ホノニギ研究所 其の参
「えーと皆さん……。皆さんは僕のことを何か勘違いしているようですが……」
「安心してくださいホノニギさん。誰もホノニギさんの趣味を非難したりしませんから」
「ですから……」
ホノニギさんは慌てふためきながら話していた。ホノニギさんの様子を見ると……こうも必死に話しているところを見ると絢の言っていたことが本当のように思えてくる。
……ホノニギさんが巫女さん好きか。
正直、俺たちにとってどうでもいい話だとは思うのだが。
しかし巫女装束を贈られた絢にとっては複雑な話だと思う。
「それじゃあホノニギさん! どうしてホノニギさんは巫女装束を持ってきたんですか? その理由を原稿用紙3枚分で答えてください」
「えとですね……」ホノニギさんは長考している。
「それは……形見なんです」
「形見ですか?」
「ええ……僕の尊敬していた人の形見なんです」
形見、この巫女装束が。ホノニギさんの尊敬していた人の……。
「形見ってことは……その尊敬していた人は……」絢は訊く。
「死んでしまいました」
「そうだったんですか……」絢はしんみりした顔で言った。
「でも……どうして形見の服を……私に着せようとしたんですか?」
「それは……別に深い意味はないんですが……ただ絢さんはクレイを動かせる『起動者』ですから、ちゃんとした服があったほうがいいと思いまして」
「そんな理由で……私が形見の服を着てもいいんですか。これはホノニギさんの尊敬してた人の……」
「むしろ絢さんが着ていた方がいいと思います。これも何かの運命だと思いますから」
「運命……」
俺たちがここに来たのは運命なのだろうか、宿命なのだろうか、必然なんだろうか、偶然なんだろうか……
しかしホノニギさんの尊敬していた人というのは、巫女装束を着ていたんだからおそらく女の人だろう。女の人ということはもしかして……ホノニギさんの思い人だったりするのだろうか……。
ぜひ『尊敬する人』とホノニギさんとの関係を聞いてみたかったが、なんとなく聞けるような雰囲気ではなかったので保留しておいた。辺りの雰囲気が少ししんみりした雰囲気になった。
「まぁ、とにかくこの巫女装束は大事に着ますです。……ホノニギさん先ほどはあらぬ事を騒ぎ立てちゃってすいませんでした……」
「い、いえ……。誤解が解けたならいいですよ……」
ホノニギさんは微笑んだ。
「ホノニギさん、似合いますか」絢は立ち上がり腕を広げて言った。
「ええ、とてもよく似合ってます」ホノニギさんは言った。
「いいよなお前。戦闘用の服が合って」
「戦闘用の服? たしかにこれを着てクレイを起動させますからそう称してもいいかもしれませんが」
「俺も戦闘用の服が欲しいぜ。何せ俺はクレイの搭乗者だしな」
「戦闘用の服……。武君なら剣道着とかですかね」
「剣道着ならおれが貸すぜ!」剛実が威勢よく言う。
「いや結構」俺は即答する。
「そんな遠慮するなよ。お前の頼みなら俺がきいてやるぜ!」
「俺がお前の胴着を着たらお前は何を着るんだよ」
「うーむ、裸一貫になってしまうが武のためなら仕方ないな」
「仕方ないって……」
友人のために一肌脱ぐ男というのは聞こえがいいかもしれないが……。
度が過ぎるのはいろいろ危険だ。
「さて……絢さんが巫女装束を着たことですし、今日はクレイを動かしましょう」
「クレイを動かす? リングクレイも襲来してないのに?」
「リングクレイが来てないからこそですよ。リングクレイの襲来に備えて鍛錬しておきませんと」
「鍛錬ねぇ」
鍛錬か。ここ最近ゴタゴタがあって鍛錬らしきことはしていなかったなぁ。
ここ最近と言っても2日間のことだが。
それまでは……ほとんど休む間もなく剣道の稽古をしていたけどな。
稽古と実戦じゃ、俺たちのいた時代とこの時代とじゃさっぱり違う。
しかし……やってることは案外同じだったりするんだよな。
稽古が実戦で、俺たちのいた時代がこの時代で……。
稽古は大切だ。剛実を見ていたらよくわかる。
確かにあいつは天才だが、努力を怠ったことはない。人の倍、人の数倍努力する男だ。
『天才は1パーセントのひらめきと99パーセントの努力だ』とか偉い人が言ってたし。
とにかく稽古、鍛錬は大切だ。
「武くんは実戦で二回ほどクレイを動かしてますが、やはり実戦以外でクレイを動かす必要があると思います」
「そうだな……」
確かに、実戦でいい結果を取っているが……先ほど見事な敗退を期してしまったし、剛実みたく『修行』をしなきゃならんな。
稽古を怠って痛い目を見た奴を幾人か見たことあるし(かくいう俺も)。
「僕もいろいろクレイについて見ておきたいこともありますしねぇ」
「はぁ」
「とにかくこの後クレイを動かしに行きましょう」
「動かしに行くってどこに行くんですか?」俺が訊く。
「2日前にリングクレイと戦った荒野にでも行きましょうか。そこなら広いから動きやすいと思いますし」
「はい」俺が答える。
「それではみなさん、これから久禮堂に向かいましょうか」
そう言ってホノニギさんは立ち上がり、それに続いて俺たちも立ち上がった。
俺たちはホノニギさんの研究所を後にした。
久禮堂。
がらんどうの中に俺たち4人が入っていく。
俺と絢は久禮堂の上の縁の足場に立ち、
絢は、
「起動です!」と叫んで手の勾玉を掲げ、
「燐!」俺は『名前』を叫んだ。
そしてホワイトアウトした情景の先に、あの操縦席が現れる。
俺はヤマタクレイに搭乗した。
「しかし、広いもんだなぁ」
