プロポーズは婚約破棄の始まり
「フレアさん。君が好きだ。どうか私と婚約してくれ」
「え……? アーネスト様、私たちとっくに婚約していますよ?」
生まれて初めてのプロポーズは、一年も前に婚約した婚約者からでした。
「フレアさんと婚約? いや、私が聞いた縁談はキャサリンという女性で、でも断られたと……」
キャサリンは私の妹です。妹が断ったので、姉の私に縁談がスライドしたんです。
……そう説明するのも惨めだ。
私は黙ってアーネスト様の研究室を出た。
外はとても明るく、行き交う生徒たちが賑やかで、これぞ王立学園の放課後!という感じだ。いつもアーネスト様の研究室に遅くまでいて、人がいなくなった頃に帰っていたから、こんな早い時間に帰るのは久しぶりだ。
そう言えば、アーネスト様は若い男女が毎日一つ部屋にいるのをおかしいと思って無かったのだろうか。婚約者だから、学園も何も言わなかったのに。
つくづく世間に興味が無い人だ。
馬車停めに行こうとして、馬車はいつもの時間に来るから今はいないと気づいた。
困った、と中庭のベンチに座ってたら
「お姉様?」
と、声を掛けられた。一年下の妹のキャサリンだ。
「助かったわキャサリン。一緒に馬車に乗せて!」
「構わないけど、アーネスト様は?」
「その、今日はちょっと疲れちゃって」
キャサリンは、私が毎日の研究室通いに疲れたのだと思ってくれた。
馬車の中で、キャサリンを盗み見る。
私と違って、明るくて社交的なキャサリン。アーネスト様との縁談も、研究ばかりで社交に興味の無いアーネスト様に健康的で社交的な妻をと最初はキャサリンに縁談が来たのだ。
アーネスト様は、歴史ある伯爵家の三男だ。しかしその名は、家名よりも魔導学の天才として知れ渡っている。
すぐにもアカデミー入り出来る能力があるのだが、貴族の子息が王立学園を卒業しないわけにはいかないと、父の伯爵の命令で学生をやっている。
とは言っても、研究棟の一室をアーネスト様の研究室として与えられて、かなり融通をきかせてもらっている。たまに見かける姿は、周りに興味が無さそうでいつも一人だ。
キャサリンは、「そんな人とは無理」とあっさり縁談を断った。
「結婚するなら、一緒にいて楽しい人じゃないと! あの方とはきっと話も合わないし、気も合わないわ」
家族が皆それもそうかと納得していたら、
「お姉様のような、真面目で物静かな人の方が合うと思うの」
と、言った。
「私?」
驚く私に、両親も兄も「確かに」と言っている。
(ふうん、私ってああいうタイプとお似合いなのか)
と、思っただけで、その話は終わったと思っていた。
だが、父がお断りの返事にそう書き足した事で、相手がその気になってとんとん拍子に話が決まってしまった。
タイミング悪く両方の親の都合が合わなくて顔合わせ無しの書類だけで整った縁談となり、私は学園のアーネスト様の研究室に挨拶に行った。
アーネスト様は手元の本から視線を動かさずにから返事で、挨拶をする私にも興味が無さそうだ。まあ、親が決めた結婚相手なんてそんなものだろう。
私は私で、研究室の惨状に目を奪われていた。
そこはカオスな部屋だった。
机の上から崩れ落ちた書籍や書類が床を埋め、棚に無造作に突っ込まれた沢山のビーカーには何やら乾燥した汚れがこびりついて、その隙間に何やら煤けたような植物や薬品が無秩序に置かれている。歩くと靴の下が粘つく感触がした。
そんな部屋に溶け込むような、汚れた白衣を羽織ったアーネスト様。
家に帰っても研究室の状態が頭から離れず、私は侍女にビーカーにこびりついた汚れの取り方を聞いた。
それから、私は少しずつ研究室の掃除をするようにした。アーネスト様の様子を見ながら、許可をとった場所を少しずつ。
そのうちに、私は時間を忘れて研究に打ち込んでしまうアーネスト様を、退校時間になると研究を終わらせて伯爵家の馬車まで引き摺って行くようになった。
