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こちら折戸探偵事務所  作者: 鵜飼かいゆ


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隙間女 後編

隙間女編は終わりですがシリーズは続きます

「あ」

 間の抜けた声がひとつだけこぼれると同時にテープ状の何かが隙間に引っ込んだ。折戸の膝が崩れ、次にバランスを崩した胴体が床に叩きつけられる。

「危ない!」

 ひゅん、と聞こえた音の発生源がどこか把握するより前に身体が一瞬だけ重力から解放され、宙に浮き、床にぶつかった。投げ飛ばされたと理解した時には、目の前で銀テープに脇腹を串刺しにされた八ツ森が、地面に膝を付いていた。どこかの内臓を抉られたらしく、ぶしゃ、と吐血が落ちる。

「ひっ……い……」

 歯の根が合わない。へたり込んでしまったが這って逃げることもできない。このまま死ぬのだ。百舌鳥の早贄のように、全身をあれで串刺しにされて、隙間の中に引き込まれて肉と骨が朽ちても尚見つめられて。

「あー……君、っていうか君の宿主だった女の子……左利き?」

 気の抜けた声が時志の鼓膜を撫で上げた。

 げふ、ごふ、と口から血の塊を吐きながら、八ツ森がゆるゆると立ち上がる。

「は?」

「いやあ、右脇腹で助かったぁ……」

 失血で白くなった手が、テープ状の何かを掴む。八ツ森は握りしめた掌から血が流れているのも構いもせず、隙間に挟まっている何か、いや、隙間女をずるずると引きずり出していく。時々びんと張り詰めるのは、隙間女が抵抗しているのだろう。

「あのねぇ……」

 かつん、とスニーカーの踵が床を叩く。八ツ森は屈めた腰をひねり、遠心力を乗せながら一気に、隙間にいたモノを引っ張り出した。

「つっかまえたぞコラぁ!」

 八ツ森は怒声を吐くと共に釣り上げたそれ、平面上に圧縮された、あの少女のようにも見えるものを勢い任せに叩きつける。ああ、なるほど確かにこれは隙間女だと、そう呼ばれるべきモノだと、時志が異形の外見と名前に納得している間に目の前では暴力が振るわれていた。即ち、八ツ森が引きずり出したマウントポジションをとり、ひたすら殴り続けている。

 何が起きているのか分かるようで分かりたくないが、脇腹を犠牲にして、脳内麻薬を大量に出すことで痛みを紛らわせて戦ってくれているのだろうと、思考を半分フリーズさせながら時志は己を納得させ、漸く倒れている折戸を気遣うに至った。脇腹を抉られても死なないだろうけれど、脳を破壊されたら人間は死ぬ。この場合って警察でいいのか救急車でいいのか、それともこういう異常事態専門の問い合わせ先があるのか悩みながらスマートフォンをパンツのポケットから引っ張り出しながら、どうにか這いずるように近付き。

「っあ……」

「え」

 眉間を貫かれたはずの男が上体を起こすのを見て、回復しかけた腰が再び抜けた。

「いって……めちゃくちゃ痛い……」

「は? え? なんで?」

「あれ、俺、ちゃんと喋れてます? 脳やられたの久しぶりで……」

「赤羽の酔っぱらいよりは全っ然流暢に話せてますけど……なんで」

「ダメだ、視界がおかしい。もう少し待たないとダメか」

 顔に流れる血を掌で拭いながら、折戸はスーツケースを引き寄せて、中から銃器……拳銃などではなくもっと大振りの、おそらくショットガンと呼ばれるものを取り出した。しかし時志は銃刀法違反程度ではもう動揺ができないでいた。全てが理解を超えている。せめて大ぶりなナイフとかであってほしかった。

 銃を大事そうに抱えながら、折戸が叫ぶ。

「八ツ森くんごめん! もう少し時間稼いで!」

「女の子殴るの好きじゃないんだけどねぇ」

 そう言いながらも喉らしき部分を左手で締め上げながら、胴体らしき位置に右フックを入れている。いつの間にか手にナックルバスターか何かを嵌めているのかもしれない。薄いとは言え肉を殴っているにしても、打撃音がやけに重い。ああいうモノに殴打が通じるのかは分からないが、隙間女の腕らしき部分が八ツ森の手をいなそうと暴れている。だからきっとダメージが通じているのだろう。時志は理解を投げた。合法ドラッグを嗜んだ時よりもバッドトリップした世界が目の前に広がっている。

「ダメだよぉ? 痛いの分かってるなら大人しくしないと」

 昨日美味しい食事を作ってくれた男が、今朝も「終わったら朝ごはんにしましょうね。パンとお米どっちがいいですか?」と話を振っていた男が、今は血まみれになって、笑顔を浮かべながら、薄っぺらい形状の女のように見える怪物を殴っている時点でもう理解を超えているのだから。

