初潮
小学校五年生に進級して一番大きな変化だと感じたことは担任の先生が若い男の先生だということだった。小学四年生まで女の先生ばかりでそれが当たり前のような感覚になっていた。
そして、ただ単に男の先生になったというだけではなくて、その先生、井口先生の授業はワクワクするようなものだった。例えば物語は読むだけのものじゃなくて、自分で書いてみましょうと言って『銀河鉄道の夜』という題名で物語を書かされたりした。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は読んだことがなかったので、私は、ある村で村人全員が夜になると、村の鉄道が銀河に通じるという夢を見るようになりそれを信じて、村の鉄道の名前を銀河鉄道とするという話を書いてみた。別に出来の良い話ではないけど楽しかった。
またある時は算数の時間に円の面積はどうやって計算すれば良いか自分で考えてみましょう? という授業があった。円周率のことをいきなり教えるのではなくてだ。それでみんな考えた。円をケーキのように細かく分割して、分割した一かけらを三角形と考え三角形の面積を求めて合計すれば良いのではと考えたり、ヒモを使って、そのヒモを円を囲んでいる線と同じ長さに切って、その後でヒモを円から四角い形に変形させて四角の面積を計算すれば良いのではないだろうか? というかなり惜しい方法を考えた生徒もいた。とにかくパズルみたいで楽しかった。
その他の授業もそんな風だった。中にはそんなやり方と相性の悪い生徒もいたけど、私とは相性が良くて、家に帰ると井口先生の話ばかりするようになった。
そして、私の母は保護者面談の時、井口先生に「うちの娘は先生に初恋をしているみたいです」という爆弾発言をしてしまったようだ。それを後から聞いて、私は恋ってこうゆう気持ちなのかどうかわからなかったけど、井口先生のことが好きなことは確かだったので「これが恋なのかなぁ?」と思った。そして井口先生はそんな私をどんな目で見るのだろうか? と困った気がした。
陽だまりのような時間の中で私は「先生、お誕生日いつですか?」と尋ねたこともあったが、何故か先生は教えてはくれなかったり、かと思うと私の服を誉めて「その服とっても似合ってお姫様のようですね」と言ってくれたりしたが、私が照れて「そんなことないよ」と言うと「そういう時はありがとうと言うんですよ」と言ったりした。
小学六年生のある日それはやってきた。トイレで下着に今迄見たことのない赤いシミを見つけた時、教えられていたので、それが生理なのだということがわかった。恥ずかしくはなかった。誇らしい気持ちだった。これで子供を産むこともできるすごいことなのだ。教室に戻って井口先生に目を輝かせて話すと先生は「そうか・・・そうか・・・とうとう坂田も」と言いながら私を保健室に連れて行き、年配の女性の保健の先生に「初潮を迎えました」と井口先生まで得意になったように言うと保健の先生は、井口先生をすごい勢いで保健室から追い出してしまった。そして生理の時どうすればいいか私に教えてくれた。
初潮という言葉はその当時の私にはちょっと難しくて大人の香りがした。初潮を誇らしいと思い喜べたのは井口先生とあの時を共有できたからではないかと思う。今から思うと幼く無邪気だったとも思うけど・・・。
やがて卒業の時がやってきた、卒業式の後で井口先生は私を見ると「坂田」と一言言って号泣しはじめた。私はどうしていいのかわからなかったけど、少し冷めた気持ちだった。「先生、さようなら」と言って逃げるように家に帰った。井口先生は良い先生だけどこれは恋じゃない、恋なんてわからないと疎ましい気持ちで思った。
私が本当の初恋を知るのは高校一年になってからだった。




