救われた者:流山武
絢とは幼馴染である。
初めて出会ったのはいつだったか……覚えていない。覚えていないほど昔に出会っていたのかもしれない。
絢は神社の子だ。近所の神社、古山神社の子。
小さいころから絢とは遊んでいた。
すぐに剛実とも知り合い、そして久那も加わり、
それまでは順当に、普通に日々が過ぎていた。毎日遊ぶだけで十分に満たされていた。
剛実が家のことで事件を起こしたこともあったが……それもすぐに戻った。
そして……一年生の終わりごろ、12月の日。
その日は俺と剛実は剣道の帰りだった。帰り道では師範の頭のハゲ具合をなぜかまともに議論していた。
そんなゆるい気持ちで道を歩いていたのだが、
古山神社の近くに来たとき、絢を見かけた。
今日は日曜日、のはずなのに、絢は制服を着ていた。
絢のやつ、何寝ぼけてるんだよと声をかけようと思ったら……
その絢の顔が……険しく、暗く――虚ろになっていた。
――一体、何があったのだろう。
俺と剛実が絢のもとへと駆ける。
「おう、絢ちゃん。何かあったのかよ」剛実が絢に訊く。
「…………」絢は黙っていた。
「どうしたんだよ、絢」俺は訊く。
「……死んじゃったんです」
「えっ」
「……お父さんとお母さんが、死んじゃったんです」
絢のその一言で、あたりが途端に真っ暗になった感じがした。
体じゅうが……ゾクゾクとした。
”お父さんとお母さんが死んじゃった”……そんなことはテレビドラマや別の国の話のことだと、ガキだった俺は思っていた。
こんな身近に起きるなんて……
俺と剛実は動けなくなっていた。
絢に慰めの言葉をかけることもできなかった。
俺たちが突っ立っていると、向こうにいた絢のおばあさんらしき人が絢を呼んだ。絢はその声に振り返り、俺たちを背にし、おばあさんの方へと歩いていった。おばあさんのところへ来た絢は一度ちらりとこちらを向いて、すぐさま反対を向いた。
その絢の顔には一かけらの覇気も見えなかった。
――一体、何が絢をこんな風にしたのか。
夕飯のとき、絢の両親が交通事故にあったことを母親から聞いた。
絢の両親は仕事のため出かけていた。
いつもの道を、いつもの通り歩いていた――だけだったのだが、
横断歩道を渡っていた両親に――大きなトラックが衝突し……
そして二人は帰らぬ人となった。……絢を残して。
俺は夕飯の後は、自分の部屋の布団の上でぼんやりと寝そべっていた。
もし……自分の両親が、絢の両親のように交通事故にあったら……
そんな怖いことを考えたら悪寒がする。胸のあたりがきゅうっと苦しくなっていく。
今の絢には……そんな悪寒や、苦しみが常にのしかかっているのだろうか……。
もし自分がそれを背負うことになったら……耐えれるかどうかわからない。
しかし絢は……それを耐えていたのだ。
終業式の日。
絢は教室の椅子でポツンと一人座っていた。
俺たちはそんな絢をただ見守ることしかできなかった。
声をかけようと思ったが……かける声が、出てこない。
「どうしたらいいんだろうねぇ……」久那がぽつりと言った。
どうしたら、というより、俺たちにはどうすることもできなかった。
時間が立てば……こんな悲しい気持ちも少しは軽くなるだろうと……俺たちは勝手に思っていた。
絢と並んで下校する。
正直気まずいが、しかし一緒に帰ることぐらいしか俺たちにはできない。
絢の方を見る。……絢は昨日と同じような虚ろな顔をしていた。
「……絢」俺は上ずった声で言った。
「その……元気になれよ……」
そんな言葉、今の絢には届かない。
絢は顔をうつむけたままとぼとぼ歩いていた。
冬休みに入る。
俺たち3人は絢の家へと訪れてみるが、絢は家から出てこなかった。
