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 休憩所で、ワインレッドの手触りの良い布が張られたカウチソファに降ろされる。二人掛けのそれにヨミも腰を据えた。


 じっと睨みつける。


「あはは、素の方のシェラだ」

「今はそんなことどうでも良いです。どういうことですか?」


 ヨミは肩を竦めた。


「僕は王太子殿下と密かに手を組んで、ミフェロ嬢の悪事の証拠を見つけていたんだよ。それで証拠が揃い、ミフェロ嬢がパーティーでシェラを断罪しようとすることが分かったから、かねてから会議を開いていた国王陛下たちにも報せたんだ」

「なぜ、ですか」


 ドレスに皺ができるくらいにキツく握りしめる。


「私は、一人で十分でしたのに……!」

「うん、知ってるよ。だから僕たちは、シェラが困っている時だけ出しゃばることにしたんだ」


 悔しくて下唇の内側を噛んだ。


「それが迷惑だったと言うのです! 私は一人で全て出来ました! なにも困ってなんかいません……! あの時だって、きっともう少し考えれば良い考えが浮かびました!」


 熱くて、痛くて、息が上手く吸えない。


「どうして……! 私はもう弱いままじゃないんです、強くなったんです。だから助けなんて要りませんでしたのに!」

「なんで、助けなんて要らないと思うの?」


 あくまで穏やかに尋ねられれば、声を荒らげ続けることも難しい。手を取られる。はっとすれば優しい眼差しがそこにあった。

 全ての感情を排斥したような瞳。


 心の内を吐露してしまう理由は、それだけで十分で。


 乱れた息遣いが漏れる。見開いた桃色の瞳から、一粒涙が流星のように落ちる。

 それは、幾重もの嘘という花弁が落ち現れたものだった。


「だって、誰も、助けてくれないじゃない……」

 虐められているのを見て見ぬ振りをしたクラスメート虐められているのをなかったことにした先生助けを求めたのに助けてはくれなかった警察助けるどころか三澄をより酷く扱った父親三澄を置いていった母親。


 そうだ、だから三澄は強くなった。そうでなければ、どうしたら自分の心を守れるというのか――


 ヨミの人差し指の腹が、三澄の小さな手をすりと撫でた。


「僕は助けるよ、永遠にシェラの味方だから」

「……嘘言わないで」

「嘘じゃないよ」


 おかしくて笑みが浮かぶ。


「どうして? 私は強いのに助けようとか言うの? そんなに弱く見える?」

「強いか弱いなんて関係なくて――手を伸ばして貰った方が、嬉しいでしょう?」


 ヨミはシェラマリーから視線を外し、遠くを見つめる。過ぎ去った思い出を手繰り寄せている。


「昔、兄さんたちのせいで誘拐されたことがあったでしょう? その時にね、僕は凄く驚いたんだよ、それからの人生が全て変わるくらい。なんでだと思う?」

「…………」


 力なく首を横に振る。ヨミがあははっと声を上げた。


「だってね、シェラは『自分を助けられるのは自分だけ。誰も助けてなんてくれない』って言ったのに躊躇いもなく僕を助けてくれたんだよ? 手をしっかり引いて、強く前を見据えて。そんなシェラに、僕は呆気ないくらい簡単に恋に落ちた」


 なんて矛盾に満ちた少女なのかと驚いた。だがそれが、少女の根幹にあるものだと幼いヨミは見抜いた。


「だから強くなりたいと思った。今度は僕が、シェラが困っている時に手を伸ばしてあげられるように。シェラがそうしてくれたように、僕も人としてそうしたいと思ったんだよ」


