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お読みいただきありがとうございます。
三澄はその日、夜遅くまで仕事をしていた。駅のホームに立っていれば、終電を告げる電車のライトが微かに届き始める。
電車の轟々とした音を聞きながら、手元のスマホに三澄は注視していた。
ランキングの一位に鎮座する、三千文字ほどの比較的短時間で読める小説。昨今流行りの悪役令嬢が主人公の作品で、最後は悪役令嬢を陥れようとしたヒロインが逆ざまぁされていた。
悪役令嬢がヒロインを、彼女に傾倒した婚約者の王太子と取り巻き共々逆ざまぁ――というところで電車が滑り込んでくる。
迫りくる電車。三澄はなにを思ったか、そこに吸い込まれるように体が傾いた。疲れで足元がおぼつかなかったのだろう。
あ、と我に返った時にはもう遅い。支えをなくした体は落ちていく。
眼前に迫る電車に身を竦ませて。
こうして、三澄の人生は幕を閉じた。
◇◇◇
目が覚めると、見知らぬ天井が映る。
「……?」
体を起こせば、レースがあしらわれたワンピースのような寝間着に身を包んでいたことに気づく。気の所為でなければ、体が小さい。
そこで大きな白い扉から侍女のような姿の女性が数人、ノックをして入室した。
「さぁさぁシェラマリー様。朝の準備をいたしましょうか」
「朝の準備?」
「まずは服を脱ぎましょうね」
服に手をかけられる。
ゾッと体が震えた。
「……いやっ! お願いですから触らないで!」
声を上げてから、失言だったと顔を青くする。侍女のような女性たちは目を丸くしてこちらを見つめていた。
いけない。抵抗なんてしてはいけなかったのに。
「……ご、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
「お嬢様。勝手にお体に触れてしまい申し訳ありません。まだこの家に来て初日のお嬢様のお気持ちを察することができなかったのは、使用人として失格でございます」
だが、一番老齢な女性が片膝を突き目線を合わせ微笑んだ。そこには蔑みも嘲笑もない。
「今日はお嬢様が一人でも着替えられる服にいたしましょうか。私どもは扉の向こうに控えますので、困ったことがあったらなんなりとお申し付けください」
側にいた方たちが一糸乱れぬ動きで本来予定していたであろうドレスを片付け、代わりに簡素だが散らされたリボンが愛らしいドレスを持ってくる。
「……ありがとう、ございます」
にこりと微笑み、彼女たちは去っていく。
小さな手でドレスを来て、大きな鏡の前で胸元のリボンを真っ直ぐに整える。
紫の髪に桃色の瞳。そしてシェラマリーという名前。
確信はないが、どれも覚えがある。
――三澄が最後に読んだネット小説に出てくるヒロインだった。
そうだ、ヒロインは魔力量の多さから八歳の頃公爵に貰われ、学園に入学したのだ。
「……転生したヒロインが、小説の知識を元に王太子を狙う。死んだと思ったらこの状況だった私と似てるかもしれないのね」
では同じ末路を迎えるべき?
「いいえ。そんなのは耐えられない。それならば方法は一つだけ。この物語から離反しなければ」
ドアを開ければ、シェラマリーを養子に取った父親と朝食をとりましょうと告げられる。
三澄は、大きな瞳を更に真ん丸くし、小さな手を頬に当てながらニッコリ笑った。淑女としては相応しくない、けれど子どもの愛らしさを表すには満点な大きく開けた口で。
「そうなのね! わぁ、すっごい楽しみ!」
「それは良うございました。旦那様も待ち侘びておられますよ」
「本当? それなら、わたしってすごぉい幸せ者よね、ね?」
目論見通り、彼女たちは無邪気に笑うシェラマリーの愛らしさにメロメロになっている。老齢な者は隠せていても、年の若い者は顔が蕩けているから丸わかりだ。
小声で「はわわ、天使」なんていうのも聞こえてくる。
最後の仕上げ。シェラマリーは眉尻を下げ、くいと侍女の一人の服を引いた。
「あのねあのね……さっきは驚いちゃっただけなの。驚かせちゃってごめんなさい……」
目を潤ませる、ヒロインという名を冠するだけある美幼女に、完璧に彼女たちは心を撃ち抜かれたようであった。
「「「とんでもございません!!」」」
「そぉ……? えへへ良かった」
声を弾ませながら、これから会う父親を考える。
どのような人物なのだろう。結婚はしているのだろうか? いないという線が濃厚だが、死別という可能性もある。慎重にいかなくては。
顎に手を当てる。
父親が望む娘とは、なんだろうか。天真爛漫か、聡明か。
三澄は仕事柄、偉い人と話すことが良くあった。その時に大事なのは、相手がどのような人物を求めているか。
「……頑張らなくちゃ」
◇
三澄はゴクリと、思わず素で息を呑んでしまった。
目の前には熊がいた。いや、熊と評するには背筋をしゃんと伸ばした、茶髪を撫でつけている男。形の良い額が顕になっている。
前世の父に背格好が似ていた。彼はもっと小汚かったが。
怯える体を律す。だが抑えつける必要はない。これを利用するように、あわわと表情で形作る。
「お、おはようごじゃ、ございます……っ。わわ、噛んじゃった……」
涙目で父親を見上げる。彼がどういう娘を求めているか見極めるために。泣くなと怒声を浴びさせられるだろうか?
