ヒメノミコトの宮殿
ここは、ヤマタ国の中央にあるヒメノミコトの宮殿である。
木の板で作られた二階建ての建物の中。その宮殿の二階にて、長い黒髪の、白い大袖を羽織った女性、ヤマタ国を治める女王、ヒメノミコトが火を焚いて亀の甲羅を使った『太占』という占いをしていた。
そこに一人の若い男が、階下より上ってきた。その男は名をスサノといい、ヒメノミコトの弟であった。
弟は姉の方へと近づいてていく。
「姉さん」
弟のスサノは姉のヒメノミコトに声をかける。
「…………」
しかし姉のヒメノミコトは返事をしなかった。
「……おーい、姉さん」もう一度スサノは声をかけるが、
「…………」それでもヒメノミコトは返事をせず、動物の骨を熱して占いをしていた。
「やっぱりおやつの栗、少なかったのがいけなかったのかなぁ……」
弟のスサノは落胆し、そう思った。
ヒメノミコトは僻む、恨む、拗ねる、引きこもる事が大好きな、わがままな性格の女王だった。いまもおそらく姉はおやつの栗が少なかったことに起因してヒメノミコトは拗ねていた。本当に子供っぽい正確だなぁとスサノは呆れた。
そんなわがままな性格の姉を持つ弟のスサノは、生涯を通してずっと彼女の世話をしてきた。
子供のころ、家の手伝いを全くせず、遊んでいた姉をしり目に弟は家のため働いていた。姉が女王になった時も、政治のことを全く知らない女王に代わってヤマタ国の政治を執り行ってきた。今でも政治のほとんどはスサノが執り行っている。弟は自由奔放、わがまま娘な姉の面倒事をずっと背負ってきた。随分と気苦労の多い男であった。
対する姉は……姉は子供のころから『不思議な力』を持っていたため、ずっと大人の人に敬われて、ちやほやされてきた。姉は、未来を予知できたり、不思議な力でモノを動かしたりできる『神の力』(とか言われているもの)を持った特別な人間であった。姉がなぜそんな力を持っているかは弟にはわからなかった。弟のスサノは姉から何も聞かされてなかった。訊いても聞かせてくれなかった。姉の持つ不思議な力のことも、見知らぬ両親のことも、自分の出生のことも……断片的なことを言われていつもはぐらかされてきた……。とにかく姉には不思議な力がある。そして、その不思議な力を買われ、このヤマタ国の女王となって、占いとその不思議な力により国を治めてきた。
自由奔放な女王様とそれを支える生真面目な弟。この二人によりヤマタ国は治められている。
「おーい……姉さんてっば」いくら呼びかけても返事をしないので呆れながら弟は呼んだ。姉のヒメノミコトはなおも占いに集中していた。
すると、突如ヒメノミコトが顔を上げる。
「……火が落ちる……」
「え?」突然姉が発した言葉に、スサノは困惑する。
「……火が落ちる。……紅き紅き火が……何かが来る。……善きものと悪きものが来る……」
「何かが……来る……? 善きものと悪きもの……」
「スサノよ……門の監視を厳重にしておくよう兵の者たちに言っといてくれ」
「門をって……敵でも来るんですか? またモサク一族ですか?」
「何かが来る……それが敵か、はたまた救いの神かは分からぬが……」
「はぁ……」スサノはぼんやりと姉の言ったことを理解した。スサノは、姉は占いだけは優秀だからとりあえず姉の言った通り、あとで門の兵たちに警備を厳重にしておくよう言っとこうと思った。
しかし……一体何が、ここに来るのだろうか……。
スサノは一物の不安を抱えた。
ここが、ヤマタ国というところなのか。
門を抜けて少し進むと、また柵が目の前に現れ、またそこに櫓と門があった。敵の攻撃を防ぐ二重の柵、実際に戦っているこの国で守りというのは必要不可欠なのだろう。この門の向こうが『ヤマタ国』の内部なのだろうか。弥生人の二人が門の兵と話を済ませ、門を通ると、そこには歴史の教科書や、テレビでしか見たことのなかった、いや、見ることができなかった、弥生時代の『くに』、国家の風景が見えた。
大きく開けた地面の上に、木製の建物がきれいに並べてられていた。それらの木製の建物は、木で組まれた土台の上に、建物が乗っかっていた。たしかあれは『高床式住居』とかいうやつだったかなぁ。そのような形の建物がずらりと並んでいた。
「くふぅ~! すごいです! リアルですよ! 本物ですよ! 武くん!」