 人として――その言葉は、「愛してる」だとか「婚約者」だからという言葉より、よほど三澄を安心させた。

 頑なだった心が緩む。


「……そっか」


 ふふふと柔らかく笑う。涙がポロリと落ちた。


「そっかぁ」


 弱いから手を差し伸べるのではなく、強いから手を引っ込めるのではなく。ずっと、隣にいてくれる。

 それを、親愛と呼ぶのだろう。


「シェラマリー。大丈夫、泣かなくて良いんだよ、怒らなくても良いんだよ。そうしなくても、君の気持ちはちゃんと届いているよ」

 だから、笑って。


 優しい囁きだった。釣られてもっと笑えば、ヨミもにっこりする。


 ――三澄は、ずっと誰かに助けて欲しかった。それが叶わないと知って絶望して、強くなろうと足掻いた。


「そっか、もう良いんだね……」


 強い風が、木の葉が擦れる音と共に体を突き抜けた気がした。

 辛い記憶が、遠く遠く、もう手が届かないところへ消えていく。羽ばたいて飛翔する。


 今なら、素直に言える気がした。


「本当、は、ずっと……助けて欲しくて」

「うん」

「あの時も、リズ様を助けたいのに……どうしたら良いか、分からなくて頭が真っ白になったの」

「うん」

「だからね。助けてくれて、ありがとう」

「どういたしまして」

 

 気分が落ち着いてくる。それと同時に、二人きりという状況に無性に恥ずかしくなった。


 今までこんなに恥ずかしいことなかったのに、どうしてぇ!? 頬に手を当て、赤い顔を隠すためそっぽを向いた。


 熱くなった頬を冷まそうと苦心しながら、はたと気づく。

 シェラマリーが受け入れてしまったのだ。この人は確かに体の大きな男の人だけど、自分を傷つけることはないと。……好きなのだと。


「シェラ?」

「なんでもありません……」

「……?」


 ぱっと勢い良く立ち上がった。


「さ、さぁ、これからどうしましょうか!」

「ふふ、それなら決まってるよ」


 目を離した隙に女の姿に変わったヨミに腕を引かれ、抱き締められる。そのままソファに体を横たえた。広いと言っても所詮はソファ。体が密着し、熱が集まる。


「寝ようか」

「え」


 耳元でヨミが囁く。


「寝ている間に全部が終わってるはずだからね」

「……はい」


 可愛らしいドレスに身を包んだヨミは、シェラマリーを最大限尊重してくれているのだろう。

 なんとなく、不思議な気持ちが足から迫り上がってくる。


「……いつものヨミ様じゃないんだ」


 落胆。小さく呟いたが届いてしまったらしい。ポフン、と男の姿に戻って髪の毛に顔を押し付けられグリグリされる。


「〜〜〜っ!」

「うぅ、痛い、痛いです!」


 拘束は苦しいが寝る時なのに温かくて、ゆっくりシェラマリーは眠りに落ちていった。


◇◇◇


 朝、目を覚ますと見慣れた部屋だった。寝ている間にカリメダ公爵家に返されたのだろう。

 起きたことに安堵したように目元を綻ばせたルドフェンが、その後どうなったかを教えてくれた。


「まず、ミフェロ・シーダ公爵令嬢並び令嬢二人は従属の魔法をかけた上で修道院で過ごすことになったよ。実質的な幽閉だね」

「……そうなんですね」

「うん。それからもう二人も従属の魔法をかけた上で鉱山での五年間の労働刑に処されたよ」


 ……自分が痛い想いをした分、誰であっても苦しんで欲しくないという気持ちが根底にある。だがこれは受け入れるしかないのだろう。


 しかしルドフェンが次に重々しく発した言葉に、シェラマリーはそうも言ってられなくなった。



「……あ、シェラマリー様」


 アスター伯爵家の前。小さなトランクを一つだけ持ち、リズはどこかへ行かんとしていた。

 ルドフェンの手を借り馬車から降り、気持ちだけは猛然と突き進む。

 会って早々、リズは深々と頭を下げた。


「シェラマリー様、今まで本当に申し訳ありませんでした。……良かった、謝ることが出来なかったのが心残りだったので」


 えへへ、と微笑むリズが、ミフェロたちと共に修道院へ行くことを望んだと聞かされた。自らも贖いをしなければならないと。


「本当に、申し訳ありませんでした。これからの最良を願っております」

「リズ様。……どうして」

「脅されたかなんて、嫌な思いをされたシェラマリー様からすれば些細な違いです。だから私も行かなくては。それに、私は家を継ぐわけでも現在婚約者がいるわけでもありませんし」

