 死をもたらす颶風(ぐふう)は、しかし床面から吹き上がった抗侵蝕コンクリートの壁に飲み込まれた。


 阻まれたのではない。

 まるで液体。水面のごとくそのおもてにわずかな波紋を残し、抗侵蝕コンクリートであったその柱は、掃射されたすべての弾丸を取り込んで見せた。


 驚愕とそれに勝る恐怖が、後衛のリロードの隙を埋める前衛三人の突撃として現れる。

 日頃の鍛錬が、兵士を兵士として動かしていた。

 サイボーグ(義体)すら凌駕する高速の踏み込みは、等級Aのサフェルの証。瞬時に少女を自身の間合いにおさめる。

 刀を握る腕、その外殻を構成する真衣の擬似筋組織が刹那の爆発に軋み――。


 抗侵蝕コンクリート(墨色に染まった柱)が弾けた。


 視覚情報が断絶(ブラックアウト)

 寸前、かつてコンクリートであった真衣雨滴の奥に、にんまりと、(なぶ)るような少女の笑みが見えた。


 SRSに真衣侵蝕をしめす警告が鳴り響く。

 少女と交戦状態にあった分隊(白六)をあらわす文字群が、緑から黄へと転じていた。

 各員の状態へと視線を移せば、真衣の抗侵触中間材(インナー)第三層浸透を意味する後退警告の点滅。等級の低い後衛は、すでに第四層にまで侵蝕がおよんでいる。


 一瞬、倉田の思考が飛んだ。

 等級Aの執行官(サフェル)が、たかだか飛沫真衣の干渉で真衣外殻を突破される現実というものを、倉田の積み重ねた経験が受け入れることを拒んだのだ。


『指揮所より白〇一。対象をカーラ所属等級AA、識別コード「侵されざる純潔(サンクチュアリ)」と断定。五一三小隊の最優先目標を敵本隊の挟撃から、サンクチュアリの撃破に変更。なお白六各員は緊急措置条項にもとづき、こちらで変性部位の破壊を実行……健闘を、祈ります』


 倉田の意識を現実へと引き戻したのは、指揮所から発せられた無慈悲な命令だった。

 内容に反比例する悲痛なオペレーターの情報誤差(声色)。ログに残る以上問題視されるだろうに、健闘まで祈られてしまった。


 視線を空間図上にめぐらせる。


 白六の表記はすべて黄から赤へと切り替わっていた。機動戦車もすでに一両お釈迦だ。

 四〇mm連装機関砲ばかりか、七五mm滑腔砲まで使用されている。が、白七が交戦状態に突入したところを見ると効果はなかったのだろう。


 背筋が震える。

 玉砕覚悟で応援に向かうか、そんな思考に苦笑がこぼれた。

 自分たちはD〇一すら撃退できずにいるのだ。


 前衛がD〇一と死闘を繰り広げる通路を見やる。


『十分な観測にはほど遠いが、盾の運びから見て変性部位は右肺の下部だ。俺が奴の盾を引きつける。誤射を気にせず撃て』


 ミスリル刀を引き抜き真衣の結合を高める。

 最後の前衛が、装甲車との衝突を思わせる勢いで弾き飛ばされた。

 危険域だが息はある。それだけをSRSで確認し、倉田は後衛へと接近するD〇一の予測進路に走る。


 掲げられた装甲板に形成される衝角。D〇一の十一の眼が倉田を見据え、応じるように進路をわずかに正した。

 十メートル。五メートル。三メートル、一メートル。D〇一の身体が沈む。


『斉射!』


 号令とともに倉田は急制動。

 足裏に形成した真衣のスパイクをコンクリートに突き立て、進行方向を強引にねじ曲げる。

 かすめた衝角に真衣がごっそりと引き千切られ、頭蓋の内に走る痛み。続く眩暈にも似た吐き気を、奥歯を噛んで耐える。

 挙動に合わせ装甲を傾けようと動くD〇一に、側方から襲いかかる一二・七mm弾。

 が、これは布石に過ぎない。


 真衣を剥ぎ取られながらも装甲の影に身を隠すD〇一へと、倉田は再度無理な体勢からの方向転換。

 制御を離れた真衣が暴走し、抗侵触中間材を食い荒らす。

 第三層到達――電脳に流れるアラートを無視。飛来する弾丸に構わずD〇一に肩から衝突する。


 身体の影から突き上げた刃は、D〇一の真衣外殻を削いだだけ。

 落胆はない。

 もとから期待はしていなかったのだ。


 速度にも質量にもとぼしい当身。しかし重心位置をずらされたD〇一は歩調を乱した。

 待ち望んだ好機の訪れだ。

 D〇一の身体が迎撃体勢に移るより早く、倉田は再び開いた距離を刹那に詰め、右腕を振り抜く。

 強固な自己同一性を有するミスリルの切っ先は、D〇一の装甲に癒着した左腕の真衣に食い込み、その真衣干渉を嘲笑い走り抜ける。


 装甲板が抗侵蝕コンクリートの床面を打つ重低音。


 面頬の内側で倉田の口角があがる。

 だが、直後右肩を襲った激痛に倉田は自身の不覚を悟った。

 咄嗟に床を蹴り飛びずさろうとするが、D〇一の左腕がその首をとらえる。

 身体が泳ぎ視界が右に流れた。


 息苦しいが窒息するほどではない。

 殺害の意思を持たない行為。現象に過ぎないサーフェナイリスの持たぬ知性。忌々しいカーラのサーフェナイリス・トルーパー。


 ――盾にされたか。

 倉田は即座に自身の置かれた状況を把握した。そして次に訪れるであろう結末を浮かべ、複合視覚()を落とす。


「自己犠牲とは、またくだらない死に方だな」


 至近で聞こえた声にぎょっとする。

 慌てて複合視覚()を開けば、視界に飛び込むD〇一。

 声の出所は眼前の怪物かと思ったのも束の間のこと。その身体に穿たれた十一の眼孔、見開かれたその視線が、声の主の所在を如実に物語っていた。


「死にたければ止めないのが俺の流儀だが……」


 若い声だ。

 少し、いやかなりすれてはいるが、明らかに十代。


「今回はあんたが生きていた方が後始末が楽そうなんでね。勝手をさせてもらう」


 軍用総合感覚器はその姿をとらえていた。

 面頬の見当たらない、知覚器官の一切を排した真衣の完全外殻。

 細身の体躯に異様に長い腕部。そこには人には無い関節が追加でひとつ。

 背後では、尾状器官が揺れている。


 あまりに人の型を逸脱した造形。

 それは、倉田にD〇一以上に異界生物じみた印象を与えた。

 サンクチュアリに近しい、規格外(イレギュラー)の罹患者。


 接近にすら気づけなかった。

 その事実に驚愕よりも呆れを覚える。


「ったくいい加減なことを言いやがって。これのどこが休暇だってんだ」


 声の主は一方的に言葉を続ける。

 場にそぐわぬ悪態に、D〇一すら困惑を滲ませていた。


 そして――。


 無造作に振るわれた直刀が、D〇一を両断した。




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