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 十三歳。

 美少女へと羽化したシェラマリーは只今壁際に追い詰められていた。自分より頭一個分も大きくなったヨミに。

 身長が百四十の自分と百六十五もあるヨミ。身長だけではなく体格にも顕著に違いが出ている。


 あの日以降、ヨミはもう虐められなくなったから強くなる必要はないのに体を鍛え始めた。何度も止めたのだが、彼は頑固な性質らしい。会う度にひょろひょろではなくなっていくヨミに恐怖を覚えたものだ。

 現在彼は剣術の大会でも優勝する腕前らしい。三澄との約束を覚えて魔法は使ってないらしいが、それだって時間の問題な気がした。ぐぬぬ、とハンカチを噛み締めた夜を昨日のことのように覚えている。


「ねぇ、なんで逃げるのシェラ」

「え〜。だって急にヨミ様が近づくから……恥ずかしくって」


 部屋でチェスをしていたらどうしてこうなったのか理解に苦しむ。

 ちらりと顔を見れば、ヨミは頬の丸みが落ちて十三歳ながら色香が漂っている。押し退けようと触れた胸板も腕も硬い。


「なんか、すごくシェラの近くに行きたい気分になって」


 えへへと笑われるが一気に鳥肌が立った。

 三澄が望んだのはひょろひょろで力の弱そうな男であって今のヨミじゃない。

 

 心臓が知らぬ間に速くなる。


「抱き締めても良い?」

「……それはさすがに無理ですぅ」

「じゃあ膝の上に乗せても良い?」

「うふふ、御冗談がお上手なんですね!」


 可愛くて天真爛漫系から美しくたおやか系に絶賛シフトチェンジを図っているシェラマリーが流麗な声で断われば少し残念そうにされた。


 ちゅ、と手の甲に手袋越しで唇を落とされる。


「……っ」

 

 唇は移動し指を食むように再度きすされ顔に熱が溜まった。


「いやぁ! やめてください!」

「あ、素のシェラが出た」

 ケラケラ笑う彼に殺意と恐怖が噴き上がる。


 なんとか振り払いチェスに戻った三澄は、こうなったらルドフェンにお願いするしかないと拳を握りしめた。



「――婚約解消?」


 三澄の申し出に、ルドフェンは執務する手を留め顔を上げた。


「……ヨミ君とかい?」

「? わたしの婚約者はヨミ様だけだよパパ」


 以前大人になったのだからと敬語を使ったら泣かれたため、公の場以外では砕けた口調の三澄は首を傾げる。


「やっぱヨミ君かぁ〜」

「お願いパパ、ね?」

「彼はこの話を聞いているのかい?」

「ううん全く」


 きっぱりはっきり答えれば、やっぱりか、とため息をつかれる。


「でも今の彼は、別に公爵家ではなくても婿にと望まれるでしょう? 引く手数多だから心配ないと思うんだけど……。それにパパには申し訳ないけど、わたしは魔力量が多くない男性の方が良いかも」


 あの後聞いた。なぜヨミの姿絵があったのかと。ヨミの魔力量が多いのが理由だったらしい。魔力量が多い同士の子どもは魔力量が多くなる可能性が高いらしいし、近くに魔力持ちがいると暴走を引き起こす可能性が少なくなるのだとか。