「ミフェロ様たちと一緒に?」

「はい」


 リズは、色々なものが吹っ切れたのか穏やかな顔をしている。

 飛んで消えていってしまいそうで、手を取り繋ぎ止めた。


「償いというのなら、修道院に行くのは駄目です」


 彼女には弱さがあった。けれどそれが、一生許されないものであるとは思わない。


「わたしは、貴女を許します。だから、これから幸せになりたいと、そう思って欲しいんです」


 たった一度の弱さで人生を崩すには、リズには善性がある。

 

「どうしてそんなに、私のことを……」

「聞いたからです。もう虐めなんて止めましょうと何度も言う貴女の声を」


 重たい前髪に隠されたリズの瞳が煌めく。オレンジの瞳は、水を張ったように潤んでいた。


「わたしは、リズ様のその強さを信じています。だから、今度はもう負けないでくださいね」

「……ぅ、っう。うわあーん、シェラマリー様ぁ!!」


 抱き着かれ、彼女が被っていた帽子が落ちる。茶色の髪を撫でながら、シェラマリーもリズの背に手を這わした。

 よしよしと撫でれば赤ちゃんのようにリズは泣き続ける。


「私、頑張りますっ。シェラマリー様が誇れるような――侍女になります!」

 ん?


「侍女?」

「はい! この身全てをシェラマリーに捧げ、いざとなったら身体も差し出す所存です!!」

 冗談? え、本気ってマ?