「っし……身体の感覚も戻ってきた……」

 よろけながら折戸が地面に片膝をつく。手の動きを確かめるためか、銃を持っていない左手を動かしているが、支障はないように見えた。折戸は息を吐き、銃を構えた。さっきまで死にかけていた人間、もう彼を人間と呼んでいいかわからないが、とは思えないほど、姿勢はまっすぐでブレを感じない。

「八ツ森くん!」

「はあい」

 隙間女の首あたりを掴んだまま、八ツ森がふらつきながら立ち上がる。かつん、と、またやけに靴音が大きく耳に響いた。

 折戸が低い声で囁く。

「往け」

 ぱん、と、短い爆竹のような炸裂音。一拍を置いて、弾丸が隙間女の頭部に命中した。鼓膜を引っ掻くような断末魔と共に、あれほど恐れていた存在は、フィルターを取り除いたように綺麗に掻き消えた。

「頭痛い……死ぬ……」

 両膝をついた折戸が、急に荒い呼吸を繰り返す。

「大丈夫でしょう、死にませんからね」

 苦笑交じりの声が、いやに大きい靴音と共に近づく。

「気持ちの問題」

 歩み寄ってきた八ツ森の血まみれの手には案の定、小ぶりのナックルバスターが嵌められていた。

 色々と聞きたいことはあるが、きっと彼らの武器にはツキモノツキと戦うために何かオカルティックな能力があるのだろうと、チープな少年漫画の展開を現実に押し広げて無理矢理納得した。

「桃花台、時志さん」

「は、はい……なんでしょうか……?」

「ご依頼頂いたストーカー被害の対処、完了しました」

 そんなことを血まみれで言われても。

「ありがとう……ございます……」

「あとは」

 ひどく自然に、折戸のライフルの銃口が、時志に向いた。全身が総毛立ち、冷や汗が背中を伝う。

「あなたに憑いているものの対処ですよ、桃花台時志さん」

「……は? 何、言ってんの」

「ご自分はツキモノツキではない、と仰いますか?」

「当たり前だろ! 隙間女って、ストーカーの執念だって、あんたが!」

「疑うなら、そのままお帰り下さい。お代は結構です」

「……!」

 銃口が下ろされる。言われなくても帰るつもりだ。もう怪異が去ったのなら、ここに長居する義理も無い。だから早く出て行こうと立ち上がり、一歩踏み出そうとして。

 一歩も動けないことに気が付いた。何かがあるわけではないのに、身体が動こうとしない。

 違う。

 そんなはずがない。

 だって。

「だって、襲撃されないって、あんた。俺がツキモノツキって言うなら、最初からこのビルに入れないだろ」

「申し訳ありません、俺はひとつ嘘を吐きました。対策を打ったのは、あなたが来た後ですよ。何しろハトちゃんも八ツ森くんもツキモノツキですから、常時入れなくすると色々問題がありますからね」

「……え?」

 八ツ森がツキモノツキなのは納得がいくが。

「あなたが来た後に仕込んだ防壁は三つ」

 折戸は右手の指を三本立てて見せる。

「ハトちゃんが帰る時に設置した『ツキモノツキを四階から上に入れなくする』という外側に向けたもの」

 折戸は言う。

「もうふたつは先ほどあなたに話した隙間女のための綻び。これは昨夜のうちに仕込んで、時限式に今朝綻びができるようにしていました。そして最後」

 折戸は人差し指だけをぴんと立てた。

「今朝ここに来る時に俺が設置した『屋上にいるツキモノツキを出られなくする』という内側に向けたもの。ちょっと趣向を凝らして、出ようと認識した瞬間に動きを妨害するものにしました。ちなみに、俺自身ツキモノツキなので、自分で張った防壁を解除するまで出ることができません。今俺が死んだら誰ひとりここから出られなくなります。まあその心配はありませんけど」

 こうやって、と折戸は何も無いところに向けて手を突き出す。しかし腕が伸びきる前に、何かに押し返されたかのように、不自然なタイミングで動きが止まった。

「何か忘れてること、ありませんか。思い出して下さい。ストーカーに関して、何かひとつ忘れているものがあるはずだ」

 そんなことを言われても。

 折戸に昨日すべてを話したはずだ。

 厄介なファンがストーカーになった。

 弁護士やら警察やら挟んでどうにか解決して。

 昨日隙間女を見て、一緒に目撃した家主に「あんたに憑いてる生霊だろ」と言いがかりをつけられて追い出されて。

 ……記憶に空白がある。

 ストーカーに家がバレて帰れなくなった間、俺はどこに。

 ああ、元カノだ。

 あいつと、なんで別れたんだっけ。

 そうだ。

「……手紙」

 弁護士を通じて渡された、謝罪文というには拙い手紙の文面を、不意に思い出す。

 トキシのこと知りたかったから、ずっと見ていたかったから、ライブ終わってから出待ちしたり、家まで付いて行ったり、リハスタ調べたりしました。ごめんなさい。今まで楽しい思い出をありがとう。大好き。

 あの手紙。あれだけじゃない、他に、もっと、自分は何通もの手紙、を、どこにやったっけ?