だが予想に反して父親は跪き三澄の手を取った。目線を合わせようとするのは、使用人も主人も同じらしい。
「やぁ、シェラマリー。昨日はゆっくり寝れたかな? 私は公爵家の当主のルドフェン・カリメダだ。気軽に『パパ』と呼んでくれ」
今『パパ』って言った??? 幻聴ではなく、え本当に?
「ぱ、ぱぱ……」
「いやぁ、妻もいない私にこんな可愛い娘が出来るとは。ふふ、では食事にしようか」
紳士な熊、もといパパに抱っこされ、椅子の上に降ろされる。目の前に広がる大海のような広いテーブルの上には、様々な料理が並んでいた。
「わぁ、凄い沢山! これ全部わたしが食べても良いのぉ?」
「勿論だ」
パパと呼ばせた辺りから察したが、無邪気な子どもを装う三澄にルドフェンは頬を緩めた。
「シェラマリー、まずはなにから食べたい?」
「あれ、あれです! オレンジと白のしましまのが乗ったお野菜!」
三澄が指差したものをルドフェンが引き寄せる。
「あぁ、シェラマリーが過ごした孤児院は山の麓にあったから海を知らないのか。これはエビのサラダだよ。我が公爵領は海に面しているんだ」
「へぇ、『エビのサラダ』、凄く綺麗な色で美味しそう!」
「今のは私の落ち度だね、エビという部分だけがこの食材の名前だよ」
困ったように笑うルドフェンの満更でもない様子にガッツポーズしながら、三澄はサラダを頬張る。
「わぁ、美味しい! こんな美味しいの初めて食べたぁ!」
これは嘘ではなかった。シェラマリーは勿論だが、三澄だってこんなに美味しいエビは初めて食べたことがない。茹でられているのか、歯を立てた瞬間に身が弾けるようなプリッとした食感が口いっぱいに広がる。
少し酸味のあるドレッシングと合わされば身悶えしてしまう美味しさだった。
そんな様子をルドフェンや侍女、騎士が見守り頬を緩める。囁き声は耳に届く。
「可愛いなぁ」
「美味しいもの、いっぱい食べさせてあげたくなっちゃう……」
それからも色々な料理を堪能しながら、シェラマリーはルドフェンに問いかける。
「ねぇ、パパ。わたしは大きくなったら学園に通うんだよね?」
「そうだよ。魔力を持つ人間は五十人に一人、しかも魔力量が多いとくれば千人に一人。暴走などを防ぐためにも学園に通った方が良い。それまでに色んな教育を受けて――それから婚約者も決めようか」
「……はぁい」
伴侶など我が人生には不要。それが三澄の金言であったが、シェラマリーとなった今それを主張できる訳もない。
「楽しみだなぁ」
大きな手が頭に伸ばされる。刹那、腹の底から冷たいものが這い上がってきたが、下唇の内側を噛んで取りなす。
触れる指先は、想像と違いあまりにも優しかった。天使の羽で撫でられたかのような感覚。
あまりにも想像と違って、危うく涙が出るところだった。下唇の内側を噛んでいたからセーフだったが。三澄はこの方法をこれからも推していきたいと心に誓った。まじでおすすめ。
◇
「あぁ……素晴らしい」
歴史の授業終わり。家庭教師が去り、部屋に自分以外誰もいないのを確認してから三澄は感動で天を仰いだ。
授業、とっても面白い!! しかもこれが無料で受けれるって、マ?