「いえ、別に好きなように生きて良いのよ?」

「これが私の願いです! 本当は入学式の時も、シェラマリー様と踊りたかったくらいで……!」


 悔しい! と拳を握りプルプルするリズに苦笑する。


 早速侍女のユリネに挨拶に行く? と誘ってみれば高速で縦に頷かれた。

 一緒の馬車に乗りながら何気なく


「家に呼ぶなんて、なんだかお友達みたいですね」

「えへへ……私には身に余るお言葉です」


 照れくさそうにされる。

 シェラマリーもちょっぴり照れくさくなった。


「でも、わたしに大切な貴女の人生を費やして良いの?」


 改めて聞いておく。少しで無理をしていないか見定めるために。


「はい! ……だって、嬉しかったんです。あの時、私の気持ちをシェラマリー様がきちんと聞いてくださって」

 今まで、ちゃんと話を聞いてもらえたことがなくて。


 シェラマリーはリズの本音を慰めることも無理に肯定することもせず。

 ただ一言、本音を返した。


「分かりますわ」



「シェラ〜」

「ヨミ様」


 今日も今日とて押しかけ女房よろしくシェラマリーのところに通い、幸せそうに抱き着く。

 膝の上に乗せられ頬に口付けてから、あ、とヨミはポケットから手紙を取り出した。


「そう言えば、王太子殿下からお茶会の誘いが来てるんだ、僕とシェラ宛に」

「まぁ、そうなのですか?」

「うん」


 お茶会は二週間後だった。


 今日も今日とて侍女の手によって着飾ったシェラマリーは、しきりに鏡の前で自身の姿を見る。


「どうかなさいましたか?」

「いえ。…………変なところはないかなぁって。ヨミ様が贈ってくれたドレスですし」


 頬を染める主人に侍女たちはメロメロになりながらも肯定する。


「お嬢様は今日も最高潮に可愛いですわ!」

「えぇえぇ、天使と妖精のハーフです!」

「とても素敵ですよ、お嬢様」


「……ありがとう」


 照れながらヨミの下へいけば超弩級の勢いで可愛い可愛いと連呼されているシェラマリーに、侍女たちはひっそり頬を緩めた。

 ぴっとり側にくっつくヨミと王城に向かう。


「シェラ、絶対に僕の側から離れないでね」

「なぜですか?」

「だってシェラを取られたくないし」


 笑ってはいるが目が昏い。


「取られるだなんて……わたしには、ヨミ様だけですのに」

「シェラ……!」


 感極まったヨミが瞳を蕩かせた。

 冬が始まり、空気が冷え切ってきたため抱き着かれると温かい。


 ヨミがもし犬なら、尻尾がばたばた揺れているのだろうなと関係ないことを考えながら、王城に着いた。

 くっつく、というより同化しているくらいの近さでエスコートされながら指定の場所に行けば、王太子が待っていた。


「やぁ、久し振りだね」

「ご無沙汰しております、殿下」

「本日はご招待いただき、身に余る光栄です」


 温かく整えられた室内で、椅子に腰を下ろす。

 すぐに紅茶が淹れられ、目の前に差し出された。


 一口飲んだヨミが切り出す。


「今日はどのようなお話でしょうか?」

「いや、君たちには随分と迷惑をかけたから改めて謝りたくてね。すまなかった」

「いえ、殿下が謝ることではありません。むしろ、あの時は助けていただきありがとうございました」


 顔を華やかせれば、隣からじっとりとした視線が突き刺さる。


「言っておくけど、僕一人でも十分だったんだからねシェラ? 殿下がどうしてもと言うから……」

「ヨミ様、落ち着いてください」

「ふはっ、君たちは仲睦まじいな」


 つい最近婚約者を失った王太子に対して、あまりも気遣いが足りなかったかと我に返る。


「すみません……」

「なにを謝ることがあるのか。仲が良いのは素晴らしいことだよ」

 立派な人格者だ。


「それで、今日は――王太子ではなくただのレイドとして、聞きたいことがあったんだ」

「聞きたいこと、ですか?」

「あぁ」


 王太子がティーカップを置けば、カチャとソーサーに当たる音が響く。それは彼の完璧ではない心の表れだった。


「父たちは、なるべく早く次の婚約者を決めることを望んでいてね。どうしたら、新しい婚約者の方と君たちのような親しい関係になれるかなと思って」

「親しい、ですか」

「私は私なりに、ミフェロを大切にしてきたつもりだった。だけど、最後彼女と別れる時、色々言われて堪えてしまってね」


 疲労が滲んだ、長いため息をつく。

 シェラマリーはその嘆きにどう返事をしようか悩んでいれば、ヨミが彼女の腰を抱いた。


「良いことを教えてあげます」

「ほほう?」

「僕は凄くシェラに大切にされているんですよ」


 王太子が吹いた。肩を震わせ、顔を俯かせる。


「いや、すまない……おかしかったとかそういう訳ではなく、あまりにも堂々と言うものだから」

「事実ですからね。……シェラは、芯がある人です。僕が好きとかは関係なく、道理に反していることなら立ち向かう強さがあります。僕は、そんな彼女を凄く尊敬しているんです」


 目に涙を浮かべていた王太子は、ヨミの言葉を長い時間をかけ咀嚼した後、つ、と一筋涙を零した。

 強い冬の日差しが王太子を照らしている。


「そうか。君たちはお互いに守り合っているのか」

「……えぇ、沢山ヨミ様に助けて貰っています」

「私は、ミフェロに守って貰ったと思った記憶はないな。はは、悲しいなぁ」


 シェラマリーは、王城のシェフが手掛けたマドレーヌを小さい口で食べ小動物アピールをしていれば。これもあれもとシェラマリーにお菓子を勧めるヨミが謳うように爆弾を投下した。