 どうして忘れていたのだろう。

 身体に力が入らなくなり、ずるりとへたり込んだ。

「……嬉しかったんだ、やり方は間違っていても、俺のことをあんなに想ってくれて」

 ぼろぼろと言葉が口から零れ落ちる。

「大事にしたくて、でも捨てたくもあって、だから」

「手紙を吸収……いや、食べたんでしょうか」

「ああ、美味かったよ」

 どうして忘れていたのだろう。弁護士を通じて渡された手紙。なぜか美味しそうに見えて口に運んだら、何故か甘美さを感じて。そのまま、保管していた、あの少女からの他の手紙も、他のファンからの手紙も、一枚残さず平らげて、それを目撃した彼女に、気持ち悪いだのもう限界だのと言われて、追い出されて、別の女の家に転がり込んで、そうして、昨日、隙間女を見て。

「文車妖姫」

 折戸が、知らぬ何かの名前を言う。

「手紙、特に恋文に込められた執念が鬼になったものとして伝えられる妖怪です。恐らく、手紙を受けとった時か、処遇に悩んだ時に憑いてしまったんでしょう」

「どの感情にだよ」

「まだあなたに混ざって存在している状態なので、あなたが分からなければ、なんとも。憑き物の性質と、あなたが忘れていた情報を重ね合わせるに、執念……じゃないな、気持ちを伝えたい欲求」

 折戸が一瞬だけ視線を泳がせ、再び時志を見つめる。

「弱っていたあなたの心との相性がよかったんじゃないですかね。音楽は最古の芸術ですから。ご安心ください! 駆除したところで死ぬわけではありませんので!」

「憑いてんの駆除したら、俺はどうなる?」

「それは、」

 折戸が言葉を濁す。八ツ森の方に目を向けると、眼が合う直前に逸らされた。

 つまりは、そういうことなのだろう。

 憑かれたものを引き剥がされた心が、綺麗に元の形に戻るわけがない。

 他者への執念が一部だとしても剥ぎ取られるなら、それは死ぬのと同じではないか?

「無くなったり弱くなるなら、殺してくれよ。そんなの死ぬのと変わんねえし」

「言いたいことはものすっごく分かるんですけど、こっちも仕事っていうかライフワークって言うか」

「っていうかお前らだって憑かれたまま生活してんじゃねーか。そのクチで俺にどうこう言うのって不公平じゃね?」

「……桃花台さん、あなた命の危険が過ぎるなり傲慢になってません?」

「バンドマンってそういうものじゃない? こっちが素でしょ」

 八ツ森が身もふたもなく図星をついた。

 当たり前だ。命の危機に瀕してる状態で居丈高にいくバカはいない。

「まあまあ隙間女に比べたら危険性が低い憑き物ではあるけど無害ってワケでもないんだよなぁ……でもなぁ」

 曖昧なことを言いながら腕を組み空を見上げる折戸を見て、時志は苛立ってきた。

 さっきまでカッコつけてた癖になんだお前。

「はーい、答えから逃げないでくださーい! 手紙食べる俺より死なない不審者のほうがやべーだろ絶対によー!」

「八ツ森くん、どうしよう。……殴りたい」

 再び向き直った折戸の眉間には深い皺が刻まれている。

「巴が殺せっていうなら全然殺すけど」

 八ツ森の物騒な言葉に茶々を入れようとした時。

「あれー? まだ終わってなかったんですかー?」

 乱入者が現れた。

 遠目からでも容姿端麗だとわかる男がひとり、ドアのところに立っていた。

 おはようございまーす! と元気な声を上げながらハトが駆け寄ってくる。緊張していた空気が強制的に霧散した。

「……なんか剣呑な雰囲気ですねぇ。どうかしたんですか?」

「憑き物落としたくないんだって。ツキモノツキでいたって何もいいことないのにねぇ?」

「陸さんはそういうこと言えた義理じゃないと思います」

「そんなことないよぉ?」

 ハトは腕を組んで少し考え込んでから屈み込み、へたり込んでいる時志と視線を合わせた。

「よかったら俺の家に来ませんか? 引っ越しの諸々はキャンセル料払えば済みますし」

「え」

「いいの? ハトちゃん」

「そうすれば監視にもなりますよね?」

「ハトちゃんさん……」

 逆光のせいだろうか、ハトが天から舞い降りた神様に見えた。血まみれのチンピラどもとは大違いだ。

「ハトちゃんが様子見るっていうなら、いいんじゃない? バンドマン飼うの大変らしいから頑張ってね」

「……ちゃんと面倒見るんだよ、ハトちゃん」

 まるでペットを飼おうとする子供と親のようなやりとりだが、保健所に行く行かないで討議されているのは他でも無い時志自身であり。

「はい! よろしくね、桃花台さん」

「よろしく、お願いします……?」

 事態が曖昧なことには変わらないが、桃花台時志の住所が久方ぶりに定まった瞬間であった。

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