流行りものに疎く、高校生の頃クラスの女子たちがこぞって使っていた言葉を未だに愛用しながら、三澄は喜びで打ち震えた。
三澄はいわゆる苦学生だった。高校生の時は放課後いつもバイトをし。反対を押し切って大学に入学した時には、それこそ寝る暇もないくらいバイトと勉強に明け暮れた。
健康で文化的な最低限度の生活を営むことなど勿論無理で。食べれる雑草をむしゃっていた頃が懐かしい。
それが今や、勉強はマンツーマンで根掘り葉掘り教えて貰えるし、ご飯は食べきれないくらいの量が出てくるし、毎日ふかふかのベッドでの八時間睡眠という勝利が約束されている。
勉強の内容もこれまた三澄の興味を誘った。
よくネット小説を読むミーハーな三澄にとって淑女としてのマナー教育は知的好奇心を満たしてくれ、歴史の勉強も壮大な本を読んでいるようだった。音楽も今まで触れられなかった楽器は大変魅力的で、意欲的に取り組んだ。
中でも一番楽しいのは魔法! 聞いて楽しい見て楽しい、実践すれば最高に楽しいときたもんだ。全力で取り組むしかない。
「こんなに幸せだと、駄目人間になってしまいそう……。けど手放し難い……」
歴史の授業の後は三時のおやつ。いやん駄目人間まっしぐら。
ルドフェンは見た目が怖くて相変わらず萎縮してしまうが、最初よりは慣れてきた。
青い空を見上げる。夏草の香りが鼻をくすぐった気がした。白い雲が空をまたぐように流れていく。
――シェラマリーとして覚醒した日から、既に三か月が経っていた。
庭に設置されたガーデンチェアにちょこんと座ったシェラマリーが紅茶を嗜んでいれば、ルドフェンが遠くの方からやって来た。その姿はさながら熊のようで小さく紅茶を吹いた。
「パパ……っ。どうしたの、お仕事大丈夫?」
「いやぁ、シェラマリーの婚約者候補が集まったから、一度見てもらおうと思って」
後ろから現れた侍従が、真っ白なガーデンテーブルの上に数枚の姿絵を置く。そこにはシェラマリーと同じ年頃の少年たちが所狭しと並んでいた。
絵だから盛られている、というのもあるのだろうが皆顔つきが凛々しく自信に満ちている。
「…………。わたし、この人が良いです」
長い熟考の末、一人の少年を指差す。
「え、彼が良いのかい? 穴埋め要員的な感じだったんだが……」
「お願い、パパ! わたしこの人以外嫌!」
三澄が恥も外聞も捨て去り嫌々と抗議すれば、ルドフェンも眉間の皺を解れさせた。
「シェラマリーがそこまで言うならしょうがないか……」
「やったぁ。パパ、大好き!」
グハ……ッと地に伏すルドフェンを騎士たちが運ぶ。それを横目に三澄は、自分が選んだ少年の絵をなぞった。
◇◇◇
顔合わせの日は、それから二週間後に立てられた。
当日。起きた三澄の下にやって来た侍女が口を開く。
「お嬢様、今日から少しずつお世話をさせていただけませんか? やはりお嬢様一人で着れるドレスには限りがありますので」
「良いよぉ。そっか、わたしが驚いちゃったからだよね。ありがとう!」
「とんでもございません」
普段来ているドレスより数段装飾が派手なドレスが用意される。
そこからは、宝石を触るような手つきでお世話をされた。
「――もうよろしいですよ」
鏡の前に映るシェラマリーの髪は、丁寧に解かされ艶を放ちながらふわふわ揺蕩う。顔の横の髪の毛は細く丁寧に編まれ、花が挿されていた。
ドレスはレモンイエローを基調としていて、パフスリーブの部分は薄いレースで夏らしい爽やかな出で立ちになっている。
背中についた大きなリボンに気を取られながらくるくる回っていると、侍女たちに見つめられていることに気づく。
「なにかお嫌なことはありませんでしたか?」
「……ううん。わたしこんなきれいにしてもらったの初めて! 毎日して。ね、良いでしょ?」
三澄の言葉に安心したようだった
「――その言葉に勝る喜びはありません。ありがとうございます、お嬢様」
◇
部屋を出ればルドフェンが待っていた。
「おはようシェラマリー。もう少しで先方も到着するみたいだから、朝食をとってから庭に行こうか」
「はい、パパ!」
今日も今日とてご飯が美味しい。けどこれから顔合わせなのだからお腹いっぱい食べるわけにはいかない。腹持ちの良いジャガイモが入ったキッシュとポタージュスープを飲みながら、シェラマリーは心の内でため息をついた。
一族の繁栄のために結婚しなければならないのは、この世界で唯一の欠陥と言えよう。
そも、自らの運命を他人に委ねるというのが気に食わない。
女性が直系だとしても、この国では爵位の継承ができない。それならそれで構わない。
結婚する男を操り人形のようにして実権を握るだけだ。
「うふふっ」
「シェラマリー、なんだか楽しそうだね?」
「だって、婚約者の方に会えるの楽しみなの!」