「まぁシェラは、誘拐された時僕の手を引きながら男たちを倒していくような凛々しさを持っていますからね。並大抵のご令嬢には荷が重いかと」

「ヨミ様……っ」

「この可愛らしい令嬢が? ははっ、あはは! それは確かに、彼女を基本にして妃探しをするのは酷だな……!」


 内面ではむくれながら、表では澄ました顔を作る。だが明らかに食べるペースが少し速くなったシェラマリーに王太子は苦笑する。


「参考にしたくて聞いたのに、あんまり当てにはならなかったな」

「すみません、王太子殿下……」

「いやなに、貴女が謝ることではない。楽しかったよ」


 王太子は色々なことに追われて忙しいらしく、ここでお開きとなった。


「では、また学園で会おう」

「はい、殿下もお元気で。ごきげんよう」

「本日はありがとうございました」


 礼をしてから、ヨミのエスコートで馬車に乗る。シェラマリーは頬に手を当てた。


「結局、お役に立てなかった気がしますけど大丈夫でしょうか……」

「あれで良かったと思うよ」


 適当なこと言ってる? じっと睨めつけてしまえば、ヨミは軽く笑う。


「殿下はミフェロ嬢の証拠を見つける間も、随分と苦心なさっていたようだからね。どうして、自分のなにが悪かったのか、と」


 王太子とミフェロは十二歳の時に婚約者になった。四年間で、情なんて名前をつけきれないほど芽生えたのであろう。

 王太子としてミフェロを断罪するその内で、なにを思っていたのだろうか。


「だから、シェラみたいなタイプの方が特別だって今日解って、気が楽になったと思うよ」

「……わたしみたいなって、どういうことですか?」

「褒め言葉だよ」

「でも、わたしの昔話を持ち出すなんて……」

 あの時はどうかしていたのだ。モニョモニョすれば、ヨミがシェラマリーの手を握り頬に擦り付けた。


「だって、こうしたら次殿下に会った時、シェラは気まずいでしょう?」

「……はい」

「それで良いんだよ。だってシェラに余所見なんてして欲しくないからね」

「――……は、ぃ?」


 額に口づけが一つ。次に右の耳たぶ。左の頬。星座の星を散りばめるように、点々と降ってくる。

 顔が赤くなって、思考が上手く繋がらない。


「シェラがもし殿下を好きになったら、僕にはもうどうしようもないからね。だからこれくらいの予防線を張ることは許して?」


 見つめ合う。シェラマリーはもういっぱいいっぱいですぐさま顔を覆いたくなるのを堪らえながら、ヨミの手を握られていない方の手で握った。


「好きになんてならないので、そんな心配なさらなくて結構です。………………わたしだって、貴方が、ヨミ様が好きなんですから」

「――え、本当?」

「こんな時に嘘なんてつきません……」


 顔がぐいと近づき、鼻先が触れ合う距離感にヨミがいる。その目の輝きは宝石にも引けを取らない。


「嬉しい。大好きだよ、シェラ」

「知っています……」


 ゆっくり、どちらかともなく近づく。

 

 日の光すらカーテンで遮られた馬車の中。二人はお互いの体温を分け合うように、あるいは魂を重ねるように、唇を合わせた。


◇◇◇


 それから二人は恙無く学園を卒業し、その二年後に結婚する手筈となった。

 二十歳に成長したシェラマリー。美しい所作と、いつも笑みを絶やさない姿は佳人と言われている。ヨミはあれからも身長を伸ばしていて、シェラマリーが百五十五なのに比べ百九十もある。