絢がいないまま遊ぶ気分にもなれず、俺たちはだらだらと冬休みを過ごしていた。
12月24日、クリスマスの日。
「剛実、久那、お前たち何持ってるんだよ」
俺は二人の持つ小包を指差して言う。
「クリスマスプレゼントよ」久那が答える。
「だれの?」
「絢ちゃんのだよ」剛実が言った。
「……クリスマスプレゼントって、今、絢にやったってそんなの……」
喜ぶはずないじゃないかと言おうとしたとき、
「武、お前のポケット何が入ってんだよ」
「…………」
俺のポケットにはゆるいキャラクターのキーホルダーが入っていた。
絢にあげるために……買ったものだ。
こんなことしてもどうにもならないと思うけど、でも……それでも俺たちはどうにかしようと思っていた。
「とにかく……絢ちゃんのところに行こうか」
「ああ……」
俺たちは古山神社の方へと向かっていく。
道を歩いていると、正面から絢が走ってきた。
絢の顔はあの時の虚ろな顔とは違い……必死な顔になっていた。
「あ、絢、どうしたんだよ」
絢は息を荒く吐いていた。
「お、おばあちゃんが……いなくなったんです……」
「えっ……」
2回目の葬式。
絢の祖母が亡くなった。母方の祖母だそうだ。
絢の祖父(母方)は絢が小さいときに亡くなっていて、……これで両親と、祖父と祖母が亡くなったことになる。
絢の祖母は、朝方に買い物に出かけてから、行方が分からなくなり、警察が捜査したところ……なんと山の中で遺体となって現れたそうだ。その山は古山神社の後ろにある山だった。
どうして山の中で見つかったのか、警察は捜査していたが……今のところ詳しいところは分かっていないらしい。
よりによって、クリスマスの日にこんなことが起こるなんて……。
絢は冬休み中ずっと家から出てこなかった。
無理もない話である。立て続けに両親と……祖父母が死んでしまうなんて。
母から聞いた話では、絢の家には親戚のおじさんとおばさんが来ているらしい。
とりあえず春まで絢の面倒を見るそうだ。それからのことはまだ審議中だそうだ。
冬休みが開けた、始業式の日。
絢の席は空席だった。
まさか……あのまま学校にも来なくなったのか……。
俺が憂えていると、
「えー、姫野さんは、お葬式でお休みだそうです」
お葬式……?
誰の……お葬式だ……?
両親か……祖父母か……それとも……。
絢のおじさんとおばさんが交通事故で亡くなった。両方とも母方の親戚だったそうだ。
絢のおじさんとおばさんは、今年の春まで絢の世話をすることになっていたが、家に用事があって大阪の方に戻っていたところ……交通事故にあったそうだ。
また葬式。
絢は今、どんな気持ちで葬式会場にいるのだろうか。
これで、絢に近しい、母方の親戚、それと父親が亡くなった。
たった1ヶ月ほどで。
まるで……何かに呪われたかのように……。
絢だけが、取り残された。
始業式から3日後、絢が学校に来た。
「あ……」絢、と呼んで絢のもとへと来ようとするが、
絢の顔は、もうぬけがらになっていた。
呆然と俺と久那は立ち尽くしていた。剛実は……
「こんやろぉおー! ……なんでなんだよ……なんで」
剛実は思いを爆発させていた。
「どうして絢ちゃんばっかりに……こんな不幸なことが……!」
剛実の叫びに、教室の皆が静まりかえっていた。
その静けさの中、絢が顔を上げた。
「……これは、運命なんですよ」絢がつぶやいた。
「……私の家族が死んでいくのは、決まっていたことなんですよ。このままいくと、きっと私も……」
きっと私も……?
私って……私って誰だよ! 誰が、誰がだれがだれがだれがだれが死ぬっていうんだよぉぉぉぉおおおお!