「そうか」
ニコニコ笑いながら、三澄はキッシュにフォークを入れた。
◇
顔合わせに来た少年は、父親の隣で情けない顔をしながらシェラマリーを見つめていた。
目が冴えるような金髪に浅い水瀬の瞳。肌は雪を振り落したようにシミ一つない真白で、唇はまるで紅を引いたように色づいていた。
姿絵で見た時よりその破壊力は凄い。だが三澄にとっては些細な問題だった。
「はじめまして、ヨミ・ジェーン侯爵令息様っ。わたしはシェラマリー・カリメダです。よろしくお願いしますね」
ふわりと花みたいな笑顔を作れば、怯えた顔をしていたヨミの頬が赤くなった。
「……あ、はじめまして。よろしくお願いしますシェラマリー様」
「どうぞシェラマリー、と呼び捨てでお願いします! 敬語もなくて良いですよ!」
「……シェラマリー……」
「はい!」
しめしめ、心の中で笑う。
三澄の目論見通り、ヨミという少年は随分と自信のない子どもだった。本来の容姿よりずっと綺麗に描く姿絵ですら情けない顔だから、よほどだと思ったのだ。
それに、事前から三澄の求める条件に合った同い年の少年には目をつけていた。
その中に彼の名前もあった。調べたところによると、シェラマリーでも比にならないほどの魔力量の持ち主で、幼い頃に暴走させてしまったことが情けない性格に起因しているらしい。
好都合! です!
むふ、と唇が猫みたいに弧を描く。
三澄が求めたのは、ひょろひょろとしていて力が弱そうな、自分に逆らえなさそうな男。だって体が大きい男は怖いから。
役立たずより、自分に襲い掛かってくる可能性がある方が嫌なのだ。
早速、シェラマリーはヨミの手を握る。
「ヨミ様! 我が家の庭は一等綺麗なんですよ! 案内するので、ぜひ一緒に行きましょう! ね?」
可愛い顔を惜しげなく近づける。キラキラと眩い美幼女(侍女に飾り付けてもらったver)の破壊力に、ヨミは顔全体を上気させた。
「う、うん……。分かったから顔を離してシェラマリー」
「ごめんなさい……。それでしたら手も離した方が良いですか? でも、ヨミ様と繋ぎたいなぁ」
うるうる光線発射。
「うぅ……。手は良いよ……」
「わぁ、嬉しいです!」
ハンカチで目元を押さえながら「今日も娘が可愛い……。我が家の庭って言ってくれたの嬉しい……」と呟く父と、「分かります……」ウンウン頷く侍女と騎士に手を振り、三澄はヨミの手を引き歩き出した。
夏の庭には花が花弁を開かせていた。
白いユリは芳しい香りで庭を彩り。
鮮やかなマリーゴールドが、その弾けそうなまん丸い体を風に揺らしている。
小さな池には、青い水に映えるように淡いピンク色の花弁を開かせたスイレンが水面を漂っている。
ヨミが表情を明るくして庭に見入っていた。
「凄く綺麗な庭だね……」
「そうでしょう? あとでこの花々を眺めながらお茶をしましょうねぇ。庭で実ったオレンジを浮かべた紅茶は爽やかで香りが良いし、シェフたちが焼き上げてくれたフィナンシェもクッキーも美味しいんですよ〜。本当は一人占めしたいくらいなんですけど、ヨミ様には特別にあげます」
「あ、ありがとう……」
ほんの少し我儘で、けれどとびきり愛らしいシェラマリーにヨミがさっと顔を逸らした。
それに気づかないフリをしながら歩き続ける。
辿り着いたのは生け垣の中。子どもが二人くらいまでなら入れそうな隙間は、この間三澄が発見した。
「んしょ……。少し狭いけれどとっても素敵でしょう? わたしの秘密基地、ヨミ様に教えてあげる」
「ありがとう……」
語彙が少ないヨミにもシェラマリーは笑顔を崩したりしない。
「――そういえば、ヨミ様は魔法が使えるのですか?」
彼の顔色がサッと変わった。
「なんで……そんなこと聞くの?」
「わたしも使えるので、一緒に魔法を使ったらとぉっても楽しそうだと思いまして! パパも使用人の皆も魔法が使えないからとってもつまらないんです」
むぅ……と頬を膨らませたら、彼は緊張を幾分か解いたようだった。
「……ごめんね。僕は魔法が上手に使えないんだ」
「そうなんですかぁ」
「がっかりした?」
「いいえ! 使えないものは、無理して使わなくて良いんですもの!」
にっこり。両手を合わせて無邪気に言えばヨミの瞳に光が散った。
「使いたくないのなら使わなくて良いのです。ヨミ様、無理して使わないとわたしと約束してください」
「うん、約束する……」
指切りげんまん。嘘ついたら地の果てまで追ってのーろう。指切った。
お互いの小指を組みながら口の中で唱える。勿論ヨミには届かない声量で。
「そうだ、代わりにヨミ様はなにを極めますか?」
「え……。ぼ、僕は勉強が好きかな。特に隣国の言葉を学ぶのは好きだよ」
「良いですねぇ、それ!」
なんて加害性の少ない趣味! 最高!