 けれどそんな彼が話を聞こうとして屈む仕草や、シェラマリーを守るように背筋をピンと伸ばしながら隣に立つ姿にときめいてしまうから重傷なのだろう。


 結婚式の二日前。ウエディングドレスも教会も、様々な手筈は済んでいる。当日は整えられた通りに動くだけだ。

 本を読みながら、明日から変わる生活に物思いに耽る。


「お嬢様」


 侍女が、ルドフェンに呼ばれている旨を知らせに来た。明後日のことでなにかあったのかとすぐに執務室に向かう。


「パパ、わたしだよ。入ってもいい?」

「あぁ、入っておいで」


 二人分の紅茶を用意して、ルドフェンは待っていた。向かいのソファに腰掛ければ、目尻に皺が寄った柔らかい顔でルドフェンは紅茶を飲む。


「急に呼んですまないね」

「うふふ」


 出会ってから十二年。あの頃は屈強な熊だったルドフェンは、今や白髪交じりの普通の父だった。


「シェラマリーが、遂に嫁に行ってしまうのか……」

「もう、離れる訳ではありませんのに」

「分かっているけどね」


 嫁に行ってしまうというか婿を迎えるため、これからもシェラマリーはずっとこの屋敷にいる。

 ルドフェンだって、それは知っている。ただ、シェラマリーが自分に真っ直ぐ来てくれなくなるというだけで。


「早かった。この十二年、本当に早かった」

 感慨深く、しみじみとルドフェンは言った。


「シェラマリーは、昔から人に頼らない子だったね。今は、そうでもないみたいだけど」

「…………」

「でも、今だって人に頼るのは苦手そうだ」

「そうですね」


 冬が過ぎ去り、木々は葉をつけ始めた。風が吹けば、春のしゃらしゃらとした音が聞こえる。


「少し昔話をしようか」

 だからこれは、冬の渦中の話なのだ。忘れないで、と縋るような。


「私には婚約者がいたんだ。とても明るくて綺麗で、私も彼女を深く愛していた。――だが、彼女は亡くなった。不慮の事故で」


 温度を感じさせない語りを、シェラマリーは透明な気持ちで聞く。ルドフェンの真意を掴みかねる。


「後悔したよ、どうして側にいてあげられなかったのかと。私がいたところで、とは知っているが、それでも彼女の側で手を伸ばしたかった」


 『手を伸ばして貰った方が、嬉しいでしょう?』――今でもシェラマリーの宝物。

 そして、手を伸ばして貰えなかった苦しみもまた知っている。


「どうしてあの時……。そんな、答えのない問いを終わらせることが出来ない」


 だからね、シェラマリー。


「誰かを頼るということは、その人のためのようで、その実周りの人のためにあるんだよ。助けられなかったと、自分を責めることがないように。だから君は沢山の人の力を借りて良い。頼って良いんだ」


 公爵として生き抜いた彼が、十二年も見守った娘の心の機微に気づいていないはずがなかった。待っていたのかもしれない。心からの祝福が、彼女の心に真っ直ぐ届く日を。

 立ち上がった彼が、呼吸まで止まったシェラマリーの下で跪く。出会ったあの日と同じように。なにも変わらない。その優しい眼差しも、緩んだ口元も。


 ――ただシェラマリーの世界だけは変わっていた。

 父に抱き着く。ぎゅぅと腕を回し、縋り付く。ゆっくりゆっくり、ヨミたちに助けて貰った日から錆が落ち始めていた歯車がようやく回り出す。動いた歯車は、もう止まらない。

 産声が執務室に響いた。


 わんわん泣くシェラマリーの背中を、父は優しく叩く。


「沢山幸せにおなりなさい」

 憶えがあった。だが誰からかけて貰ったのか分からず、三澄の記憶から掘り出そうとする。


 だがすぐに思い直した。これは違う、シェラマリーの記憶だ。生まれて暫くしてから孤児院で育てられ、シスターと仲間に愛された記憶。

 よくシスターが言ってくれた、愛の言葉。魔力量が多いと分かり、公爵家に引き取られる日に涙を流しながらかけてくれた餞の言葉。愛しい子どもが自分の手元から離れてしまう悲しみを紛らわす言葉。


 