 だからこそヨミがいた。けれど三澄はそこに魅力を見出だせない。


 ここまで言葉を尽くしてもまだルドフェンは悩んでいるようだった。


「……シェラマリー」

「はい」

「ヨミ君が了承してくれたら良いよ」

「……っ! 本当? 約束だからねパパ!」


 シェラマリーは自分を心配そうに見つめるルドフェンには露とも気を留めず、柄にもなくスキップをしながら部屋に帰った。

 五日後に剣術大会がある。そこで大会が終わった後にでも言えば良い。

 ベッドの上で新しい婚約者に想いを馳せ、そして三澄は眠りについた。



 ――夢の中。そこにはシェラマリーではなく三澄が立っていた。ひやりとした夏の風が体を撫でる。

 夜の帳が下りた中で、狭いアパートの中で座り込んでいる。はっと上を見上げれば、小汚い男が見下ろしていた。


「なに見てんだよッ!」


 ゴッと頭を強く殴られる。反射的に体を丸める三澄の髪を掴み上げ、足で踏み潰された。


「大学に行きたいだって、えぇ!? 女が学を学ぼうなんて生意気なんだよッ。あー、腹立つなぁ!」

「ごめんなさいお父さん、ごめんなさい……!」


 罵倒される度に酒の匂いが振り撒かれ気分が悪くなる。


 三澄は父親に虐待を受けながら生きていた。母親は父親からの暴力に耐えられず、見知らぬ男と共に家を出ていった。中学生の三澄を置いて。

 そこから高校三年生に至るまで暴力を振られ続けた。


 辛くて辛くて、息もできなくなるくらい苦しかった。

 高校卒業後は家を飛び出し、働きお金を貯めてから大学に受験した。

 合格してからは更に忙しなく父親のことなど思い出さなかった。きっと彼は、今もあの狭いアパートにいるのだろうとだけ心の片隅に置いて。



 うなされ目を覚ます。まだ真夜中で、満月が空高くに輝いている。

 汗をびっしょりとかき、息は上がっていた。

 大きな体でこちらを殴りつける父親の顔が、もう思い出さなくなって久しいのに克明に浮かぶ。


「……だから体格の良い人は嫌いなの」


 ルドフェンにも一定の距離を置いて接している。視界に入ってなかったところから急に現れると怖くて堪らない。

 ヨミはひょろひょろで三澄を虐げる力なんてなさそうだから平気なはずだった。けれど無理だった。


「今の彼は、怖い……」


 涙を流すまいと体を丸め下唇の内側を噛む。

 冷えた体に汗が冷たい。ブルリと震わせる。布団を引き上げ頭から被った。


「大丈夫、今の私はあの頃より強いから……大丈夫、大丈夫……。今まで立派に演じてきたから、誰にもこの感情はバレてない。ちゃんと笑えているよ……」


 自分を慰める音が、部屋に虚しく響いた。



 剣術大会の前日。


 明日のことが気がかりでどこかぼんやりとしながら、三澄は姿絵を見ていた。

 中にはひょろひょろな男もいて、少しだけ気分が好転する。


 侯爵家の次男で、勉学には秀でているが運動はからっきしらしい。それよりも女性らしいと忌避されているが刺繍などをしたいのだとか。

 ほほう、と読み耽ってしまう。穏やかというのもポイントが高い。


「この人が良いかも……」


「――ねぇ、なに見てるのシェラ?」


 耳元で囁かれグルンと振り向けばヨミが立っていた。口元は笑っているが目が怖い。

 答えられずにいれば、ヨミが近づいてくる。


「なんで、僕という婚約者がいながら他の男に目移りしているの? シェラ」

 これは悪い夢? 現実ってマ?


 思考が遥か彼方へ逃避行しかけたが、慌てて首根っこを押さえる。


「だってヨミ様とわたし、婚約解消した方が良いかなって……」


 シェラマリーはうるうるとした光線を発射するが、今回ばかりは効かないようだった。

 檻の中に閉じ込められるみたいに後ろから伸びた腕に捕まえられる。ヨミが首筋に顔を埋めて、鳥肌が立ち背中に冷たいものが流れた。


「なんで?」

「ヨミ様は今や優良物件! なんですよ? 幼い頃に無理矢理結んだ婚約ではなく、ヨミ様だって好きな人と結ばれるべきですよ!」

 わざとらしいくらいの明るい声を出す。


 ヨミがシェラマリーに好意を抱いているということは十分解っている。三澄はそこまで鈍くない。

 けれどその理論で通すことにした。


「そっかあ、それでシェラは僕を捨てるのか……」

「捨てるなんて大袈裟なぁ」

 