けれど多言語で悪口を言われた時のために自らもその言葉を学ばなくては……。三澄の心に闘争心の火がぽっと灯る。
だがそれよりも今は達成感に瞳をニンマリさせてしまった。
影響力は微々たるものだろうが、彼が魔法を使いたいと思わせなくした。魔法を使えることは尊いが使えなくてもなんの不利益もない。
使わなければ体に害が出るわけでもないし、構わないだろう。
だって魔法を使われたら、力で太刀打ちできなくなる。
伴侶など、シェラマリーより弱いくらいで丁度良いのだ。
◇◇◇
あれから二年が経った。お互い十歳になった二人は月に二回、お茶会をしていた。
そこでシェラマリーはわざとらしくため息をつく。
「ど、どうしたの?」
「いえ、この間魔法で先生を傷つけそうになってしまいまして……。やっぱり魔法って難しいですねぇ」
たいへ~ん。魔法ってやっぱり危険だぁ。
その意を籠めればヨミはこっそり顔色を悪くした。
「やっぱり、シェラマリーも無理して魔法を使おうとしなくても良いんじゃない?」
「えぇ……でも火出せたらかっこいいし、氷とかはキラキラ〜ってして綺麗なんですよぅ」
ヨミの眉尻が、情けなくへにょりと下がる。
ひょろひょろの肩を縮こませた。
「そうだ。ヨミ様、今度街に行ってみませんか? わたし、可愛い髪飾りが欲しいんです」
そっと腕に触れ――その服の下にある傷を撫でた。痛みに顔を僅かに歪めるヨミに当たりだと直感する。
ヨミは侯爵家の三男であった。それ故に上二人からは軽んじられているし、親も引っ込み思案でおどおどとした彼に、シェラマリーと婚約を結ぶまで対した愛情を見出さなかった。
かの侯爵家は魔法に秀でた者が輩出される家でもあり、二人の兄も魔法が使える。それで昔から酷くヨミを虐めたと、三澄が一人で秘密裏に依頼した情報屋に教えてもらった。彼らに虐められたことが原因で暴走を起こしたことも。
以来虐めは鳴りを潜めたらしいが、公爵令嬢であり結婚すれば当主の座につけるシェラマリーとヨミが婚約を結んだことによりまた活発化したらしい。
虐めなど、到底許されて良い訳がない。それが将来の伴侶だとかは関係なく。
三澄は人として、見過ごす訳にはいかないと考えた。
「ですから、ご両親にその旨をお伝えしてもらって良いですか? そうですねぇ。初めての二人でのお出かけで、とびきり可愛い格好をしたいので……三日! 三日後で構いませんか?」
「うん……分かった……」
兄二人がいつ授業を受け、いつ暇なのかは以前ヨミから聞き出し網羅している。三日後の水曜日は授業がなく、いつもヨミを虐めているはずだ。
そんなヨミがシェラマリーと一緒に出かけるとなれば、彼らは必ず来るだろう。
小リスのように小さなクッキーを咀嚼しながら、どんなドレスを着ようかと思考を巡らせた。
◇
三日後。
「わぁ、可愛いドレス。ありがとう……!」
動けば、ヨミの瞳を彷彿とさせる水色のドレスの裾がふわりと揺れる。
シェラマリーは出掛けるために侍女たちに整えてもらっていた。
今日も今日とて可愛らしいシェラマリーに皆が頬を緩める。美幼女から美少女へ華麗なる転身を遂げようとしているシェラマリーは、大口を開けるのではなく可憐にクスクス笑う。
その仕草は大いに侍女たちの心をくすぐった。
玄関にはルドフェンたちが待っていた。
「それじゃあ、行ってくるね!」
「いってらっしゃい」
屋敷の前にはヨミも待っていて。はにかみながら手を振れば顔を赤くした彼にも手を振られる。
手を差し出される。
「あの……エスコートを……」
「わぁ、ありがとうございますヨミ様!」
拙いが精一杯だと伝わるエスコートを受けながら馬車に乗り込む。
中で揺られながら、三澄は目を細めた。
耳についたイヤリングからは、絶えず音が鳴る。
『よし、アイツラが歩いている隙に、雇った男たちに攫ってもらうんだ。ヨミはボコボコに殴ってもらって、シェラマリー様を俺たちがかっこよく助ける寸法ってわけ』
