余韻
ドン、
腹を槍に貫かれたヤマタクレイは力なく背中から倒れた。
そしてヤマタクレイは――ピクリとも動かなかった。
「死んだのかな? これは。流山武とヤマタクレイとが」
そう言って、ワタツミは槍をぐっと握って引き抜く。
「そ……そんな……」ホノニギが口を開けたまま言う。
「た、たける……」
「武くううううううううううううううううううううううううん!」
絢は涙を流していた。
その涙で乾いた荒野の一面を潤わせてしまうかのような涙を。
絶え間なく、川のように、滝のように、雨のように。
体をしゃがませ、慟哭していた。
「武くん……なんで……なんで……武くんが……」
――なんで……。
――なんで……武くんが……。
――全部私のせいだ。私が武くんを誘ったりなんかしなかったら……。
絢は自分を後悔していた。自分が求めたから。自分が求めたばっかりに……。自分がどうなろうが自分が滅びようが……天涯孤独の自分がどうなってもいいと思っていたのに……。
――なんで……武くんが……。
――殺されるのは……私のはずなのに……。
――どうして……。
「どうして私に……」
涙が、紅い勾玉の上に落ちた。
絢は交通事故にあった後、自分を捨てようとした。
自分を捨てて、別の『自分』になろうとした。
誰からも愛されない傍若無人な『自分』を。
そのおかげで自分のしたいことができた。
その反面、大切なものを失う――と思っていたのに。
……全然意味がなかったです……。
……むしろ人気者になっちゃいました……。
――それと――武くんは相変わらず隣にいて、
――まさか高校まで一緒になるなんて。
絢は思った。こんな時になって、昔の自分が現れるなんてと。
いままでの虚勢を張った自分は何処に行ったのか……。
いつの間にか絢は『自分』の境界線を見失っていた。
どっちが自分かわからなくなっていた。
……あっちの『自分』はこんなときどうするのだろうか。
とにかく絢は泣いていた。
止まらない涙。止まらない苦しみ。
久しぶりに感じた。
――これが失うということ。
すべてが真っ暗闇に溶けていく感じ。自分がなくなっていく感じ。
頭が圧迫される感じ。
喉が痛む感じ。
胸が痛い感じ。
膝が痛い感じ。
すべてが痛む感じ。
喪失感に苦痛する。
私は求めていた。
無意識に、潜在的に。
武くんを求めていた。
……一人でいようと、一人で生きようと思っていたのに……。
もう怒ってくれない。
もうツッコんでくれない。
もういじめてくれない。
もうしゃべってくれない。
もう付き合ってくれない。
もう話を聞いてくれない。
もう遊んでくれない。
もう叩いてくれない。
もう守ってくれない。
もう……いない。
「す……すいません……でした……たけ……るくん……全部……僕たちの……責任です……」
ホノニギが両手と額を地面に付けて深い土下座をしていた。身ががくがくと震えていた。
それは懺悔の言葉のように聞こえた。
「すいません……ごめんなさい……僕は武くんを頼ってしまった……君しか頼るものがいなかったから……。でも……これは僕たちの問題だったんだ……。僕たちの責任だったんだ……。僕たちの撒いた種なんだ……。それに……そんなものに君を巻き込むなんて……僕が……どうかしていた……」
ホノニギは嗚咽しながら言い終えた。
「本当に……すいませんでした……」
どうしてこんなことになってしまったのか。
どうしてこんな結末に……。
あの時と同じだ。
これでは……ここに来た意味がない。
……逃げてきた意味がない。
「武の馬鹿やろぉォオオオオオオオオオオオオオオオオ……くそったれ、お前まだ17だったんだろ! まだやりたいこととかあっただろ! どうして……どうして……」
剛実は叫び、嗚咽していた。
……お前は何のために戦ってきたんだ……。
守るためだろう!
なのに……。
死んだら何もないじゃないか!