そのため、授業が終わると私はアーネスト様の研究室へ行き、掃除をしたり、本を読んだり、アーネスト様の論文を清書したりしながら過ごす。
更に、お昼休みに研究室に入ったアーネスト様が昼食も摂らずに研究に熱中し、研究に没頭したまま午後の授業を忘れる事が多いと気づいて、シェフに二人分のランチを用意してもらい、毎日研究室で二人でランチをいただき、午後の授業にアーネスト様を送り出すのも私の役目となった。
床の汚れはモップという物を使うのだと知った。
ゴミは、ゴミ箱に入れると業者が回収してくれるのだそうだ。(回収されたら取り戻せないので、捨てる前によく確認)
アーネスト様はお茶を飲んでいる途中で研究に気持ちが移ると、カップをそのままにして熱中してしまってカップを倒すので、タイミングを見てカップを下げて洗うのが上手くなった。
一般的な婚約者らしい事なんてした事ないけど、それなりに上手くいってると思ってたのになぁ。
そう言えば、お礼を言われた事が無いわ。
むしろ、学園の教師たちの方が感謝してくれてたっけ……。
なんて事を考えていたら、キャサリンが思い出したようにアーネスト様の話をした。
「アーネスト様がまた新しい魔導式を作ったそうですね。優秀でお金持ちの旦那様で羨ましい!」
「じゃあ、私と替わる?」
無意識にキツい言い方になったのだろう、キャサリンが驚いた顔をした。
「アーネスト様と喧嘩でもし たの?」
心配そうなキャサリンに申し訳なくなって、アーネスト様にプロポーズされた事を話した。
「はあああ? アーネスト様、婚約者でもない女性に毎日世話をしてもらってたって事?」
「ただのお手伝いさんと思われてたのね……。ある意味、両思いになったという事なのかしら」
「逆よ! 『便利なメイド』と認識したって事! 好きになったのなら、まずお姉様に婚約者がいないか調べるわよ! アーネスト様、お姉様の誕生日を知ってる? 好きな花を知ってる?」
知らないのならメイドのスカウトと同じよ!、と言われて落ち込む。
逆……。両想いじゃなくて失恋かぁ。
家で皆にアーネスト様にプロポーズされた事を言うと、両親と兄も怒り狂った。
「人の妹を、今まで何だと思っていたのだ!」
何だと思っていたんでしょうねぇ……。
「フレアをそんな扱いする奴など、婚約破棄して構わん!」
「ええ、慰謝料に今までのランチ代をプラスして請求してあげるわ」
婚約破棄、ですか……。
「取り敢えず、よく考えてみます」
翌日、お昼休みに二人分のランチを持ってアーネスト様の研究室へ行くと、アーネスト様は上機嫌だった。
普段の無表情からは想像出来ない笑顔がこぼれ落ちてる。
「両親に確認したよ! フレアさんは本当に私の婚約者なんだね!」
子供のように喜ぶアーネスト様をいなして、散らかっている作業テーブルを片付けながら私も笑みがこぼれるのを止められない。
私が婚約者だという喜びをためらわずに表現してくれてる。ああ、欠点だらけだけど私もアーネスト様が好きなんだよなぁ。
テーブルの上にランチの入ったカゴを置いて二人分のカップとお皿を棚から出すと、水桶から魔導ケトルに水を入れて魔導コンロにかける。
道具に魔導式を読み込ませた物を魔道具という。魔道具になれば、人間の持つ魔素に反応して動くようになる。
以前は、ケトルはお湯が沸くとケトルまで熱くなって持つのが大変で、火傷をする人が絶えなかったそうだけど、まだ幼いアーネスト様がお湯が沸騰してもケトルが熱くならない魔導式を作ったそうだ。
アーネスト様は、いつも人のために研究している。
お茶を淹れて、テーブルでアーネスト様とランチをいただく。
嬉しさで昨日のプロポーズを有耶無耶にしてしまいそうだけど、キャサリンの「それではメイドのスカウト」を思い出し、昨夜じっくり考えた事を言う。
「アーネスト様が私を、す、好きなのでしたら、これからは婚約者としてのお付き合いしたいと思います」
