事のはじまり 其の壱
「武くーん!、武くーん!」
やかましい声が俺の頭の上にたたきつけられる。
陽気な五月の日、陽気で幼気な幼馴染は、陽気に、のん気に寝ている俺を起こそうとしている。
彼女の呼応にウンともスンとも反応せず俺は机の上で体を伏せて寝ていた。
俺は眠いんだ……。春眠ナントカカントカとか言うじゃないか……。
昨日の練習で体の節々が痛いんだ……。そして疲労も蓄積している……。
俺は剣道部なんだ……。帰宅部のお前と違って忙しいんだ……。
そこんとこわかってくれよ……。
「面ぇええええん!」
突如、幼馴染、姫野絢の面打ちが炸裂する。
「痛ぇええええ!」
面打ちというのは下手な奴がやるほうが痛いもんで……。
その上無防備の俺の頭上に炸裂させるとは……。
傍若無人で破天荒な幼馴染、それが姫野絢。
黒いおかっぱ頭の髪、そして無垢で無邪気な童顔、そして小人で電車が乗れるくらいちっちゃな背の少女。それが姫野絢、俺の小っちゃいころからの幼馴染。
「あ、武くん。起きましたですか?」
開口一番がそれだった。実にすっとんきょな、人を刺しといて「これは何事ですか」と言ってるような……そんな妙な返答。
人の安眠を妨害しといてそんな返答をするとは、無神経というか、能天気というか……。
「……な、なんなんだよ絢……」俺は寝ぼけながらそう答えた。
「ビッグニュースですよ武くん!ビッグニュースです!」
絢はいかにも嬉しそうに楽しそうに、手をパタパタさせ興奮を表現している。子供の様に、見るからに、見たままに子供の様なのだが……。
「ビッグニュースってなんなんだ?」
「大事件ですよ武くん! 『巨大土人形』が出土したんですよ!」
「『巨大土人形』?」
寝起きの俺には絢の言う『巨大土人形』がどういうものなのか想像できなかった。
だが、『出土』いう単語から絢の好きな考古学の話だということが推測できた。
「これです! 武くん!」
絢は手に持っていた新聞紙を武に見せた。
そこには、大きな……、ずいぶんと大きな、武人の埴輪の写真が載っていた。その埴輪は平坦な草地に仰向けに倒れていた。いや寝ていた。その埴輪の周りには何人かの水色の作業着を着た作業員がいた。
まるで合成写真のような画像。武人の埴輪を6倍ほどに拡大したように見えた。
画像の上にはその埴輪に負けないぐらい大きく『巨大土人形出土』と書かれていた。その下には『埴輪の類か』と書かれていた。
「なんなんだこれは……」
「ビッグニュースです!」
本当にビッグニュースのようだ……。何年か前に縄文時代のノコギリクワガタが出土した時以来の大ニュース、いやそれ以上のビッグニュースのようだ。
そこに書かれてる記事を斜め読みしてわかったことは……先日、奈良県桜井市の箸墓古墳から大きな埴輪のような土人形が出土した。前代未聞、空前絶後の発見で考古学者も慌てふためいているようだ。
しかしながら、この県は地面を掘ればいろんなものが出てくる……。それだから建物ひとつ立てるにも随分と時間がかかるのだが……。
しかしながら大きい……。その人形は土製で、土の鎧を着て土の兜をかぶって、そして細い目で(くぼませて描かれている)細い口で、不気味に微笑む土人形……。その大きさは全長6メートルほどと新聞に書かれていた。6メートル……人間3、4人分くらいか。土人形というより仏像という感じである。そんなものが埋まっていたとは……絢が騒ぐのも無理はない。
「箸墓古墳は卑弥呼の墓ではないかと言われていましたからねぇ……こんなすごいものが出てくるとはわくわくしますねぇ!」
卑弥呼の墓ねぇ……卑弥呼ってのは確か邪馬台国の女王だったよなぁ。女王様の墓ってことは金銀財宝とかザックザックなのかなぁ。
それにしても、絢の考古学に対する執拗でオタクな精神にはあきれるしかない……
こんな年で考古学に興味を持つとは……一応17歳の女子高生なんだからもっと女の子らしいものに興味を持たないものなのだろうか。
「ん? どうしたんですか武くん?」
「いや……お前にも女の子らしい趣味とかないのかなとか思って」
「女の子らしい……」
すると絢はポケットから角の生えた人形を取り出す。
「せ〇とくん人形です!」
「…………」
やはりあきれるしかない……。この頭のネジが外れた天然人間は……。
確かにゆるいキャラというのは女子に人気かもしれないが……。その絢の持っている人形においては絢以外で本気でかわいいと思っている人間がいるかどうか怪しすぎる。怪しい人間姫野絢、怪しいのあやは姫野絢のあや……。なんという言葉のあや……。