絢はその情景に大はしゃぎしていた。見るものすべてにはしゃぎ、見えるものすべてにはしゃいでいた。確かに整列された建物はどことなく荘厳で、そしてどことなく寂しく、なんだか不思議な感じがした。こういうのを『わびさび』というのだろうか。現代社会の人々が行きかう『都市』ではこういうものは一切感じられないだろうと思った。
そして、この集落の真ん中に、二階建ての大きな建物があった。周りの高床式の建物がグレートアップしたような豪勢な感じの建物で、まるでここにある建物の統率者のようにこの集落の中央ど真ん中にそびえ立っていた。
「あれが、ヒメノミコト様が住まわれている宮殿だ」前にいた弥生人がそう言った。
「くふぅ~宮殿ですかぁ! 二階建てですねぇ~」絢ははしゃぎながら言った。
「なぁ、ヒメノミコトってのは一体全体何者なんだ?」俺は弥生人の二人に訊く。
「ヒメノミコト様はこの国を統べる女王様だ」弥生人の一人が言った。
「女王様だと!」俺は驚いた。
「な、なんで女王様が俺たちのことを呼んでるんだ……」
「さぁ、それは分からんが。門の兵たちが言うにはヒメノミコト様の占いによるといってたがなぁ」
占い……そんなことで俺たちは呼び出されたのか……。
いや、ここはまかりにも弥生時代だ。科学もなにも発達していない時代だ。占いで戦や政治を行っていたりしていた時代だ。
その占いによりこのヤマタ国に誘われた俺たち。それは幸運なのか不運なのか。――そもそもタイムスリップしてきたこと自体が不運なのだが。
「とにかく、早くヒメノミコト様のところへ参ろう。宮殿に向かうぞ」
「きゅ、宮殿に入ってもいいんですかぁ!」絢は目をキラキラ輝かせながら言った。
「あ、ああ……」絢のハイテンションに弥生人の二人は呆然としていた。
俺と絢と弥生人の二人ご一行は、ヒメノミコトのいる宮殿へと向かった。
ヒメノミコトの宮殿の中へと入る。宮殿の中はすべて板張りで、林間学校のときに泊まったバンガローのようだった。宮殿の一階には床の上に何枚か座布団のようなものが敷かれてあって、奥には階上へ上るための階段があるだけのシンプルな作りになっていた。
その宮殿の一階に一人の男がいるのが見えた。短髪の男。弥生人らしく、弥生人らしい白い布の服を着た俺たちより数年ほど年上に見える若い男がいた。
「これはどうもこんにちは」その男は俺たちに自然に挨拶した。
「……どうもこんにちは」不安定な感じの挨拶を俺はした。
「ハローです!」元気に絢が挨拶した。絢の元気は底なしであった。
「どうぞお二人とも、そこに座ってください」
「はぁ」俺と絢はその男の言われるがままに男の前にある座布団に座った。
さて……これからどうなるのだろうか……。
目の前にいる男の人はなんだか見るからに人のよさそうな人だが、突然21世紀の日本からタイムスリップしてきた俺たちをどう歓迎するか……。
「どうもこんにちはお二人とも。私は女王ヒメノミコトの弟のスサノと申します。このヤマタ国の政治全般を務めています」
スサノさんとか言う人が自己紹介をした。なるほど、この人は女王ヒメノミコトの弟なのか。それじゃあその姉の女王ヒメノミコトさんはどこにいるんだ……。
「あの、」絢が声を発した。
「私たちどうしてこんなところに連れてこられたんですか?」
「……お二人とも、まずは勝手にここへ連れてきたことをお詫びします。それで、お伺いしたいのですが、あなたたちはどこから来られた者なのですか?」
突然、答え辛い質問が投げかけられる。
「えと、私たちは未来の日本から来たんです」絢は素直にそういった。
「未来の……ニッポン……?」
スサノさんはそれを聞いて呆然と立ち尽くしていた。
すると、階上より奥の階段を下りて、大きな着物のようなものを着た女の人が下りてきた。
「スサノ、参ったぞ」その女の人が言った。
「あ、姉さん。来たんですか」スサノさんがそう言った。
大きな白い着物を着た女の人は、スサノさんの隣に座った。その女の人は、長い黒髪で、表情は硬い顔をして、無表情だった。
なんだかどこかで見たことがあるような人物だった。何かどこかで、歴史の教科書で見たかのような人物だった。
「た、武くんー! 武くんー!」
「な、なんだよ絢」俺は隣の絢を見た。
「卑弥呼さんですよ! 卑弥呼さんです!」
卑弥呼……ヒミコ? ……あの卑弥呼のことか……?