「そうか、いいね!」
分かってんのかな。
もう、あなたのお世話はしませんって言ってるんだけど。
「これからはアーネスト様と、こ、婚約者として一緒に色々な経験をして、な、仲を深めたいです!」
「嬉しいな。私もそうしたいよ」
物凄く勇気をふりしぼったのに、あっさりと了承された。
「ありがとうございます!」
先にランチを食べ終わった私は、本を読みながらまだ昼食を食べているアーネスト様を残して、自分の使った皿とカップを洗い、ランチを入れて来たカゴを抱えて研究室を出た。
もう、アーネスト様を午後の授業に送り出す事はしない。
授業が終わり、私は研究室に行かずに帰る事にする。
早速アーネスト様が婚約者としてどこかに誘いに来るかと少し期待してたけど、その気配は無し。まあ、今日言われてすぐには無理だよね。
朝に言っておいたので馬車が待っていた。乗り込んで家に向かう。
久々に何の予定も無い放課後だ。
自分の部屋でのんびりとした。時間が沢山ある。当たり前の事だけど、贅沢な気持ちだ。
これから、私たちは普通の婚約者。
アーネスト様は、私をどこに誘ってくれるだろう。
本当は憧れていたんだ。
アーネスト様のお世話をするのも好きだけど、婚約者らしい事をしてみたかった。
放課後や休日に二人で出掛けたり、誕生日を祝ってもらったり。
「あ……。でもアーネスト様なら、お店選びがビミョーだったり、プレゼント選びがズレていそう」
いや、「いそう」じゃなくて「確実に」だろうなぁ。
でも、それも楽しみだ。
などとのんびりした空気は、アーネスト様が行方不明になったとの知らせで吹っ飛んだ。
暗くなった学園を駆け抜けて、アーネスト様の研究室に着く。
部屋の中には伯爵夫妻と伯爵家の騎士たち、数名の教師が所狭しと待ち構えていた。
「呼び出してすまない。伯爵家の御者が『アーネスト様が来ない』と言うので校内を探したんだが、どこにも見つからないんだ」
挨拶もそこそこに、教師が説明する。
馬車を使ってないと言うことは、校内のどこか……。
部屋中の皆の注目を集めながら、私は満遍なくごちゃついてるアーネスト様の机の上のある一角を調べる。この一角は、私に決して掃除させない、今使っている物がある区画だ。
アーネスト様は今、植物に魔素を含ませる研究をしていたから植物関連の本が多い。片っ端からパラパラと見ていくと、ページの角を特徴的に折ったページを見つけた。
「ピポ草……。これを探しに行ったのかもしれません!」
「それは何だ? 貴重な植物なのか?」
伯爵が勢い込んで私に問いかけるのを、後ろから教師が穏やかに回答する。
「よく見る草ですよ。湿地を好むので、この近くなら裏の森の沼の周りにいくらでも」
と言ったところで皆がアーネスト様の行き先に気づいた。
一斉に用意してあったカンテラに火をいれてバタバタと部屋を出ていく。
部屋には、私と伯爵夫妻と護衛が二人だけ残った。
「と、取り敢えず座りませんか?」
作業テーブルの質素なスツールを進める。これしかないのだから仕方がない。
素直に座った伯爵夫妻と向かい合って座ると、何とも言えない落ち着かなさ。
しかも、テーブルの上にはランチのカップとお皿が置きっぱなしだ。その周りに、ランチの時は無かった本や書類が増えている。
どうやらアーネスト様は、ランチの途中で何かを思いついて午後の授業を忘れて研究に没頭していたようだ。
私と婚約者らしい事をしよう、なんて思ったのはもう忘却の彼方なんだろうな。
ムズムズしていると、伯爵が口を開いた。
「フレア嬢。お会いするのは初めてだな。アーネストがいつも世話になっておる」
「いつもありがとう」
いえいえこちらこそと三人で頭を下げあう。
「アーネストがね、あなたが婚約者と知ってどれだけ喜んだか」
伯爵夫人の言葉に、伯爵がうんうんと頷いてる。
まさか、アーネスト様のプロポーズが「いい話」として受け取られている?