『さっすが兄さん。それで婚約者を兄さんにすげ替えるってことだね?』
――魔法とは結局、想像力に委ねられている。それを実現出来るかは追々として、まず想像出来なければ顕在は不可能と言われていた。
その点三澄は有利だ。科学の発展した社会で生き抜いたのは伊達じゃない。
これだってそう。電話から着想を得た方法で、相手の家に魔法で作った蝶を放ち、その蝶が聞いた情報が即時、イヤリングへと流れる。
蝶はこっそりヨミのポケットに忍ばせ運んでもらった。
自分の才気に思わず口角が上がるが、すぐにふっと元の表情に戻る。
「でも魔法って難しい……」
魔法でどこまでの魔法が使えるかは明確にランク付けされている。
初級は、炎や水を出すことは出来るがコントロールは練習が必要。だが暴走の危険性などはない。
中級は、コントロール性は最初からある程度備わっている。それに加え、蝶とイヤリングの疑似電話のように離れたものの感覚を繋ぐことが出来る。
上級は、物体そのものを別の場所へ転移させたり。見たものや聞いたこと、物体そのものを保管することが出来る。これは時空に作用する魔法なので、並大抵の者では出来ない。その分暴走などの危険性はあるが。
自分にどの程度の才能があるかは魔力量に依存していると聞く。それならシェラマリーは中級止まりなのだろう。
動画を取りスクリーンに映す――そんな魔法を欲していた彼女にとっては残念極まりなかった。
「シェラマリーどうしたの? 魔法が難しいって……」
顔を覗き込まれ肩が跳ねる。
「いえ、少し考え事をしてただけなんです。それよりもほら! 見えてきましたよ!」
ルドフェンは良き領主であり、街もまた栄えている。活気に満ちていて人々の顔には笑顔があった。特に今は祭りを控えているせいか、どこか浮き足立った雰囲気がある。
馬車から降りた二人は、少し離れたところに立つ騎士たちに見守られながら街を見渡す。
「……す、凄いところだね」
「ですね!」
キョロキョロと瞳を忙しなく動かせば、目的の雑貨屋が見える。
「行きましょうヨミ様」
「あ、うん」
手を引きながら歩き出せば、遅れてヨミも歩き始めた。
◇
店から出たシェラマリーは、鼻歌を歌いながら白い大きなつばの帽子を被る。オーガンジーの青いリボンが空を泳ぐように揺れた。
「ヨミ様、わたし似合っていますか?」
「うん……すごく綺麗だよ」
「えへへ」
白い帽子――を被るシェラマリーを見せつけるためにわざと彼に顔を近づける。
そこでピタ、動きを止めた。イヤリングに意識を集中させる。
『よし、そろそろ良いか……』
くすりと唇が弧を描く。
――いらっしゃいな。虐めなんてこと、二度としようとも思えなくしてあげる。
少し歩いたところで、裏路地に繋がる道の前を歩く。そこで何人もの男がなだれ込んで来た。
騎士たちと引き剥がされる。
「お嬢様ッ!」
必死に掻き分け二人を救出しようとしているが、その前に男たちがシェラマリーとヨミの口に布を押し当てる。
意識が反転し、二人は瞬く間に連れ去られていった――
◇
目を覚ます。
硬い床の上に、縄で巻かれて転がされていた。どこかの家の中のようで、窓が塞がれて薄暗い室内には微かに人が生活している気配が残っている。
隣ではヨミがまだ眠っていた。
三澄は自身の縄を、小さな火で焼き切る。そのまま指先に灯した火を翳せば部屋が明るくなった。
壁は木造で、これなら氷の塊を打つければすぐに脱出は可能だと息をつく。
外には人がいないようだった。子どもだからと油断しているのだろう。
さて、兄二人をどうしてやろうかと考える。ああいう輩に話など通じない。
結局は、恐怖を植え付けるしかないのだ。圧倒的な力で。
そこに一抹の虚しさを覚えながら目を伏せれば、ヨミが間抜け声を上げた。
「うぅん……。ここは」
「ヨミ様ぁ〜〜〜〜っ!」