俺はお前がいたから今の自分があるんだ。
お前がいなければ、ここにいなかったかもしれない。
お前がいてこその俺なんだ。
それはいつになっても変わらない……。
なのに……。
「お前がいなけりゃ、意味ねぇじゃねぇかよ!」
荒野の真ん中に3人の泣き顔があった。
3人は傀儡を見ていた。
しかし、顔はうつむいていて、涙をこぼしていて。
喪失感が3人を覆い、
悲愴感が3人を覆い、
ただその涙を乾かすかのような風が通り過ぎるだけで――――
「さぁて、次はヤマタ国に行こうか」
突如ワタツミが言った。
「ヤマタ国……ですって……」
「ああ。それが『父上』の本懐だからなぁ」
「どうして……あなたたちはそんなことをするんですか……そんなことしたら苦しむだけなのに……」
「苦しむ? それはお前たちのことじゃないのか」
「……どちらも苦しみます。悪循環です。負の連鎖……どうしてそんな無意味なことを……」
「それが父上の本懐だからなぁ」
「ですから! どうしてあなたたちは! ……苦しい方へ歩いていくんですか!」
「とにかく俺はヤマタ国へ行くぜ。ヒメノミコトの首を取ってくるぜ」
そう言って、ワタツミは歩き出そうとするが、
「――――通しません!」
そこに小さな人影があった。
「ここは絶対に通しません。雨が降ろうが、嵐が降ろうが、剣が降ろうが、槍が降ろうが……。今度は私がヤマタ国を守るです!」
絢はワタツミに向かって叫んだ。
「ほう、お嬢ちゃん威勢のいいこと言うじゃねぇか。でもお嬢ちゃん、俺のワタツミクレイに敵うと思うのかよ?」
「それでもどきません。死んでもどきません。ここを通りたくば私を倒してから通りなさいです!」
そう言って絢が両腕を横に広げる。
覚悟は決めている。死ぬ覚悟はある。
こんなのなんの意味のないことだけど。
でも私には意味がある。
武くんの代わりに……私が守る……!
「絢ちゃん」後ろから声が聞こえた。
「剛実くん……」
「絢ちゃんは下がっとくんだ」
「な、何を言ってるんですか私は」
「下がれッー!」剛実が強く言った。
「……ここは女の子の出る幕じゃない。絢ちゃんの代わりに俺がやってやる」
「剛実くん……」
「その代り、絢ちゃんは生きてくれ。武のためにも生きてやれ。それが武への弔いだ」
「で、でもそれじゃあ剛実くんが……」
「何をごちゃごちゃ言ってんだお前ら」絢の言葉を遮るようにワタツミの声が聞こえた。
「お前たちがヤマタ国を守るっていうなら、お前たちを倒していかねぇといかねぇな」
そして一歩、ワタツミクレイが進む。
「まぁとりあえず、そこの兄ちゃんからやっていこうか。せいぜいヤマタ国のために体張るんだぜ、ハハッ」
そしてワタツミクレイが進行する。
剛実の方へと向かって。
「た、剛実くん、早く離れて……うわぁ!」
絢は剛実に叩かれホノニギさんの方へと飛ばされた。
「た、剛実くん」
絢は剛実の方を見る。
そこには剛実ひとりが立っていた。
「ここを通れるもんなら通ってみろ! 俺が相手になってやる!」
手に木刀を持つ剛実。
「お前たちはホント馬鹿だなぁ。つまらないことで苦しんだり悲しんだり。もっと楽に生きたらいいものを」
「楽に……」剛実は顔を上げる。
「俺は今まで、楽しかったんだぜぇええええええええー!」剛実が叫んだ。
「そうかよ、それなら『楽』にやってやるよ」
ワタツミクレイが一歩一歩と近づいていく……。
「待て!」
その時、後方から声がした。
「ヤマタ国は、わらわが守る」
後ろに、ヒメノミコトが立っていた。
「ひ、ヒメノミコト様……」
「ヒメノミコト様……」
「わらわはヤマタ国の長じゃ。だからわらわがヤマタ国を守る」
ヒメノミコトはそう言って前の方へ歩いていく。そして剛実より1メートルほど前の位置に来てそこで止まる。
「誰かと思えば、女王様直々に来るとはなぁ。ヤマタ国も捨てたもんじゃないなぁ。だが、お前たちには何もできないだろ? クレイがなければお前たちは何もできやしない」
「…………」ヒメノミコトは黙っている
「人間は『モノ』がないとどうしようもない。『モノ』がないとただの動物だ。クレイがなけりゃどうしようもないのさ」
「そうだな……その通りだな。わらわたちはモノに頼って、クレイに頼って生きてきた。昔から、そしてこれからも頼っていくじゃろう。だからわらわはモノを使う。モノにすがる。それが人だ。そしてわらわはそれに思いを託す」
ヒメノミコトはそういうと、
懐から円盤状のものを取り出す。
