第13セクション---わがまま
ピピッピピッ!
午前六時に設定してあった目覚まし用のアラームが鳴り響く。まだ寝ていたいが、今日は大切な仕事がある。
朝の気持ちいいまどろみを振り払う。
「う・・・あ・・・もう朝か・・・」
小さくうめきながらベッドの上で背筋を伸ばす。カーテンの隙間からは眩しい朝日が差し込んでいる。
あくびをこぼして寝返りを打つ。
「・・・・・は?・・・」
何やら柔らかい物に触れた。おかしいな、俺は寝る時こんな物をベッドに入れた覚えは無いんだが。
その柔らかい物の正体を探るべく、手で触れてみる。
むにっ
「ん・・・・っ」
なんだこれは。柔らかく弾力のある好ましい感触。しかも可愛らしい声が聞こえた。
一瞬動きを止め、思考を巡らせる。俺は基本一人で寝るため、誰かと一緒にベッドの上にいるということはありえない。
そっと毛布をめくると、綺麗な茶色の髪が露わになった。
「・・・・まさか・・・」
薄い毛布を全てめくると、そこには紅の可愛い寝顔があった。
こいついつの間に俺の部屋に入りやがったんだ?
個人の部屋はシステム的に侵入不可侵で、許可されている者でない限りどのような手段を使っても侵入することはできない。
そういえば、こいつには以前入室を許可を出したままだったと思い出す。
「ん・・・あ・・・・」
「おい・・・」
ちょうど紅も眼が覚めた。顔との距離が約十センチの至近距離で視線が交錯する。
「・・・・あ」
「・・・ん?」
突然紅が視線を下へと向けた。見つめている先には俺の右手がある。しかも柔らかいものに触れたままだ。
おそまきながら気がついたが、俺は触れているものを即座に理解したが体は動かない。なんとあるまじきハプニングだろうか。
紅の顔が羞恥と怒りで紅く染まっていく。
「き、きゃああ!」
「ぐはっ!」
殴りとばされ、ベッドから転がり落ちる。俺は派手に転がった。いてて、最悪の朝だ。
「おい、なんでお前が俺の部屋にいるんだ?」
起きてから十分後。紅を目の前で正座させ、説教をしていた。
勝手に部屋に入った挙句、人のベッドに潜り込み、最終的には人をベッドから殴りとばしやがった。しかもそのあとで、体に触ったのどうのとギャーギャーと騒ぎまくった。
「た、たまたま誰かと一緒に寝たかっただけよ。別にあんたじゃなくてもよかったんだから」
「はあ・・・・もっと素直になろうぜ」
こいつはだめだ。いくら説教してもどうにもならない。
ため息をつき、仕事の準備をする。
「今日はどこ行くのよ?」
「仕事だ」
愛用拳銃のSIG・SAUER・P226を机の上に取り出し、マガジンに弾を装填する。この三年間で対ウイルス用の装備が増えた。
例えば、この黒いコート。一見するとただのロングコートだが、これを装備しているとウイルスの浸食速度を抑えるという働きを発揮する。
かつて円楽が使用した高威力のプラズマグレネードは、今は多くの者に配布され一般的な装備となっている。
「んじゃあ、行ってくる。お前もちゃんと仕事しろよ」
「わ、分かってるわよ」
眠気とあくびを噛み締めながら管理塔へと転移する。
「ネルク、朝早くにすまないな」
「いや、別に」
管理塔につくと、ジェネが出迎えてくれた。部屋は朝だろうと昼だろうと関係なく年中暗い。
徹夜で仕事をしていたらしく、ジェネの金色の髪がぼさぼさになっている。
「アルファは?」
「ここにいる」
ジェネの背後にスーッと現われ、彼女の陰に隠れた。どうしようか、このままだと彼女を連れていけない。
だがその心配は無用だった。
「ね、ネルクさん今日は、よ、よろしくお願いします」
ぱたぱたと走って来て、俺のロングコートの陰にすっぽりと隠れた。どうやら、一度会話を交わした相手ならば緊張しないらしい。
今の俺の恰好はまるで、小さな子供をどこかに送り届けるパパのようなものになっている。ジェネがクククッと笑っている。笑ってんじゃねえ。
「ではよろしく頼む。くれぐれも気をつけて」
「ああ、分かってるよ。アルファ行くぞ」
「は、はい」
転移ゲートがあるエリアまで転移しようと、システムコンソールを操作していた俺はジェネに襟首を掴まれ、引き寄せられる。
ジェネの身長が低いため、俺が前かがみになるような格好になった。
「なん・・・?」
ジェネは俺の右頬に唇を触れ合わせた。柔らかい感触が伝わってくる。突然のことで俺は眼を白黒させる。今日のジェネは一体どうしたというんだ。いつもよりも可愛く見える。
「ちゃんと帰ってきてくれ。もう仲間が消えるなんてことは嫌だからな」
「あ、当たり前だ。ちゃんと帰ってくる。転移、エリアB25へ」
高さが十メートルはあろうかという見上げるほどの巨大な門が眼の前にそびえ立ってている。全体は銀のメタルカラーで、朝日を受けて眩しく輝いている。ゲートの内部はゆらゆらと蜃気楼のように揺れ、向こうの景色が霞んで見える。
今回のサーバー奪還作戦にはこのゲートを使う。
俺はゲートの前で立ち止まった。
「・・・何で、お前がいるんだ?」
「別にいいでしょ。それに仕事をしろって言ったのはあんたじゃない」
転移ゲートにはなんと紅が待ち伏せていた。これは全く予想していなかった。
「で、今回の仕事は何?」
「はあ、・・・この子だ」
ロングコートを持ち上げると、アルファが俺の足にしがみついて震えていた。どうやら初めて会う紅が怖いらしい。今にも姿を消してしまいそうだ。
ブチッ
ん?なんか今ブチッていう音がしたぞ。気のせいか?
いや気のせいではなかった。紅が恐ろしい形相でこちらを見ている。
「ねえ、ネルク。あんたはそんな小さな子に一体何ヤッたの」
「は?何言ってんだ?」
「私よりそんな小さな子の方がいいわけ?」
「何言ってんだお前は。こいつは仕事の依頼主だ。とあるサーバーを奪還してくれとのことだ」
俺が事情を説明すること十五分。ようやく紅は落ち着いた。こいつは一体何に怒っていたんだ?
さっきまで震えていたアルファもだいぶ落ち着いた。
「私も一緒に行く」
「はあ?」
「私が一緒に行かないとあんたがその子に何するかわかんないから」
おいおい、俺はこんな小さな子に手を出すほどの変態ではない。それにこれから向かう先にはウイルスが沢山待ち構えている。そんな危ない所へ、紅を連れていくわけにはいかない。
「だめだ。さっさと帰れ」
「嫌よ」
「帰れ」
「嫌」
「帰れ」
「いーや」
俺達はしばらくこのやり取りを繰り返した。アルファがオロオロとして困っている。
「それにウイルスと戦うんでしょ。そんな危険な所にあんたを一人で行かせる訳にはいかないから」
「しかもそれはこっちのセリフだ」
俺の了承も得ずに紅は俺の左腕を取った。アルファは紅から逃げるように、俺の右側に移動した。
なんだこの両手に女という構図は。どこの恋愛物語だよ。
「さっさと行くわよ」
「おい、ちょ、引っ張るな」
当初の予定とは少し違うが、まあ味方は多い方がいいか。
紅に引っ張られる形で俺達三人は転移ゲートをくぐった。