 震える手を宥めるように擦り合わせる。


「……シェラ、僕はどうしたら良いの?」

「え?」

「シェラに捨てられるなんて耐えられない。僕の心も体も、もう全部シェラの物なのに」


 重い発言に絶句していれば、いつの間にか前に回り込んだヨミが膝を折る。


「ねぇ、教えて?」


 握られた手が、ヨミの頬に導かれる。そのまま頬擦りされ、三澄は悲鳴を上げるように思いの丈を言ってしまった。


「貴方が悪いんです……! だって、貴方が強くなってしまうから」


 ヨミが毒気を抜かれたのか目をまん丸くした。


「大きい、男の人が……ちょっと、いえ凄く怖いんです。だからヨミ様が無理なんです……。これでご理解頂けましたか?」

「…………」

「貴方を否定したい訳ではありません。けれど、こればかりはどうしようも出来ないんです」


 ルドフェンは父親だが、接触も少ないしなんとか生活できている。

 けれどこれから先何十年も連れ添う夫はどうしても無理だった。


「――シェラ」

「はい」

「僕は、シェラに害を及ぼしたりなんてしないよ」

「…………」

「なんなら従属の魔法をかけて貰っても良いくらいなのに」

「っなに言ってるんですか!?」


 従属の魔法とは、軽いものだと雇用主と従者――重いものだと奴隷などに使うものだ。決して逆らえなくする支配の魔法。

 

「僕は元々シェラの犬みたいなものだよ。だから全然構わない」

「……止めてください」


 誰かを支配など、三澄の倫理観からは外れている。考えるだけで悍ましい。


「そんなことは出来ませんよ」

「じゃあシェラがもっと感じて」

「なにがですか?」

「僕がシェラには逆らわないし、従順な犬であること」


 ヨミが、シェラマリーの膝に身を乗り出す。そのまま握っていた彼女の手を自らの頭に乗せた。

 ワシャワシャと撫でさせられる。


「どう? 怖い? 嫌?」

「……いえ。どちらかと言うと犬を撫でているみたいな……。あ、ごめんなさい。犬に例えてしまって」

「それで良いんだよ。そう見えるようやったんだし」


 暫く撫で続ければ、恐怖心は段々溶けていった。

 力が抜ければ、ヨミも手を止めた。 


「シェラ、力が弱そうだからと言ってそいつが害を与えないとは限らないよ? 力が弱くても、明確な害意があれば関係ない」


 その言葉は核心を突いていた。

 そうだった。力の有無なんて些細なもので。悪意だけがあれば十分なのだ。


「だから僕にしてよ。僕に慣れて、そして飼い慣らして?」

「……はい」


 ポツリと頷けば、ヨミが破顔する。

 ニコニコと撫でられながら、ふっと真面目な顔になって言葉を発した。


「そうだ、シェラ。魔法を使っても良い?」

「……別にわたしの許可なんて要りませんのに〜」


 すっかりシェラマリーとしての調子を取り戻し告げれば、ありがとうと返される。


 次の日の剣術大会。剣を振るう人たちを見るのはやっぱりちょっと怖くて。

 けれどヨミの姿を見れば、あの髪の感触と自分を見上げる目を思い出し安らいだ。


 ここで三澄は気づいた。確かにヨミの言う通りだと。


 ――私よりも下の位置なら、怖くない!! 見下ろす分には、むしろ少しの優越感すら感じる!