「これがわらわの思いだ。これがわらわとヤマタ国の思い……。それを託す。それを託して私たちは戦う!」
「ほう、戦うね。それなら見せてもらおうじゃないか。その思いとやらを!」
ワタツミクレイが駆けていく。ヒメノミコトに向かって。
その間に、ヒメノミコトは手に持った円盤の文様のない方を正面に向ける。
「これがわらわたちの思いだー!」
ワタツミクレイが目の前に来る。
「ヒメノミコト様!」ホノニギが叫ぶ。
そのとき、
ヒメノミコトの胸元辺りから一条の光線が放たれる。
「あ、あれは……」
「あれは……鏡……」絢が呟く。
ヒメノミコトの掲げる円盤、それは古代の鏡だった。
「天の岩戸は開かれた! 太陽は照る! さぁ、その顔を鏡に映せ! この八咫鏡に!」
鏡から放たれる光線。その光線はワタツミクレイの胸元辺りに当たっていた。
「う、うぉおおおおおおおおおおおおおおおおー!」
ワタツミは叫んでいた。
苦しみ、悶えていた。
「ぐ、ぐぐぐ……」
「さぁ、観念しろ! わらわにひれ伏せ! ここから立ち去れ!」
「立ち去れだと……」
「ああ、この光線を腹に当てられたくなかったらなぁ」
「――――!」
ワタツミクレイは恐怖した。
この光線を腹に当てられる。
それはつまり己の死で、
ワタツミクレイの死で、
手元の槍で、ヒメノミコトを攻撃しようにも距離が少し届かない。
そして動こうにも、胸元を攻撃されていて動けない。
対する相手は鏡の光線による攻撃――こちらに近づかなくてもいい攻撃だ。
槍よりも長い武器である。
今度はこちらが不利だ。
光線は絶え間なく放たれている。
「ぐ……」
――苦しい。胸が圧迫される。心臓が圧迫される。
――これ以上は危険だ……己の命にかかわる。
「くそぅ……」
ワタツミは少し後ろに下がりそして、
「一時離脱だ……さらばだ……」
といって瞬間的にそこから消えた。
後に残ったのはヒメノミコトの八咫鏡から放出される光線だけだった。
「ふぅ……伝家の宝刀を抜いてしまったのぉ……」
ヒメノミコトは鏡を地面の方に向ける。すると光線は放出されなくなった。
ヒメノミコトはそのまま鏡を懐に収めた。
「武殿、わらわに迷惑かけおって……」
ヒメノミコトは斜め前にあるヤマタクレイを見た。
「ヒメノミコトさん!」ホノニギが駆けてきた。
「おお、ホノニギ」ヒメノミコトは言った。
「ヒメノミコト様……」
絢と剛実が力が抜けたような様子でヒメノミコトの元へと来た。
「どうした主たち、なんだか顔面蒼白だぞ」
「ヒメノミコト様……武くんが……」
「ああ、武のことか……」
そう言ってヒメノミコトはもう一度ヤマタクレイの方を見た。
「穴が開いておるということは……やられたのか」
「…………」二人は黙っていた。
「しかし武殿がのぉ。ワタツミとやらはそんなに強かったのか……」
「…………」
「まぁしかし、何とか間に合ったのぉ。わらわがもう少し遅ければ武殿がワタツミにやられてたかもしれんのぉ」
「……えっ?」
絢と剛実とホノニギが3人同時に疑問する。
「ひ、ヒメノミコトさん……えと……それってどういう意味なんですか?」
「は? 何を言っておるんじゃ? わらわが遅ければ武殿が殺されてたかもしれんと言ったんじゃが」
「えっ……武くんはすでにもう殺されてるんじゃ……」
「武殿は生きておるぞ」
「ええっ!?」
絢と剛実とホノニギが3人同時に感嘆した。
「い、生きてるって……」
「生きておるぞあいつは。どうやら失神しておるようじゃが、生きておるぞ」
「生きてるんですか武くんが! ヒメノミコトさん!」
「ああ。生きておるぞ」
ヒメノミコトが言い終えるより早く、絢はヤマタクレイの方へと駆けて行った。
「これからいろいろせねばならんのぉ。まずは武殿の救出と……それと……」
ヒメノミコトは後ろの向こうにあるヤマツミクレイを見た。
「あれを供養せんとな……」
「はい……」ホノニギが項垂れて言った。
「武くん! 武くん! 生きてるんですか!」
絢は叫んだ。
どちらの絢も喜んでいた。
どちらの絢も求めていたものは同じだったから。
同じ。いつになっても同じ。
とにかく今は感激で胸がいっぱいだった。
「絢ちゃん!」後ろから剛実の声が聞こえる。
剛実はヤマタクレイの元へと着いた。
「剛実は……生きてるんだな」
「はい」絢が言った。
「武のやつ、心配掛けやがって……起きたら殴ってやりたいぜ」
「私も殴ってやりたいです!」絢が言った。
二人はヤマタクレイの腹に穿たれた穴を覗く。
その奥に、一人の少年の腕が見えた。