父上
「……そんなことがあったんですか」
「おお、そうじゃ」ヒメノミコトが答えた。
「ツクヨミが姉さんの妹と言うことは……ツクヨミは私のもう一人の姉と言うことになりますね」
「そうじゃ、わらわたちは……もとはモサク一族の者、そしてヤマツミやワタツミやツクヨミの家族だったのじゃよ」
「家族……。あのモサク一族の家族。モサク一族と戦っていた私と姉さんがまさかモサク一族だったなんて……」
「運命とは……数奇なものじゃのぉ。もし少しでも運命とやらが狂っていたなら、ツクヨミはわらわたちの方にいたかもしれん。そして……死ぬこともなかったのかもしれんのぉ」
「姉さん……」
「しかし……過ぎたことはどうにも変えられん。まして死んだことなど……誰にもどうにもできん。そんなことよりもわらわたちは未来に生きていかねばならん」
「未来……ですか」
「わらわたちは生きねばならん。死んでいったモサク一族のためにのぉ」
「そうですねぇ……」
二人はぼんやりと正面の景色を眺めながら広場を歩いていた。二人は広場の片隅にあるイザナギを捕えた牢屋へと向かっていた。
暗い牢屋の通路。
通路の壁にかかるたいまつが暗い辺りを照らしていた。
「ここですか」
「おお、ここにイザナギがおる」
そう言われてスサノは牢屋の中を覗いてみる。中は暗く何もないように見えた……が、じっと眺めていると一人の男の背中が見えた。
男は牢屋の中で胡坐をかいてスサノたちの反対を向いて座っていた。
「イザナギ」ヒメノミコトがイザナギの背に声をかけた。
イザナギはのそのそと体をこちらの方へ回した。正面を向けたイザナギの顔はひげがぼうぼうと無精に生えていてみすぼらしい様子だった。
「なんだ、お前たちか」イザナギが言った。
「何の用だ」
「あまり用と言うほどのことはないがのぉ。ただ、お主の顔を覗きに来ただけじゃ」
「俺の顔を覗いてどうするっていうんだよ」
「仮にもわらわたちの『父上』の顔じゃからのぉ」
「『父上』って……俺とお前は家族じゃないぞ」
「ヤマツミたちとは家族だったのじゃろ。それならわらわたちも家族じゃ」
「なんだよその理屈は……。どちらにせよ、お前たちとは家族じゃない。……ヤマツミたちとも家族じゃなかった。あれは……ままごとだったんだよ」
「わらわはお主の昔のことは伝聞でしか知らぬが……ホノニギいわく『楽しそうな家族』と言っておったぞ」
「楽しそうな……ねぇ。確かに、そんなこともあったかもしれないが……」
イザナギは自分の右の手のひらを見つめた。
「俺はこの手で……家族を殺したんだよ。『楽しそうな家族』を崩壊させたんだよ」
イザナギは右の手をぎゅっと握った。その拳を見つめていた。
「お主は過ちを犯した。それは許されざることだ。だからお主は裁かれる」
「ああ。ヒメノミコトさんよぉ。俺を好きに裁いてくれ……」
「お主、今でもわらわを殺そうと思うか?」
イザナギはゆっくりと顔を上げヒメノミコトを見据えた。
「もう、殺せるわけないじゃねぇかよ。もう……殺し尽くしたんだよ」
「そうか……」
「俺は世界を救うことはあきらめた。俺はもうこのまま……刑に服するだけだ。しかし……」
イザナギは顔をまっすぐに向ける。
「……まだ、俺のいた世界が終わったわけじゃない。いや……終わったかどうかなんて俺は知らなかったのに……勝手に終わったと思ってたんだ。俺は自分の元いた時代、元いた世界が終わっていないことを祈る。俺にはもう祈ることしかできない」
ヒメノミコトは牢屋の方に一歩だけ近づいた。
「明日、ホノニギと武殿たちが元の時代に帰るそうじゃ」ヒメノミコトが言った。
「そうか……明日か。それはまた急なことだな。ホノニギさんは元の時代に帰るのか。ずっと前からそう言っていたが……。ホノニギさんは強い。強い男だ。ホノニギさんならもしかしたら……俺の元いた時代を救ってくれるかもしれない……。俺はそれを祈ろう。ホノニギさんが救ってくれることを」
イザナギは目をつむり合掌し、祈っていた。
「ならばわらわも祈ろうか。ホノニギと武殿たちのことを祈ろう」
「姉さん……」
ヒメノミコトは目をつむり合掌し祈る。
スサノもそれに続いて祈った。