すぐに涙声でヨミに縋り付いた。依然として縄で縛られたままの彼はシェラマリーに押されコロコロ転がる。
「シェラマリー……」
「うわあぁん、怖いですぅ!」
「その前に僕の縄を解いて……」
意外と冷静だなこの人。中々の死線を潜ってきたのだろう。
「分かりましたぁ」
同じように火で焼き切れば、ヨミもまた辺りを見渡した。
「捕まった、みたいだね……」
「そんな……っ」
三澄は大袈裟に肩を震わせた。
「早く逃げましょう……!」
兄二人がこの近くに潜んでいることは知っている。逃げおおせる途中で痛い目に遭わせれば良い。
手を握れば、ヨミの瞳が翳った。
「――なんで?」
「え」
シェラマリーの手を振り払い、ヨミは三角座りをした。金髪が顔を隠すカーテンのように揺れた。
「多分もう少しで助けが来るよ。だから大丈夫」
「……さっき扉の奥から話す声が聞こえました。男の方は殴って骨を折ると。だからここにいたら危険なんですよ」
「それなら別にシェラマリーが殴られる訳じゃないんでしょ?」
彼はいつもおどおどと話していた、時折どもり時折間を置きながら。
けれど今の彼は酷く饒舌で。その滑らかな口でとんでもないことを言う。
「……助けに来るって、誰がですか?」
「それは騎士たちでしょ」
「助けに来てくれるんですか?」
「来るよ」
不確定な未来を断言する彼に、心臓に爪を立てられるような不快感が込み上げた。
息が荒くなる。シェラマリーとして取り繕えないくらい。
チカチカと、頭の中を無数の人が過ぎった。
見て見ぬ振りをした人。なかったことにした人。助けを求めたのに助けてはくれなかった人。助けるどころか、三澄をより酷く扱った人。
異変に気づいたヨミが顔を上げた。
「……? シェラマリー?」
「――誰も助けてなんてくれませんよ。だって皆自分のことで精一杯ですから。他人なんて、結局自分の人生でなければどうでも良いんですもの。それなのに貴方は助けを求めるだけなんて馬鹿馬鹿しい……!」
唇を噛み締めヨミが発した言葉を唾棄する。
「だから自分で自分の身は守らなければ。だって誰も助けてはくれないんですから!」
だから三澄は強くなった。誰の脅威にも晒されないように。助けなんて待っていても来るわけがないのだから。
「愚かな人……。助けを求めている内に殺されてしまいますよ」
驚いた表情を形作る彼の目から逃れるように、落ちていた帽子を深く被った。
そこで扉が力任せに開けられる。ヨミを殴る要員の男たちが来たのだろう。
「おい、なんでコイツラ縄解いてんだよッ」
二人の男の片割れが叫ぶ。
「まぁ、そんなことはどうでも良いだろ! 男の方を殴れ! 女には手を出すなよ」
立ち上がったヨミが、顔を強張らせて体を竦ませる。
男たちは自分たちが絶対優位だと確信した笑みを浮かべ、拳を振り上げながら近づいてきた。
口の中で呪文を唱える。
――ゴウッ
ヨミとシェラマリーを囲むように、氷の円が現れた。床が凍り、男たちの足や腕も凍りつく。
シェラマリーは不適に笑った。
「ウアッ! 痛い、なんで急に氷が!」
シェラマリーはヨミに手を差し出す。
「行きますよ、ヨミ様」
「……うん」
何故か顔が赤いヨミの手をしっかり握り、二人は駆け出した。
◇
走りながら迫りくる男たちを凍らせたり、風を使い壁に打ち付ける。前世、大学時代に護身術も会得していた三澄にとっては避けながらの攻撃など容易かった。
家の中は然程広くもない。すぐに扉が見える。
そこでイヤリングから焦ったような声が届いた。
彼らはこの先にいるのだろう。大きい氷を放てば扉の前にもいた男が一緒に吹っ飛んだ。
魔法を使えず大した武器も持ってない彼らに負けるような三澄ではない。鼻を鳴らせば、兄二人を見つける。
彼らは顔を青褪めさせていたが、すぐに魔法を放とうとした。その口と足を凍らせる。
「ん"――ッ!」