 今度会ったら膝枕でもしようかと鼻歌を歌った。

 その見た目だけ可憐な姿に、側に仕える侍女や同じく観戦に来ていた令嬢は見惚れる。


 大会はヨミが優勝した。


 しかしそれから一ヶ月の間、待てど暮らせど、ヨミは訪れなかった。



 手紙を送れば返事は来るが、茶会の誘いは流されること一ヶ月。

 なんだか面白くない気持ちになり勉強に明け暮れていれば、なんでもない顔をしてヨミがひょっこり現れた。


「うふふ、お久しぶりですねぇ」

「……? 怒ってるシェラ?」

「いいえ、全くそんなことはありませんよ」


 即返事をすれば不思議そうな顔をされたが、ヨミはすぐに笑みを浮かべた。


「シェラに見せたいものがあるんだ」

「見せたいもの?」

「見ててね」


 ヨミがなにかを呪文で唱える。瞬間煙が辺りを舞った。

 煙が晴れてきて見えたヨミの姿に、三澄は桃色の瞳を見開き驚いた。


 ――目の前には、可愛らしい令嬢が立っていた。豊かな金髪は真っ直ぐでうねりがなく、けぶるようなまつ毛で飾られた瞳は大きくて宝石のように輝いている。

 服装は紫色のドレスで、桃色のリボンがあしらわれている。


「どう? この一ヶ月、魔法で女のコになる練習をしてたんだけど」

 魔法を解禁して初めてやる魔法が女装……。しらぁとした視線を送れば、ヨミが必死に弁解する。


「いや僕の趣味ではないよ? ただこれならシェラも怖がらずに済むかなって……!」

「私が?」

「うん。ほら男が怖いって言ってたから、こっちの姿の方が良いかなぁって……嫌なら止めるけど」


 三澄の隣に腰を下ろしたヨミがにこっと笑う。


「お揃いのドレスを着たりしても楽しいだろうねぇ……!」


 その一言で雷が落ちた。


「そ、それはまるで姉妹みたいな……」


 震える声で聞けば、うんうんと頷かれる。


「そうだよ。二人で一緒にお茶会して、それからお菓子作りをしたりとか……」


 その時、三澄の頭の中を様々なものが駆け巡った。

 二人でお揃いのドレスを着て、お互いの髪を結ったり。他愛もないお話をしながらカフェでお茶を飲んだり。


 三澄だった頃、父親からの暴力のせいで暗い性格で、友達なんていなかった心が疼く。

 シェラマリーになってからも、お茶会で姉妹で参加する令嬢を見る度に、妹の存在を羨んだものだ。ルドフェンに妹を産んでと強請ったら青い顔で倒れられた。


 積年の想いが爆発して、ヨミに抱きつく。


「シェ、シェラ……!?」

「わぁ……! とっても素敵! わたし貴女のお姉ちゃんで良い? 良いよね? やったぁ、お姉ちゃんだぁ!」


 顔を真っ赤にしたヨミだったが、出会ってから一番の笑顔を向けられ、口元をモニョモニョさせた。


「ねぇねぇねぇ! お姉ちゃんって呼んで!」

「『お姉ちゃん』?」

「わぁ、素敵!」


 抱き締めたまま自分の頬をヨミの頭にグリグリする。三澄の頭には、この妹がヨミだということはすっかり抜け落ちていた。


「……シェラ」


 すっかり撫でられ尽くした後にヨミがそう呼べば、三澄はようやくこの美少女が誰なのか思い出した。


「ごめんなさい、ついはしゃいでしまいました……」

「ううん、喜んで貰えたなら嬉しいよ」


 ぽっと頬を可憐に染めるヨミに固まる。


 女装したヨミは凄く可愛い。……それこそ、シェラマリーが霞むくらいに。


「……ヨミ様。その姿を決して他の人には見せないでくださいね」

「シェラが言うならそうするよ」


 不思議そうにしたがあっさり了承され、三澄はほっと胸を撫で下ろした。


 ちなみに自らの心体的特徴を変えるまでの変身魔法は上級魔法のようで、シェラマリーは男にはなれなかった。無念だと崩れ落ちた。


◇◇◇


 それから、デビュタントの年である十六歳でシェラマリーとヨミは学園に入学した。

 その時にはヨミの身長は百七十五まで到達していたが、彼の頭を良く撫でたせいか想像より恐怖は少なく、デビュタントも無事こなすことが出来た。


 ――今現在、ヨミとシェラマリーは並んで歩いている。学園で開かれたパーティーで。

 デビュタントとは別に、入学してきた生徒を祝して開かれるのだ。夜会などに慣れるための練習の意味も込められているとか。


 シェラマリーは黄色のふわふわしたドレスで、ヨミはラベンダー色のベストやコートを身に纏っている。お互いの髪の毛の色の衣装は、どれだけ二人が慈しみ合っているかを周知させた。