「ふざけんじゃねぇ!」
ドン、と絢の机を両手でたたいた。
「運命なんてあるもんか! 決まったことなんてあるもんか! ……お前が死ぬなんて、そんなことあるもんか!」
絢は、その小さな体で、どんな重い荷物を背負っていたんだろうか。
多分、俺たちには解ることのできない、重くて複雑な荷物を背負っていたんだろう。
度重なる死の中、絢は恐怖におびえ、そして恐怖と戦っていた。
これから、絢はどうなるのか。
母方の親戚が順当に殺されて、残った絢。
まるで死神が絢を怖がらせているような……
……そんな話があっていいのだろうか。
静まり返った教室の中、担任が目を丸くして入ってきた。俺たちは席へ黙って戻っていった。
どうしたらいいのだろうか。
どうしたら……どうしたら……。
頭の中がぐしゃぐしゃになっていた。
絢と並んで歩く。二人の間の幅は50センチほど空いていた。
絢はうつむいていた。
俺は……絢に何もできないのか。
いくら剣道をやっても強くなっても――絢を救うことができない。これじゃあ意味がない。
どうして俺は……こんなに非力なんだろうか。
横断歩道に差し掛かった。
信号は青。車は走ってこない……はずだった。
横断歩道の一本目の白い線を踏んだ時、白いかたまりが全速力で走ってきた。
ものすごく速く走っていた。
横を振り向いて、それを目視した。
それはもう数十センチの近くまで来ていた。
――俺も死ぬのか。
本当は絢が死ぬだけだったのだろうか、絢と一緒にいた俺が巻き添えとなる……。
はぁ……俺はついていないなぁ。
一番ついていなかったのは絢だっただろうが。
――死ぬって、どういうことなんだろう。
――防具をつけないで面打ちを受けるより痛いだろうか。
――まぁでも、絢だけがそれを受けるよりかはいいのかもしれない。
――二人なら、寂しくないだろうから……
と……
腹のあたりを誰かが押した。
ぐっと、力を込めて……俺を吹き飛ばすように、
待て……だれがこんなことを……。
「あ、絢ぁ!」
俺は絢から一メートルほど離れた地点に倒れた。
絢に手を伸ばす。その手は届かない。
絢はそのままその位置に立っていた。
絢は……最後に一瞬、俺の方を向いていた。
その顔は……さっきの虚ろな顔とは違い、
――満面の笑みだった。
その時のことはあまり覚えていない。
血を流した絢の姿――を思い出すだけで、頭が痛くなり、何も思い出せなくなる。
俺の意識が戻ったのは、病院で目覚めたときだった。
俺はなぜか病院で寝ていた。俺は何処も怪我をしていなかった。ただ、意識を失っていただけだった。
意識を取り戻した俺はすぐに立ち上がる。
「あ、絢は! 絢はどこなんだ!」
部屋中に響く声で叫んでいた。
絢は……生きていた。
奇跡的に生きていたそうだ。
絢は寝ていた。ベットの上で。
その絢の体には……たくさんの包帯が巻かれていた。
腕に足に腹に胸に頭に……全身に巻かれていた。
「私……生きてたんだね」絢がつぶやいた。
「……ああ」
「どうして私、生きていたんだんでしょうね……」
どうして……って、
「どうして俺を……助けたんだよ! お前、死んじまうところだったんだぞ! どうして!」
「だって、私が死ぬのは運命……だから。でも、武くんが死ぬのは……運命じゃないから……。だから武くんは、あそこで死んじゃいけなかったの。……でも、私は……」
「私は……なんだよ。お前は……死んだらよかったらっていうのかよ!」
「だって――!」絢が叫んだ。
「――私以外、みんな死んじゃったんですよ。みんな、天国に行っちゃった……。だから私も死んで、天国に行けば……お父さんとお母さんと……おじいちゃんとおばあちゃんに会えるですよ……」
