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カニカマ

 彼女には夢があった。とても美しい夢、自分の理想の喫茶店を開業することだった。内装も食器も音楽もセンス良く癒される空間で至福のひとときを過ごすことが出来る。そんな喫茶店。

 しかし、理想が高すぎて開業資金には一千万円くらいは用意する必要がありそうだった。彼女の両親は「勝手にすれば」というスタンスだった。彼女は高校を卒業すると都会に出てワンルームの狭いアパートを借りて昼間はオシャレな喫茶店で働いて、夜はネットカフェでバイトしながらお金を貯めた。生活は出来る限り切り詰めて、パン屋さんから貰ったパンの耳が主食で食費を一カ月三千円以内で抑えることに成功した月もある。夢に向かっている彼女にはそんな生活を我慢することも可能だった。勤めている喫茶店は昼食付きで助かっていることもあるけど・・・。


 ある時、実家に帰省してみると猫を飼い始めていた。その猫の好物はカニカマで猫を溺愛する両親は、猫にねだられるままに一度にカニカマを三パックくらいあげることもあった。

 彼女に留守番を任せて両親が外出した時、テーブルの上にはカニカマの包み紙が散らかっていた。彼女はそのゴミを片付けようとカニカマの包み紙を掴むと、その音にカニカマ好きの猫は敏感に反応して近づいて来た。あんなに沢山カニカマを貰ったのにこの猫はさらに食べたそうにしている。彼女は節約のために一パック十本入りのカニカマを一週間くらいかけて大事に少しずつ食べているというのに! それを思うとなんだか情けなくなって自然と涙が零れそうになった。でも彼女は夢のために頑張っているのだからこんなことに負けてはダメだと自分を励ました。


 彼女が都会に出て五年経ち貯金も五百万円くらい貯まった頃からだった。彼女の頭に人の話し合うような声が聞こえるようになったのは。その声達は執拗に彼女が自分の店を持つなんて生意気だから自殺に追い込んでやろうと相談していた。その声達は日ごとに執拗さを増していく、初めは気のせいだと思っていた彼女もだんだんとその声達が幻聴ではなくて現実のことのように思えてくる。そしてある夜、彼女の近所の人達だという声が彼女を生きたまま焼き殺す相談を初めてだんだんと彼女のアパートに近づいて来る気配を感じて彼女は怖くなって寝間着のまま靴も履かないでアパートを飛び出し、工事現場に入り込んで隠れて震えていた。

 そして、朝、工事の仕事の人が来た時「助けて! 助けて!」と叫んだり、わけのわからないことをわめいていたので精神病院に搬送され、そのまま入院することになった。


 三年入院して、身体に合う薬が見つかり、無理をしなければ日常生活が送れるくらいに回復し、退院して実家に帰ったが、彼女の貯金は底をついていたし、仕事を出来るような状態でもなかった。

 実家は裕福ではなかったけど、彼女が一緒に暮らすくらい大丈夫だと言ってくれた。

 実家の猫はいつの間にか五匹に増えていた。彼女は猫が嫌いなわけではなかったが、動物として彼女は弱過ぎた。例えば昔、実家で犬を飼っていた時、犬に主人とは認められず、犬は彼女のことを自分より、序列が低いと思い平気で噛みつき彼女の言うことは聞かなかった。その点、猫は犬と違って彼女をあからさまに見下したりはしないが、かと言って彼女に気を遣ったり遠慮したりということは全然ない。リビングのソファーの彼女のお気に入りの席を猫が占拠していることはしょっちゅうで、彼女の母親は「朝顔につるべ取られてもらい水だよ」と彼女をあまり良くない席に座らせた。


 彼女の実家にはパソコンはないしテレビや録画機器もリビングにある一台しかない。彼女は自己主張が苦手なタイプの人間だし、当然チャンネル権はない、でも、彼女にも好きな映画がありその映画のディスクは持っていたので、両親が留守の時、好きな映画を観ようと思った。しかし、リビングのテレビの正面の席には、すでに猫が寝そべっていた。彼女は今日だけはテレビの正面の席で好きな映画を鑑賞したかった。それで、猫にどいてくれるように声をかけてみた。すると猫は彼女の顔を見て大あくびをしてまた目を閉じた。あきらめきれない彼女は猫のゴエモンを撫でてどいてくれるように頼んだ。

「ねえ、ゴエモン、ゴエモンは良い猫でしょ。お願いだからそこの席をゆずって。今日はその席で好きな映画を観たいの・・・」そうつぶやきながら彼女は猫を撫で続ける。そして猫は目を細めてゴロゴロ喉を鳴らし続けるのだった。

 猫を抱いてどかせればいいのではないか? と思う人もいるかもしれないが、動物として弱過ぎる彼女は猫を抱くのは怖くてできなかった。しかし、彼女はひらめいた。冷蔵庫の中からカニカマを見つけて、ゴエモンに匂いを嗅がせた後、カニカマを遠くへ投げた。都合よくゴエモンはカニカマを追ってソファーのテレビの正面の席からどいてくれた。

 猫はカニカマにありついて、少なくとも彼女は好きな映画を観ることができたのだった。


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