 細い髪の毛をふわふわさせながら笑うシェラマリーはさながら妖精のようで男女問わず目を引き、背が高く端正な顔のヨミもまた視線を集める。


 三澄は機嫌よくなりながら、それを隠すように美しく微笑んだ。


「ねぇヨミ様。踊りませんか?」

「喜んで」


 二人で踊る。ドレスが揺れる度に蝶が舞うみたいで。こっそりヨミが使った光の魔法で金の鱗粉が漂っているように見えて皆一様にほぉとため息をついた。

 シェラマリーの細い腰に手を添えぶわりと持ち上げる。


「まるで蝶のような美しさですわ……」

「えぇ、本当に……」


 一曲終わると、ヨミに断りを入れてから令嬢たちの下へ向かった。


「あの、わたしと踊っていただけませんか?」


 少し頬を染めながら聞けば、さっきまで遠巻きにこちらを見ていた令嬢たちは、きゃぁっと可愛い悲鳴を上げた。


「良いんですか?」

「ぜひ」


 ヨミも、シェラマリーが他の男と踊るよりはマシだと思っているのかニコニコ笑っている。

 くるくる令嬢たちと代わりばんこに舞う。回ればドレスのヒダが重なり合って、身を寄せ合うように咲く薔薇を想起させた。細い指先を取り合って、きゃっきゃとはしゃぐ彼女たちに、教師やそれぞれの婚約者が頬を緩める。