抵抗するが、氷は溶けないし壊れない。
炎を指に灯し、二人の服に放つ。肌は燃えないようにしながら。
だがそんなこと知るわけもない二人は目に涙を浮かべながら身を捩った。
「ん"うぅ"ッ! ん"ーッ」
くぐもった叫び声。水を浴びせ炎を消す。
「――知っていますか?」
三澄が言葉を発せれば、二人の視線が集まった。
「氷にずっと体を漬けられていると、凍傷になり最悪の場合体が壊死するんです。足と唇、残ってると良いですねぇ」
わざと恐ろしく見えるように歌うように告げる。さっきより数段強い悲鳴を上げる彼らを少し笑ってしまう。
騎士たちにも蝶をつけておいたから動向は把握している。あと五分ほどで到着するだろう。
だから凍傷の危険性は限りなく低いのだが、それを知らない彼らにとっては酷い恐怖だろう。
「うふふっ、人を虐めるからこんな目に遭うんですよ」
彼らに、在りし日の醜悪な笑みを浮かべた人たちが重なる。怯えた瞳は、少しだけささくれた三澄の心を慰めてくれた。
「シェラマリー、ここからどうするの?」
ヨミに問いかけられ、シェラマリーらしい無邪気な笑みを浮かべる。
「寝ましょう!」
「え」
泣きつかれて寝たという体にしておいた方が何かと都合が良い。
ヨミを床に座らせ、その膝に頭を乗せ丸まるように眠れば、ヨミも緊張の糸が解けたようだった。壁に体を預け、寝息を立て始める。
それを聞きながら、シェラマリーもまた眠りについた。
◇
それから寝ている間に騎士たちによって保護され、起きれば見知ったベッドの上だった。
知らせを受けたルドフェンに、目覚めた後涙を流しながら抱き締められた。熊に襲われたかと思って魔法を放ちそうになったことは秘密だ。
結局あの時男たちに攻撃したことは無我夢中でやったということで終わり、シェラマリーは心の療養として一週間ほどをベッドの上で過ごした。
現在、シェラマリーはヨミとお茶会をしている。素知らぬ顔で紅茶を飲んでいれば、ヨミが話を切り出した。
「……シェラマリー。あれ以降、兄さんたちから受けていた暴力が止んだよ」
「まぁ、そうなのですか!? ヨミ様が虐められていたなんて……でも止んだのなら良かったです!」
「うん。二人が呪われたとか何とか言って謝ってきたんだ」
三澄はうふふと笑う。
あれだけではすぐにまたやるだろうな、と見越して、彼らの耳と蝶の聴覚を繋いでおいたのだ。イヤリングにしたのと同じ要領で。
祭りが始まり夜になっても騒々しい街の音が寝ても覚めても聞こえる生活は、彼らの心を蝕んだのだろう。
ヨミに謝れば解けるようにしておいたから、今頃はようやく訪れた静寂に安堵しているに違いない。
彼らが幻聴を訴えた時三澄の仕業だと解らないよう炎や水、氷で魔力の痕跡を付けておいたのだが、この様子だと彼らは訴えていないようだった。
作戦は上手く行った、と評して良いのだろう。しかし男たちを攻撃するよりももっと良い方法もあったのではと考える。
なにか、眠らせるようなもの――
くい、と袖を引かれ思考が中断された。
「――ねぇ、シェラマリー」
「なんですかぁ?」
「シェラマリーの『素』は、あっちなの?」
紅茶が変な気管支に入りそうになる。
「……え〜、すってなんのことですか?」
「そっか、秘密なんだね」
勝手に了解しないで欲しい。僅かに眉根が寄る。
椅子から降りたヨミがこちらに近づいてくる。その水色の目は好き通り、どこまでも見透かされそうで。息を呑んだ。
「誰にも言わないよ。あ、ねぇシェラって呼んでも良い?」
その瞳は透き通っている。だが青い炎が揺らめいているような熱を感じて、そっと体を引く。
「……わぁ、愛称で呼んでもらえるなんて嬉しいです!」
「本当? これからもよろしくねシェラ」
その時の三澄は。
ヨミがひょろひょろな少年から体を鍛え抜いた美青年に成長し、頭一つ分も高い位置から見下ろされることになるとは知らなかった。