絢は何やら新聞の土人形についてあーだこーだ言っていた。絢の言っていることはよくわからない単語やよくわからない人の名前が出てきたりしていてよくわからない。俺の頭のスペックじゃ理解できない。
教室の時計に目をやる。時間は4時過ぎ。
「絢、もう俺部活いかねぇと」
「あ、もうこんな時間ですか」絢は教室の隅の時計に目をやる。
「お前は考古学の話になると時間を忘れて話すからなぁ」
「武くんは太古のロマンってやつを感じないんですか?」
「あいにく俺は過去を振り返らない性質なんでね。俺は目先の部活をがんばらねぇといけねぇからなぁ」俺は席を立ち教室の入り口へ歩み寄る。
「部活頑張ってくださいです武くん」
「ああ、行ってくる」腕を振る絢に一瞥し教室を出た。
体育館横の道場への道を通るコンクリートの廊下を、重い防具と、細い竹刀を担いで歩いていた。
すると向こうから顔を見知った一人の女子が歩いてきた。
「あ、武」ショートヘアーの眼鏡をかけた女子が声をかけた。
「お、久那」俺は返答する。
こいつは俺の小学校からの幼馴染乙女山久那。清楚で上品な雰囲気を持つ少女、とみんなから言われているそうだが。俺は案外普通な奴だと思うんだが……。
久那はいわゆる『お嬢様』というやつだ。決して『お嬢様キャラ』というわけではないが……、いいところの出らしい。『らしい』というのは……本人がその実態を教えてくれないのだ。家は豪華絢爛、そして純和風の造り。どこかの大会社の娘か、はたまたヤクザの娘か……10年以上の付き合いの俺たちにも話してくれない。
久那との出会いは、確か俺が絢と男友達の剛実と遊んでいたとき一緒に混ざって遊んだのがきっかけだった。その当時は久那と別クラスだったため一緒に遊ぶまでは久那の隣人の剛実以外俺たちは久那のことを知らなかった。そして家に呼ばれるまで『お嬢様』ということも知らなかった。たしか久那の家に行ったとき絢は石像のごとく固まっていたなぁ。
「武、これから部活なの?」
「ああ、これからなぁ」
すると久那はとたんに溜息をついた。何かあったのだろうか?
「武、今日剛実に出会わなかった?」
「剛実ィ?」
剛実とはさっきの話に出てきた俺の男友達のことである。ちなみにこいつも幼馴染というやつである。
剛実のことを一言で説明すると……とにかく『馬鹿』である。
体力馬鹿、剣道馬鹿、精神馬鹿、熱血馬鹿、とことんバカ、そして馬鹿正直でなんやかんやでいいやつである。
ガタイのデカい、短髪の男。それが剛実、本名藤ノ木剛実。強靭な肉体と、強靭な精神力を有しており、毎日剣道の修行にはげみ、時には山にこもって修行することもある。そんなまっすぐな男。だが馬鹿である……。
「剛実……」俺は刹那だけ考える。
「そういえば今日休んでたな」そういえばそうだった……。でもあいつが休むとは……。あいつは確か病気に一度もかかったことがないって自慢していたんだが。真冬の山で滝行をするぐらいの男だから風なんかひかないと思うんだが。馬鹿は風邪をひかないって言うし。
それじゃあなんで休んでるんだろうか……。
「武……」久那が呆れた顔で話し始める。
「実は今朝、剛実の家に行ったら、剛実のお母さんが『剛実なら修行の旅に出ました』って言ってたのよ……」
「…………」
修行の旅……まさかそのために休んだのか……学校をダルいという理由で休むような輩がいるこの時代、修行のために休むとは……。まぁ推薦入学でこの学校を入学してきた剛実にとって学校の授業というのは、お坊さんが読むお経のようなつまらなくて退屈なものなのだろう。
かくいう俺もここに推薦入学で入ってきたんだが……。
「修行の旅……あいつどこに行ったんだよ……」
「剛実のお母さんいわく、『吉野のほうへ行ってきます』って書置きがあったそうなのよ」
「吉野ねぇ……大峰山にでも登っているのかねぇ」
大峰山とは奈良県吉野郡天川村にある修験者の修行場である。何年か前に世界遺産になってからあのあたりもばかに有名になったものだ。ごつごつとした岩山を登ったり、断崖絶壁から谷底をのぞいたりと随分と過酷な修行を行う。いわゆる精神修行というやつだ。どちらにせよ今の世の中高校生でそんな修行を進んでやるような奴はあいつぐらいだろうと思う。
「まぁ、いつものことだからなぁ……」剛実が修行の旅に出かけるのは珍しい話じゃない。よくある話だ。良くも悪くもよくある話だ。突然修行に出て突然帰ってくる。あいつは真面目なんだか馬鹿なんだか時々わからなくなるものだ。長年付き合ってる俺でさえも理解不能で予測不能だ。