 シェラマリーも自分のか弱さやら美しさを振り撒きながら想い想いに楽しんでいると、次に金髪の少女が現れる。


「次は私と踊ってくださいましね?」


 美しい微笑みに、ヨミと言いかけた口をムグと閉じる。

 令嬢たちが踊る輪の中心で、ヨミの耳に口を寄せた。


「なぜその格好で?」

「だってズルいよ、僕だってシェラともっと踊りたいのに。大丈夫。これが終わったらすぐに消えるから」


 真っ直ぐな金髪を纏うように踊りながら、いかにも楽しそうな表情のヨミに、周りがざわつく。


「誰かしら、あの綺麗な人……」

「美しいわ。シェラマリー様と一緒に踊ると天使様たちが戯れていらしてるよう」

「俺、あとであのご令嬢に声をかけてみようかな……」


 ドレスの裾で隠れたところで、こっそり足を軽く踏む。


「すぐ消えるとか、そういう問題じゃないです」

 小声で文句を垂れれば首を傾げられる。


「シェラ、もしかして嫉妬?」

「ある意味で、ですねぇ」


 天使の微笑みを浮かべながらも、顔がピキとなってしまう。


 音楽が終わった。美しくダンスをリードしてくれる音が止まる。


「じゃあ、また後でねお姉ちゃん」


 ヨミはそう言い、人と人の間を縫って進んで行った。


「シェラマリー様、とても楽しかったですわ」

「わたくしもです。わたくしはまだ婚約者がおらず心細かったのですが、本当に楽しかったです」


 手を取られ喜ばれる。


「それなら良かったです。わたしも、皆さんと踊ることが出来とても幸せでした」


 柔らかい花弁が開くようにホワッと笑った。既にシェラマリーの魅力にメロメロなご令嬢たちは、我先にと声をかけ始める。


「あの、今度お茶会に誘ってもよろしいですか?」

「あ、私もぜひ!」

「わたくしのところにも……!」

「誘っていただけるなんてとても嬉しいです……! わたしの方からも、今度皆様にお手紙を送りますわね」


 和気あいあいとした雰囲気。今年入学する女学生は四十人。その殆どの生徒がシェラマリーの周りにいる。


 ――残りの女学生は、また別の生徒を取り囲むようにいる。ミフェロ・シーダ公爵令嬢、シェラマリーのカリメダ公爵家が南部を治める家なら、彼らは西部を治めている。

 結託するようなこともせず、かといって敵対することもない。お互い不可侵続けている家。


 そして、彼女が悪役令嬢。ネット小説で言うならば、主人公だ。今の踊りで彼女がどう出るか見ていたが、観測者を選ぶとは、と密かに窺う。

 ネット小説の彼女もまた転生者だった。目の前にいるミフェロはどっちなのか知るために自然に接触を図りたかったが、これでは解らない。


 ……だが、と息をつく。彼女の瞳は険しく、淑女としては失格よと視線を令嬢たちに戻した。


 ミフェロは王太子殿下の婚約者。寄り添う二人もまた美しかったが、会場の視線は全てシェラマリーのモノのようだった。



 令嬢たちも捌けてちゃんと男の姿で現れたヨミと談笑していれば、声をかけられる。

 ミフェロと王太子だった。

 すぐにカーテシーをしてから顔を上げる。


「ごきげんよう。お初にお目にかかります。カリメダ公爵家が長女シェラマリーと申します」

「こんにちは。

僕はファシェント侯爵家が三男ヨミと申します」


 王太子が鷹揚に頷いた。


「こんにちは。私はレイド・サーントリダ。……王太子なんて重い肩書きだけど、学園では皆平等だ。気軽に話しかけてくれると嬉しいよ」

 気さくな人だと評する。隙のない、けれど人好きのする笑みを浮かべる彼には好感が持てた。


 ミフェロもその隣でカーテシーをする。黒髪の彼女も笑みを浮かべるが、そこに好意的な視線は薄かった。


「わたくしはシーダ公爵家の長女ミフェロと申します。よろしくお願いいたしますね、シェラマリー様」


 手を差し出される。握手かと思って握れば、次の瞬間、ミフェロが小さく痛がるような声を上げた。手を振り解かれ、彼女は今しがたシェラマリーと繋いでた手を隠れるように撫でている。

 異変に気づいた王太子が眉を顰めた。


「ミフェロ、どうしたんだ?」

「……今、シェラマリー様に掴まれた時に痛みが走りまして……まるで強く握り込められたように」

「それは本当かい?」


 それを見て、三澄は確信した。彼女は転生者だと。しかも、同じネット小説を読んでいると。ランキングの一位にいた小説だから、不思議ではない気がした。

 

 怯えた目を向けるミフェロに、三澄の中の闘争心が顔を出す。

 王太子殿下の婚約者と公爵令嬢が話している。それだけで十分目を引く。観客は既に沢山いた。


 シェラマリーは顔の前で手を組んだ。細く小さな手を見せつけるために。


「わたしはそんなこと、しておりませんわ……。ミフェロ様、どうしてそのようなことを」


 眉尻を下げ、顔を俯かせる。一番儚く見える角度で。


 シェラマリーの姿を見た周りの人たちは、触発されたように噂する。


「シェラマリー様が握り込んだ? ……あの、小さな手で? 無理じゃないか?」

「私もそう思いますわ……。それにシェラマリー様がそんなことする理由がありませんもの」

「そうですよね。むしろ、冤罪を被せたとなればミフェロ様の方が……」


 予想通り、ミフェロへの風当たりが悪くなる。旗色が悪いことに気付いたのか何やら小声で呟くミフェロに顔をずいと近づける。

 とびっきりの笑顔を手向けた。


「もしかしてミフェロ様、元々手を痛めておられたんですか? 気づかず申し訳ありませんでした……! 今すぐ治療なさった方がよろしいかと」

「え、えぇ、そうですわね、そうみたい。そうさせていただきますわ」


 助け舟を出せば、これ幸いとミフェロが乗る。


「そうだったのか? 気づかなくてすまなかった。シェラマリー嬢もあらぬ疑いをかけそうになって申し訳ない」

「お気になさらず」

「皆も騒がしくしてすまない! 私たちのことは気にせず楽しんでくれ!」


 王太子がミフェロを支え、そのまま扉の向こうへと消えていく。


 ふぅ、とこっそり安堵した。


 ――ネット小説では、このパーティーで悪役令嬢とヒロインが手を握るところから物語は始まる。

 そこでヒロインが騒ぐのだ。悪役令嬢に手を強く握られたと。そこで王太子は悪役令嬢に不信の目を向け、ヒロインに傾倒していく。


 だから彼女が人だけ替えてそっくり同じことをした時、確信した。

 彼女は自分が被害者になることで、ヒロインであるシェラマリーを蹴落とすつもりなのだろう。まだなにも害を及ぼしてないのに早急な行動に呆れつつも、これからミフェロが行うことを考える。

 彼女は、作中でヒロインが自作自演した虐めを再現するに違いない。三千文字という短さ故か描写が端折られ詳しくは分からないが、教科書を学内の噴水に捨てたり、足をかけられたように転んだりといった感じだった。