 最近、シェラマリーは三澄の意識を失いつつある。されたことは決して消えないけれど、痛みが伴わなくなった。

 そこに恐怖を覚えたこともあった。あんなに苦しかった日々を。一生消えないと思った傷を忘れてしまうことを。酷く恐ろしかった。

 けれどすぐに薄らいだ。


 ――生まれ変わったのだ。皆から愛され最高に幸せな、シェラマリーという女の子に。



 ルドフェンはシェラマリーが泣くことを予知していたのかもしれない。翌日に腫れ上がった目元は、侍女たちの手によって結婚式当日の今日には跡形もなく消えている。


 ウエディングドレスはシルクで、動く度に光沢が波打つ。宝石が散りばめられていて、動く度に日に照らされた雪の粒みたいに煌めいた。

 ロングトレーンドレスは後ろのドレスの裾が長く、数人の侍女が結婚式が始まる前は持ち上げてくれている。

 その内の一人が頬を紅潮させながら高らかにシェラマリーを賛美した。


「今日のお嬢様もなーんと美しいのでしょうか! 妖精や天使を超えて、お嬢様が女神です……! そんなお嬢様を着飾ることが出来幸せです!」


 興奮する侍女を、白髪が増えてもまだまだ現役なユリネが窘める。


「まぁまぁリズ。褒めるのは良いけど今日はそのくらいになさいね。花嫁を褒めるのは、花婿の特権なのだから」

「わわ、ごめんなさい……」

「ふふ、けれどとても元気が出たわ。ありがとうリズ」


 つい先日シェラマリーの専属侍女の座まで登り詰めたリズが顔を赤くすれば、侍女全員が自然と笑みを零した。


「さぁ、そろそろ式が始まるので行きましょうか」

「そうね」


 着替え室からほど近い教会の入り口にまで向かう。既にルドフェンが立っていて、シェラマリーの姿を見て泣いた。


「もう、パパったら」


 こうなるだろうと予想して用意していたハンカチを手渡せば、ルドフェンは必死に涙を拭う。

 そして、精一杯の笑顔を娘に渡した。


「凄く綺麗だよ、シェラマリー」

「ありがとう、パパ」


 手を取り合う。侍女たちもシェラマリーのドレスの裾から手を離し、各々の場所へと向かった。


 全てが滞りなく進み、一瞬だけ静寂が通った。それが結婚式が始まる合図だったように、大きな教会の扉が開く。またすぐに沢山の音が世界を満たした。

 観客席に座る人々が、歓声を上げながらシェラマリーの登場を祝う。フラワーシャワーを浴びながら、一歩一歩足を進めた。


 ――その先には、彼がいる。これから先、一番近くにいてくれる人が。


 ヨミの前まで歩き終わり、父に握られていた手がヨミに渡される。ルドフェンが観客席に座ってから、神父は式の進行を始めた。


「新婦シェラマリー・カリメダ。あなたはヨミ・ファシェントを夫とし、健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しい時も。これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

「はい誓います」


 次に神父はヨミに顔を向ける。


「新郎ヨミ・ファシェント。あなたはシェラマリー・カリメダを妻とし、健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しい時も。これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

「はい誓います」


「――ヨミ」


 式は滞りなく進む。だからこの呼びかけも、事前にシェラマリーが相談していた。


「あなたがずっと側でわたしを守ると誓ってくれたように、わたしもまた、あなたを永遠に愛することを誓うわ」


 ヨミはびっくりしたのか、固まったままポロリと涙を一粒落とした。それは初めて見る彼の涙だった。

 あら、もう一枚ハンカチが必要だったかしら。


 ヨミが手の甲で涙を拭う。


「やっぱり、シェラは凄いよ。言葉一つで、僕をこんなにも幸せにしてくれる」

「それなら嬉しいわ」


 神父に目線で合図を送れば、また続きを読み始めた。


「では次に、誓いのきすを」


 ヴェールが上がる。クリアな視界で、ヨミが目を閉じ近づいてきた。シェラマリーも目を閉じ応える。

 二人の唇が重なった。


「……」


 中々二人の唇は離れない。というよりも、ヨミが離さない。


「…………」

 

 困惑した観客たちだったが、あまりにも当たり前のような態度で進むので首を捻りつつ見守る。まぁ自分たちの結婚式なんて何十年も前だったし、こんな感じだった気がする、と。


「……………………〜〜っ!」


 花嫁が新郎の背中をバンバンと遠慮のない手つきで叩いた。

 あ、やっぱり長かったんだ! と周りの皆が我に返る。


 ようやく解放されたシェラマリーの顔は真っ赤で、取り繕えないほど可哀想な表情を浮かべている。

 このまま進めていいのかと神父がオロオロしていると、頬に手を当てたシェラマリーが烈火の如く叫んだ。およそ清純なる花嫁とは遠い声で。


「皆様、少しの間後ろを向いていただけませんか……っ!? ……――ヨミ様も!」


 その言葉に最初に動いたのは神父だった。ヨミの背を押し、自らも真っ赤な花嫁に背を向ける。

 それに倣い、可愛らしい花嫁に頬を緩ませた参列者もまた、いきり立とうとするルドフェンを宥めながら後ろを向いた。

 花弁を軽やかに揺らす春の風のような忍び笑いを漏らしながら。


 ――式が再開したのは、それから十分後のことだった。


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