広い荒野の真ん中に巨大な土人形『ヤマタクレイ』が直立している。
ヤマタクレイに乗った俺は久禮堂から出て2日前のリングクレイの戦いのときのようにヤマタ国の外の荒野へと向かった。
直立するヤマタクレイの数メートル後方には絢と剛実とホノニギさんの4人の人影があった。
「それでは武くん、さっそく稽古をしましょうか」
「稽古をって、誰が稽古をつけてくれるんですか?」
「僕です。ヤマタクレイのことならいくらかは理解していますから」
「はぁ」
まぁ、ホノニギさんぐらいしかこのクレイについて詳しい人はいないと思うが。
しかしホノニギさんはなんかインテリというか、なんかひ弱というか、『稽古』って言葉が似合わない人だから稽古をつけてもらうのは少々不安だった。
ていうかなんか、ホノニギさんに教わりたくない。
俺、誰かの下になるのって嫌なんだよな……。
「それではまず武くん、ヤマタクレイを『走らせて』ください」
「走らせる?」
「ええ。思いっきりここを走ってください」
俺は念じる、思う、空想する。
走る自分を、走るヤマタクレイを。
ドン、ドン、ドン、ドン、
ヤマタクレイは大地を震わせながら走っていく。
ドン、ドン、ドン、ドン、
荒野を踏み、大地を踏み、走る。
青い空に向かって、真っ直ぐに進む。
ある程度走った後、後ろを振り向く。後ろには点になった、というかほとんど見えないくらいの大きさの3人の人影があった。さっと走っただけなのにもうこんなところに来ていた。
俺は3人の人影に向かって走っていく。
「ホノニギさん、走り終えたぜ!」
「はい、ご苦労様です」とホノニギさんが言う。
「それではもっと速く走ってみましょう」
「えっ?」
もっと速くって、今のも相当早かったと思うが……
「クレイは高速で、いや光速で走る人形なんです」
「光速でって……」
そんなに速く走れるのか……。この大きな土人形が……。
「その光速を極めれば、モサク一族との戦いに有利となると思います」
「はぁ……」
確かにそれさえ極めれば、怖いものなしかもなぁ……。
「光速を出すのは技術もいりますし、力もいります。そして極めたとしても連発はできません。……いろいろ厄介なところはありますがしかし覚えていて損はないでしょう」
「覚えておいてって言われても……俺にそれが覚えれるのかよ」
「一朝一夕にはできませんが、時間をかければできるかもしれません。それと絢さんの力を借りればもしかしたらできるかもしれません」
「私ですか?」絢が言う。
「私のスピリチュアルなパワーが役に立つなら、ジャンジャン借りてもらってもいいですけどね」
ジャンジャンって、その体躯にそれほどの力があるというのか……
俺としてはあまり絢の力を借りたくない。自分のプライドもあるし、あいつを危険にさらすのは避けたいし……もしものときだけ借りる気持ちでいたい。
「とにかく、ヤマタクレイが光速で走れるよう訓練をしましょう。武くん、今度はさっきよりも思いっきり速く走ってください」
「はい」
そしてそれから1時間か、いや20分程か、それとも2時間……
操縦室の中じゃあんまり時間の経過が分からないが。
ヤマタクレイは荒野を縦横無尽に、一心不乱に走っていた。
俺は強く『走る』ことをイメージしていた。
だがその走りの速度は、何回やっても同じような普通の速さだった。
とても光速にはたどり着かない。音速さえも、ていうか新幹線より遅いかもしれない。
本当にクレイが光速で走るのか?
ていうか光速って何? 高速、拘束? 校則?
光の速さって……一瞬じゃないのか……。
そんな一瞬の速さなんてどうやったらできるんだよ……。
俺はとにかく一心不乱に走った。
ホノニギさんはじっとその様子を見ている。剛実も同じくヤマタクレイを見ていた。
絢は……退屈になったのか、空の方を眺めていた。
苦しい……俺自身は走っていないのに、疲れがどっと来る。
フルマラソンをしたような苦しさ。したことはないんだが。
額に汗をたらし、呼吸は荒く、足は痛く。
こんなのは、こんなのはしょっちゅう経験してるじゃないか。
「うぉりゃあああああ!」
威勢のいい声を上げ、俺は、ヤマタクレイは走り出す。
荒野を、青い空に向かって、
北東に向かって――
「はぁ……はぁ……」
一心不乱に走りすぎたかなぁ。後ろを見ても人影が見えない。荒野にヤマタクレイが一体佇んで……
「ん? あれは……」
向こうに、向こうの荒野の真ん中に、一体の土人形が仰向けに倒れていた。
まるで天に向かって拝んでいるかのように――
そして……その土人形には見覚えがあった。
「ヤマツミクレイ……」
昨日戦った、ヤマツミクレイだ。
不気味な顔で『土男』な感じのクレイ。足と手は大きくて胴もでかい。
「どうしてヤマツミクレイがこんなところに……」
ヤマツミのやつが置いていったのだろうか? しかしこんな荒野の真ん中に……?
不思議感と不審感を心に同伴した俺はヤマツミクレイの方へと駆けていく。
ヤマツミクレイの近くにヤマツミがいるのだろうか。
しだいにヤマツミクレイの形が大きくなっていく。そしてそのヤマツミクレイのそばに着き、
「えっ――――」
穴が開いていた。
ヤマツミクレイの胴の真ん中に、錐であけたような穴があった。
穴は真っ暗で、
そして……
辺りには紅い紅い液体が散布されていて――――
「こっ……これは……」
これは……これは……これは……これは……⁉
人の血……。
誰かが……死んだ……。
「や、ヤマツミが……」