 そして最後。半年に一回、学園の生徒が社交を学ぶ場として設けられる夜会で虐められたと冤罪を声高に叫び断罪する気なのだろう。


「シェラ、大丈夫?」

「全然平気ですよぉ」

「そう? それなら良かった。シェラが落ち込んでいたら彼女を燃やしてたところだったよ」

「うふふ、御冗談がお上手ですねぇ」

 ペカーと輝く笑顔には一点の曇りもない。本気なのだろう。薄ら寒い心地がした。


「……ヨミ様。やられたからと言って、同じやり方で返すことが得策とは限りませんよ?」

「僕の兄さんたちにはそうしたのに?」

「適材適所、というものがあるのです。今回、本当に怪我を負わせた方が負けになるんですよ」


 こっそり教えれば、神妙な顔で頷かれる。


 三澄はこれからの学園生活を憂いた。


「…………た、めら……か」

「シェラ?」


 呟いたところで、ヨミの顔を触れ合いそうな距離まで近づけられる。

 微かにヒッと悲鳴を上げてから顔を背け。三澄は窓の外の空を心ここにあらずな様子で見つめた。

 青く澄んだ空とは対照的に、三澄の心は沈んでいた。


◇◇◇ 


 学園が始まり一週間。授業も始まり、皆が少しずつ馴染んできたところで早速虐めが始まった。


「わたくしの教科書に、水がかけられているわ……!」


 教室内で、ミフェロの甲高い声が響いた。


 視線が集まる。シェラマリーもその一人で、側にいた令嬢と共に伺う。

 令嬢だけが受ける授業でこの場には女学生しかおらず、ミフェロを二人の取り巻きが慰めていた。


 教科書は各教室に、一人一個ずつ背面ロッカーが設けられていて、そこに置いていくことになっている。それにシェラマリーが水をかけたと言いたいのだろう。


「きっと誰かが魔法でやったのよ……。わたくしの教科書だけにかけられるなんて、魔法の使い方に秀でた方に違いないわ……」


 昨日、シェラマリーは魔力測定を行いその魔力量の多さが露呈していた。……ヨミや王太子の方が多くすぐに話題は取られていったが。


 三澄は立ち上がり、いかにも心配そうな顔をして近づいた。


「教科書が濡れていると聞いたのですが、本当のようですね……」

「えぇ、誰かが魔法で……」

「いいえ。これは普通に水をかれただけかもしれませんよ」

「え?」


 シェラマリーは一冊の濡れた教科書と、その横に並ぶノートを指差す。


「この教科書はずぶ濡れなのに、隣のノートは触れ合った面しか濡れていません。つまり桶のようなものに水を張って、この教科書だけ沈めたんだと思います」


 手中に水を生み出し、小さくしたり大きくしたりする。


「つまり犯人は、水をかけようとしたけど他の人の私物にまで水がかかるのを危惧して、そうすることしかできなかった」


 背面ロッカーは扉がついていないからだ。


「だから魔法を使うのがよっぽど苦手だったか、魔法を使わずに行ったかの二択だと思うんです」

「……そうみたいですね」


 ミフェロの顔が悔しそうに歪む。


 シェラマリーは、頬を膨らませ拳を握りしめた。


「それにしても、誰がこんな酷いことを行ったのでしょうか! わたし、許せません!」


 魔法で風を使い、教科書を乾かす。


「はい、どうぞ。……しわしわで文字も読みづらいかもしれませんが」


 ちょっぴり申し訳なさそうにしながら差し出せば、そのまま受け取られる。


「いいえ、ありがとうございます……」

「お役に立てたようで良かったです!」


 拍手が湧き起こった。周りの女学生たちが口々にシェラマリーを褒めそやす。

 立ち上がったシェラマリーは浅く礼をした。


「嫌な事件ですね。皆さんもどうか用心なさってください。皆さんが悲しまれたら、わたしも悲しいですから」

「シェラマリー様、なんとお優しい……」

「本当に天使のようなお方ですわ」


 気まずそうに、ミフェロとその取り巻きは席に戻っていった。



 それからも度々、ミフェロの教科書はインクをかけられたりしたらしい。全てシェラマリーのいない時に騒ぎ立てているらしく知らぬ存ぜぬを貫き通しているが。

 彼女がこう言っているのだからたちが悪い。


「――公爵令嬢のわたくしにこんなことするなんて……相手はきっと、公爵令嬢であるわたくしが怖くないくらい高い爵位を持っている方に違いないわ!」