「はぁ、心配する身にもなって欲しいわ……」久那が溜息をついて言った。
昔から久那はよく剛実の面倒を見ている。隣人だからなのか幼馴染だからなのかどちらにせよ今の今まで馬鹿の化身の剛実の面倒をよく見ている。よく飽きもせずに。久那は見かけによらず面倒見のいいやつなのである。
「まぁ、書置きに『三日後に帰ってきます』って書いてあったって言ってたから三日後には帰ってくると思うんだけどねぇ」
「三日後ねぇ」三日後にはたくましくなった剛実が姿を現すのだろうか。
「まぁ、俺も剛実に負けないように部活頑張らねぇと」俺は肩に背負った防具を背負いなおす。
「あ、武部活だったんだわね」
「ああ、これから行ってくるんだ」
「部活頑張ってね武」
「ああ」俺は久那に返事をしその場を後にした。
道場に着く。
つやのある茶色い板張りの床、木で組まれた天井。正面に神棚。
そこに、一人の紺の胴着を着た先輩がいた。
「お、武。来てたのか」先輩振り向いた。
「先輩、こんにちわッス」紺の胴着と袴を着た背の高い先輩に挨拶をする。
「武、今日は剛実は来てないのか」
「剛実なら今日学校休んでたんッスよ」
「休んでた? あいつがか?」
「なんだか修行に行くとか何とかで休んでるみたいですよ」
「修行ねぇ。ははは……」先輩は少し呆れたような笑いをした。
俺と剛実はこの剣道部に所属している。長年剣道をやり続けていたので今でも剣道を続けている。
剛実の『剣道馬鹿』という名称は伊達ではない。なんとあいつは毎年全国に行くほどの剣道の達人である。まぁ、あれだけ熱心に練習したり修行したりしていればおのずと成果は出るだろう。
剣道三段を習得していて、全国に出ていて、あいつはかなりすごい奴である。あいつのする剣道はなんだか格が違う……。雑念がないというか、まっすぐというか、あんなきれいな面打ちをするのは藤ノ木剛実以外では前代未聞である。
対する俺は……自慢ではないが県大会に行くぐらいの実力はある。だが……剛実の足元にも及ばない……昔は剛実より俺のほうが強かったのだが、いつの間にか抜かれてしまった。まるでうさぎとかめのようにうさぎの俺をかめのように地道に進む剛実が確実に抜かしていった。その差は開いていくばかり。あいつは確かに剣道に関してだけはアインシュタイン並に『天才』である。天性の天才である。しかし例えあいつが天才だったとしても負けたくはなかった。幼馴染だから、悪友だから、ライバルだから。でも勝てない。まるで雲の上にいる存在……そんな高いところまで行ってしまった。今じゃもう、まぐれで剛実に一本取ることさえもままならなくなってしまった。
剛実が強くなっていくのは俺にとっては複雑な気持ちになる。当の本人は馬鹿だからそんな俺の心中はどう間違えても察することはできない。まぁ、そんな俺の心中を察したところでなんになるって話なんだが。
剛実は何も悪くない、ただ自分が地団駄踏んでるだけだ。そんなに剛実に勝ちたければ、追いつきたければ、努力すればいいだけの話である。そんなことは分かっている。大きくなるにつれて分かっているのにやらないことが増えているような気がする。そんな複雑な気持ちを抱えながら今日も剣道の稽古に励む。
しばらくすると部員たちがぞろぞろと集まってきた。部員が全員胴着と袴に着替えた後、集合して体操をして、素振りを軽くして、そして面付け……防具を取り付けていく。
『流山』と書かれた垂を腰につける。この垂をつけて今まで剣道をしてきた。試合に出て勝ち進んでいくのは楽しいものであった。剣道の試合というのは一般的なスポーツの試合とは少し違う。熱狂的な応援や声援なんかは剣道では御法度である。あくまで厳粛に、応援するにしてもちゃんと正座して『ファイト』と一人一人が独立して声をかける。まぁ、剣道というのは『武道』だから礼節をしかと重んじなければならない。相手を倒して勝ってうれしい、という話ではない。剣道というのは剣を交えるもの。昔ならば生きるか死ぬかの『闘い』だったものだ。剣道は『闘い』自分との闘い、自分自身との闘いだ。
防具を素早く迅速に正しく取り付ける。防具をつけた人は向かい合うように間を数メートル開けて二列に並んでいく。今日もいつもの稽古が始まる。剣道をしていると頭の中のもやもやがすっきりと無くなっていくような気がする。ストレス発散というやつである。
「面打ち、始めぇええええ!」
キャプテンの野太く、たくましい、大きな声が道場中に響く。そしてそれに続いて大きな叫び声が続く。
今日もいつものように、日暮れまで稽古が続く。