利き腕の話
もうすぐ三十歳という時期でした。世の中の風潮が利き腕は両利きでなければとなったのは。原因は明らかに異星人の来訪により、宇宙標準が両利きであり、これからの時代は両利きでなければ時代に取り残されるというような強迫観念のようなものが漂ったことでした。両利き用の機械の数々が輸入されたのも、その傾向を後押ししました。
私は右利きとして生まれ、右利きとして育ちました。と言うとごくごく平凡ですが、少し変わっていた点は、左利きとして生まれ右利きとして育てられた母を持ったということでした。ちょっとしたことなのですが、雑巾の絞り方が逆だと怒られて、実は珍しい方向で雑巾を絞っているのは母の方だったり、蝶々結びの結び方が母は反対方向だったので、教えてもらっても私は上手く結べなかったりと、所々で母の左利きっぽさが現れました。
弟も左利きとして生まれ右利きとして育てられたので、母が子供の頃と同じように、どもり、つまり吃音という形でストレスが現れ子供時代は苦労しました。
しかし、これからの時代は左利きとして生まれ右利きとして育てられた人は両利きとなるのにとても有利となりました。しばらくの間は、こうした人々に脚光が当たりました。
やがて、生まれた時から両利きに育てようとする時代が来たのですが、地球人には難しいことがわかりました。両利きにするには胎児の段階から調整する必要があったのです。
異星から受精卵から育てることが出来る保育器を輸入することになると、生まれながらに両利きの子供たちが育つようになりました。生まれながらに両利きの子供たちは利き腕だけでなく、地球人らしさの薄い人間として育ちました。
地球主義過激派の激しい抵抗運動があったりしたのですが、やがて地球主義者は地球の伝統文化を継承する、小さな観光立国を建国しました。
その国は両利きでない私のような者には住みやすそうなので、移住しようと思います。
観光だけでなく、しばらくは保守的な老人たちの保養地になりそうですが、それは時代の流れの中での一過性のものとなるかもしれません。