 と。シェラマリーに疑いの目が行くためであろう。


 だが、なんのために入学式のパーティーでシェラマリーが群衆を引きつけたのだと思っているのだろう? 三澄はくすりと笑う。

 シェラマリーがやったのでは? そんな噂が立ち始めた頃、シェラマリーは影響力の大きい令嬢たちの前で、声を震わせ目には涙を浮かべた。


「誰が、ミフェロ様にあんな酷いことをなさっているのでしょう……っ。酷すぎますわ。わたし、怖くて夜も眠れませんの」


 ハンカチが差し出される。


「シェラマリー様。大丈夫ですわ、犯人はきっとすぐに捕まります」

「えぇ、そうです。もう少しの辛抱ですわ」

「皆さん……! そうですわね、いけませんわたしが弱気になってしまうなんて。今一番お辛いのはミフェロ様ですのに」


 シェラマリーが涙を流しながらミフェロを心配した、という噂は影響力の強い令嬢や、その婚約者によって学園中を駆け巡った。犯人はシェラマリーかもしれない、という噂より早く。


 ミフェロは道を塞がれたであろう。これ以上大袈裟にシェラマリーを持ち上げたら、自分の分が悪くなる。

 これからどう動くのか……それとも諦めるのか……。


 ミフェロは魔法が使えないらしく盗聴用の蝶を付けられていることに気がつかない。上級魔法が使える王太子の前では蝶を飛ばさないように気をつけながらも、三澄はお昼休み中にミフェロのボヤキをゲットした。


『あの女、本当に許せませんわ! 平民上がりだからなんにも出来ないと思ってましたのに!』

『えぇ、本当です!』

『あの人がやったように仕向けても、上手くいきませんし……』

『皆様、こういうことはもう止めた方が……』

『今更な話ね。それよりも、殿下に訴えても様子を見ようだとか先生の巡回を強化してもらおうとかしか言わないし。ほんっとうにあのボンクラ! わたくしの味方になって忌々しいシェラマリーを追い出せって意味ですのに! あれじゃあこの国の未来が心配だわ』


 王太子は、王太子としての資質を十分に持ってるでしょ、と三澄はクラクラする頭で突っ込んだ。誰か一人を犯人だと決めつけるのではなく、きちんと証拠を集めようとする、良い人ではないか。

 連日、王太子がミフェロが虐められている件について心を痛めていると聞いている。

 彼は良き為政者となるだろう。


「――ねぇシェラ。他の男のこと考えてる?」


 肩を叩かれ、ふっと意識が浮上する。一緒に食堂でランチを食べていたヨミが、じっとシェラマリーの顔を覗き込んでいた。


「いいえ? まーったく! だって今は、大好きなヨミ様とのお食事中ですもの。他の方だなんて考えておりませんわ」

「そっかぁ、ごめんねシェラ」


 大好きという言葉に反応してヨミの表情がいつもの明るいものに戻った。シェラマリーとして演じている台詞だと理解していても、大好きという言葉の破壊力は凄まじいものなのだろう。

 大人しくなったヨミを置いて、またミフェロたちの会話に耳を傾ける。


『次はなにをしましょう?』

『あの、シェラマリー様を陥れるなんて真似は――』

『わたくし、良い考えがあるのよ』

『聞いてくださいぃ……』

 良い考え?

『それは――』

『あ、ミフェロ様。あそこに蝶が……!』

『……? ただの蝶じゃない』

『いいえ、なんというか魔力を感じるような……』


 というところで蝶を窓の外に逃がし、木の陰で消した。危ない。魔法が使え、尚且つ蝶に気づく者がいたとは。中級魔法くらいは使えるのだろう。


 それにしても、とため息が漏れた。


「どうしたの?」

 目敏くヨミが聞いてくる。


「いえ、音や映像を保管して、出したい時に壁いっぱいに映し出せたりしたら良いのにな、と思いまして……」

 ミフェロのこの暴言――主に王太子へのものを記録出来ていれば、不敬罪で即刻罰が下されたであろう。悔しい! と己の力不足を呪った。


「ふーん、保管して出すかぁ。シェラはいつも凄いことを考えつくね」


 関心したヨミから、熱視線が送られる。まともに見たら焦げてしまいそうで、三澄はすっかり冷めてしまったスープを一匙すくって口に含んだ。


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