あの眼前にいる女性が卑弥呼なのか……?
よく見れば、よく見るほどにその眼前の女性は歴史の教科書で見た『卑弥呼』そっくりに見えてきた。
「卑弥呼……あれが卑弥呼なのか……」俺は隣の絢に問う。
「容姿と状況から考えて卑弥呼さんと思われますです! 武くん!」
「ヒミコ……それはなんじゃ」その卑弥呼本人が不思議そうに言った。
「わらわの名はヒメノミコト、この国の女王じゃ。ヒミコとかいう名ではないぞ」
「ふーむ……やっぱり実際には違う名前だったですかぁ……」絢は納得したような顔をした
眼前にいる女性はやはり卑弥呼らしい(本名は違うらしいが)。ということはここは、『邪馬台国』というところじゃないのか? 邪馬台国……ヤマタ国……。何となく名前が似ているような気がするが……。
「ところで……そちたちはどこから来たのじゃ? 見たところ……ここの者のようではないようじゃが」
弥生時代に来てからしょっちゅう『どこから来たのか』と質問されているような気がする。まぁ、弥生人から見れば、学ランを着た俺と洋服を着た絢の姿は、奇妙なものでしかないのだろうからなぁ。
「遠い未来からです!」
絢は向かいの卑弥呼さんに、何のためらいもなく、真っ直ぐに、正直に、忠実に、真に、そう言った。
「そうか……」と、卑弥呼さんは何かを悟ったかのように、何かを確信したかのように答えた。
「お主たちは未来から来たのだな……。そうかとは思っていたのじゃが……やはり……」
「あのぉ、どうして私たちのことをここに呼んだんですか」絢は案外卑弥呼さん相手に図々しかった。目上の人に図々しいのはもしかしたら俺の影響か、俺の伝染かもしれない。
「占いに見えたんじゃ……。火が落ちる……何かが落ちてくるとな……」
「火が落ちる……何かが……落ちる……」俺はそう言った。
「何かが……誰かが……この地に来ると思ったのじゃ……。そう思っておるところにお主たちが現れてのぉ……」
「はぁ……」俺たちは眼前の卑弥呼の思し召しによりここに連れてこられたのか。
しかし、『火が落ちる』とはどういうことなのだろうか。俺たちがその『火』なのだろうか。
「それで……主たちは何年後の未来からやってきたんじゃ?」
「何年後って……絢、この時代から数えて俺たちの時代って何年後の世界なんだ?」
「えと……確か邪馬台国があったのは……実際にはヤマタ国でしたけど……3世紀ごろだから、1700年ぐらい後ってことになりますかねぇ」
「1700年……ほぉ……」卑弥呼さんはそれを聞いて静かに感嘆した。
「なぁ……俺たちが本当に未来から来たってあんたは信じてるのか?」俺は何気に訊いてみた。
「まぁのぉ……。世の中何が起こるかあるかわからんしのぉ……。こんなこともあるかもしれん」
卑弥呼さんはそう言った。目の前の卑弥呼は、確かに俺たちが未来人だと思っているようだが、それに関してあまり驚いていなかった。こんな時代には不思議なことは日常茶飯事だからそんなに驚かないのだろうか。卑弥呼の隣のスサノさんもあまり驚いていなかった。
「ところで……」卑弥呼さんは口を開いた。
「おぬしたちの名はなんというんじゃ?」
今日は質問されることが多い日だなぁと思った。まぁ、俺たちはここでは未来人だから仕方のないことなのかもしれないが。
「私の名前は姫野絢です。高校二年で、趣味は考古学研究です」
絢は自己紹介のお手本のごとくきれいに自己紹介をした。
「俺の名前は流山武だ。同じく高校2年で、部活は剣道をしている」続けて俺も自己紹介した。
「ところで武くん」突然絢が呼ぶ。
「なんだ?」
「武くんの趣味ってなんですか」
絢は随分と的のはずれた、軸のはずれた話題を振った。
「それは……お前をいじめることだ!」
「くふぅ~いじめるですかぁ~」俺と絢は子供の様に、子供のごとく、お互いをポカポカと叩き合う。
邪馬台国、いや、ヤマタ国の女王卑弥呼さん(本名:ヒメノミコト)の前で傍若無人に俺たちは騒いでいた。
「お前たち、ホントに仲がよさそうだのぉ……」俺と絢のそんな情景を卑弥呼さんはのんびりと眺めていた。
すると、
――――ドンッ! ――――ドンッ! ――――ドンッ! ――――ドンッ!