絢の――車に轢かれる直前の笑顔は、天国に行けると思ったから出たのだろうか。
「天国にってお前……」
「だって……こんな苦しい気持ちを背負ったまま生きていくなんて、いやですよ。もう、家には誰もいない。ずっと一人ですよ……」
絢は涙をこぼしていた。
大量にあふれ出る涙。絢は葬式会場で泣いたりしていたのだろうか。
それとも――あまりにも気持ちが沈んで、涙も出なかったのだろうか。
たまっていた涙を絢はこぼしていた。
「絢……。お前は……一人なんかじゃないじゃないか」俺も目を潤ませながら言った。
「俺たちが……いるじゃねぇか。剛実も、久那も……。お前は一人になんかならねぇ。ずっと俺たちがそばにいる! ずっと俺がそばにいる! ずっと俺が……お前を守ってやる」
「武くん……」
「それが俺の恩返しだ……」
俺は絢に命を救われた。
その恩は一生をかけても返せない、一生の恩だ。
だから俺は、一生を絢のために、懸けてやる。
俺は毎日絢のお見舞いに来ていた。
剛実と久那も来ていた。
絢は表面上は、明るい雰囲気に戻っていて、俺たちと仲良くバカらしく楽しく笑い合っていた。
内面上はどうだったかわからなかったが。
新学期。
俺たちは2年生に進級をした。
絢と剛実とまた同じクラスになった。
絢は病院を退院していたが……まだ体中に包帯がぐるぐると巻かれていた。
毎日見舞いに行っていた俺たちには見慣れていたので、気づかなかったが、
みんなが、絢を恐怖の目で見ていた。
クラス分けでクラスメートが変わったせいか、絢の事情を知らない人もかなりいた。
道を通る絢をクラスメートは避けていく。
そして、一人の男が、
「ミイラ女だ!」
静寂していた教室でそう叫んだ。
「ミイラ女!」
「あ、あっち行け! ミイラ女!」
その男の友達がはやし立てるように言った。
男たちは絢を取り囲み、そしてはやし立てる。
「ミイラ女!」と絢に言葉を投げかける。
そこに数人の男子が同じように取り囲む。
そして、その男子の円から離れたところからクラスメートは傍観していた。
俺は、その時、
「退きやがれー! こんやろぉ!」
俺は絢を囃す男たちに突進した。
「痛ぇ! 何すんだよ!」
「何すんだよはこっちだ! 絢のことをからかうな! いじめるな! 絢は……絢は俺が守る!」
「なんだよ! ミイラ女はミイラ女だろ!」
「絢はミイラ女じゃねぇ! 絢は絢だぁー!」
ドシーン! と男たちにタックルする。
倒れていた男たちは立ち上がり俺に組みかかる。
俺と男たちとの乱闘になる。
「な、何やってんだお前たち!」
俺たちの乱闘は担任の登場により止められた。
それから……。
俺と絢をいじめる奴との戦いが始まった。
俺は絢をいじめる奴には容赦なく制裁を下した。
戦いは容赦なく続いた。そのたびに殴り合ったり、竹刀で叩いたり……そしてその後先生や親に叱られたり……の日々が続いた。
俺は絢に恩返しをしなければならないから、こんなことは苦にはならなかった。
何があっても綾を守り抜く。そう心に決めたんだ……。
そしてそれから二か月後ぐらい。
絢へのいじめがぴたりとなくなった。
絢をいじめると俺の制裁が下ると分かって……誰も手を出さなくなったのだろう。
その代償として……俺と絢のもとには誰も近づかなくなってしまったのだが。
もちろん剛実と久那は変わりなく接していたが。
そんなわけで、俺と絢はクラスで孤立しながらも学校生活を過ごしていた。
絢には家族がなくなったが、俺たちがいる。
俺は絢に救われたものだ――――
だから俺は絢を守る――――
もし絢に命の危険が迫ったら――――
俺は、命に代えてでも絢を――――
何があろうと、どんなに時が経とうと、どんな状況でも場合でも
俺は――――