「あの……。今まで、アーネスト様は私の事を何だと思っていたのでしょう」
お二人が固まる。
「婚約してから一年近くありました。その間、アーネスト様は婚約者でも無い女性に毎日ランチを食べさせてもらって、研究室を掃除してもらって、世話をしてもらって、お礼も言わずにいたという事ですよね」
「え……?」
「それって、婚約者じゃなくてメイドですよね」
「………」
アーネスト様のプロポーズが、ハッピーエンドじゃなくて、やらかしたのだと気づいたようだ。
そこに、伯爵家の従者が飛び込んで来た。
「アーネスト様が見つかりました! 沼地で足首を捩じったそうです!」
騎士におんぶされてアーネスト様は無事に戻って来た。
伯爵夫妻は教師たちに駆けつけてお詫びとお礼を言い、騎士たちはアーネスト様を椅子に座らせると、護衛を残して伯爵家に帰って行った。馬車をこちらに回すので待つように言って。
「あ、そうだフレアさん」
ごそごそと上着のポケットを探ったアーネスト様は、薄ピンクの可憐な花をつけた数本のピポ草を大切に取り出すと私に差し出した。
手を伸ばしかけた所に
「萎れないように水に挿しといて」
の声が重なる。
「心配をかけて悪かった」でもなく「来てくれてありがとう」でもなく。
私ね、研究じゃなくてあなたが好きなの。
でも、あなたは「研究の手伝いが好きなフレア」が好きなのね。
あなたの「好き」と私の「好き」は、絶対に重ならない……。
伸ばしかけた手を戻すと、アーネスト様が不思議そうな顔をする。
「私にはもう無理なので、ご自分でおやりになって」
という私の言葉に、アーネスト様はコップを探し始めた。
机の上に積み重ねられていた本が崩れ落ち、飲み残しのお茶のカップが倒れ、机の上の書類を汚す。
もう、それを見ても私は何も感じなかった。
「長い間、ありがとうございました」
私の声が聞こえたのは、教師たちを見送った伯爵夫妻だけだった。深い礼を返してくれる。
アーネスト様は、水桶の蓋を閉め忘れたせいで入っていたカエルに大騒ぎだ。
私はアーネスト様に背を向けて研究室を出た。
間もなく婚約は破棄され、アーネスト様は学園を退学してアカデミーに入った。
これからは心置き無く研究に没頭できるだろう。
私は多少好奇の目で見られたが、キャサリンの根回しでアーネスト様の非常識さに振り回されたのだと同情してくれる人の方が多いので、肩身の狭い思いも無く学園に通っている。
ただ、お茶を飲んだ後にカップを下げようとする癖が抜けず、侍女に叱られた。
しばらくして、アカデミーが植物に魔素を含ませる魔導式を発明したと発表した。
その魔導式を含ませた植物を庭や植木鉢に植えておけば、魔素の少ない人でも植物から魔素を吸収して魔導具を使う事が出来る。
生まれつき魔素の少ない者や、魔素の減った老人や病人に朗報だと新聞は讃えていた。
相変わらず、あの人は人のためになる事を発明しているようだ。
その魔導式の名は「フレア回路」といった。