突然、太鼓の音のような、花火の音のような、大砲の音のような、怪獣が歩いてるような、大地を震わす重い音が、間隔を置いて、ヤマタ国じゅうに響き渡った。
その音は大地を震わせ、ヤマタ国を震わせ、建物を震わせ、そして、俺たちのいるヒメノミコトの宮殿を震わせた。その震動は5秒間に1回の周期で間を開け、重い音とともに、震度にすると3ぐらいの揺れで、伝わっていく。
「な、なんなんだ一体!」俺は突然起きた周期的な震動に驚いた。
「ツクヨミの輪偶久禮の襲来じゃ!」その震動を察知し、卑弥呼さんは突然立ち上がった。
「り、りんぐくれい……?」どこかで一回だけ聞いたような単語が出てきた。
「おい、絢、りんぐくれいってのはなんなんだよ。そんなの俺の歴史の教科書には載ってなかったはずだぞ」
「わ、私にもわからないですよ……。りんぐくれいなんて……。そんなの私でも初耳ですよ……」さすがの絢も突然の震動に慌てていた。
慌てふためいている俺たちをしり目に、スサノさんと卑弥呼さんは立ち上がり、
「行くぞ、スサノ、早く邪馬太久禮を動かさねば」
と言って、宮殿の入り口のほうへと走っていった。
「ま、待ってください」スサノさんも後に続いて走っていった。
卑弥呼さんとスサノさんが宮殿から出て行ってしまい、今宮殿には俺と絢しかいなかった。
「なんだか、ほったらかしにされちゃいましたね」絢は周りを見ながらそう言った。
周期的に起こる震動はなおも続いていた、それどころか、その震動の間隔が小さくなっていて、そして震動の威力も大きくなっていた。
「この震動の原因はなんなんだ……卑弥呼さんが言ってた『りんぐくれい』とかと何か関係があるのか……」
「くふぅ~でもなんだかすごいことになってきましたねぇ~」
落着きを取り戻した絢は、すぐさま自分のテンションをリセットしたそうだ。
「ねぇ、武くん」絢が呼びかける。
「なんだ絢」
「二階に行ってみませんか?」
「二階ィ?」俺は絢に訊く。
「ここの二階から外の景色が見えるようですから、そこから外の景色を見れば何かわかるかもしれないです」
たしかに、宮殿の外観を見たとき、二階にベランダみたいな、外の景色が見えるところがあった。そこからなら外の景色を一望できるだろう。
「どうしますですか武くん?」絢は俺に訊いた。
「そうだな……。そのりんぐくれいとかいうのも気になるし……行ってみるか」
ここにおそらく住んでる卑弥呼さんとスサノさんの許可なく、俺たちはづかづかと二階へと上った。二階にはファンタジーものに出てきそうな豪華な寝室のようなものと、中央に焚き火があった。焚き火はおそらく占いに使ったものだろうと推測する。今はとりあえずそれらのことは置いといて、外の景色が見れるところまで行った。
そして、俺たちはとんでもないものを見てしまった……