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こちら折戸探偵事務所  作者: 鵜飼かいゆ


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プロローグ

次回から本題です

 帝都、某区某所。

 都心からほど近い駅の、山手線しか止まらない駅から徒歩5分。

 隣の駅の同条件の物件よりは少しばかり賃料が安いぐらいしか取り柄がなさそうな。古めかしい雑居ビルに、「折戸(おりど)探偵事務所」は軒を構えていた。

 室内にはビジネス用の机がふたつあり、片方は空席、もう片方には髪の毛をブルーグレーに染めた、人形めいて整った顔をした色白の青年が、ノートパソコンに向かい黙々とキーボードを叩いている。

 そして「所長」と書かれた黒いプラスチック製の三角錐が置かれたデスクに座った、スーツを着崩した穏やかそうな顔立ちをした青年は、合皮張りの椅子に腰掛け、時折メガネのつるをいじりつつ、雑誌に掲載されたクロスワードパズルと対峙していた。

 室内に響いていた打鍵音が不意に止む。美青年は、んーと声を上げながら伸びをし、上半身を椅子の背もたれに預けながら所長席に向けて反り返り、窓が割れそうなほどの大声を張り上げた。

「所長、今日もお客さん来ませんねえ!」

「そうだね~ッ!?」

 この事務所の所長である折戸巴(おりどともえ)は問いかけについてひとまずの肯定をしたのち、鼓膜を揺さぶった声量の余韻と、自分に突き刺さる視線から逃げるように、椅子ごと身体を窓に向けた。

「今月、猫探しと別れさせ屋しか仕事がないですよ。この状態で探偵事務所って名乗ってもよろしいんでしょうかねぇ!?」

「こういうのは名乗ることが大事なんだよ。それに……猫探しも別れさせ屋も立派な依頼だと、思うんだよな……」

 折戸は窓の外、遠くの空を見つめながら答える。今日もいい天気だ。

「今月の仕事は全部八ツ森(やつもり)さんがやってますけど、所長は何はしておられるんですか?」

(はと)ちゃんに事務をお願いして、八ツ森くんに肉体労働を命令するのが、俺の仕事なんだよなぁ。そう、指示を出すのが所長の仕事……」

「あのですねー、この状態だと、ここの家賃……んー」

 鳩と呼ばれた青年は唇を尖らせながら預金通帳のページをめくり、電卓を叩く。折戸は観念し、椅子と身体を正位置に戻した。計算結果が表示された液晶画面が突きつけられる。

「向こう30年しか払えませんよぉ?」

「更新料を含めて?」

「入れて30年ですねぇ。所長の生活費と僕らのお給料と事務所の経費込み込みで」

「家賃払えなくなる前にこのビルが朽ち果てそうだな」

「じゃあ引っ越し代も入れてー……そうなると多分家賃が上がるから……20年?」

「リアルな数字だ」

「シビアに計算しましたからねえ!」

「向こう50年健やかに生活できるぐらいは資金をプールしたいんだよなぁ」

「それならもっと働かないとだめですねぇ」

 鳩は苦笑を浮かべながら電卓を机の上に置くと、椅子から立ち上がり伸びをした。

「何もしなくてもお給料が発生するのはありがたいですけど、このままだと僕、退屈で死んじゃいますよ」

「死んじゃいそう、ね……」

 折戸が不意に浮かべたアンニュイな表情を見た鳩は、何か面倒なことを言われる予感を察知し、茶を汲んで茶を濁そうと決めた。

「所長、僕お茶入れますね。何飲みます?」

「コーヒー、ブラックで」

「はーい」

 おやつも出しますねーと言いながら、鳩はパーテーションの向こう側に歩いて行く。その後ろ姿を見送ると、折戸は再びクロスワードパズルに対峙する。抽選で合計10名に豪華賞品が当たるらしい。応募に必要な、太字で囲まれた文字を適切に並び替えて作るキーワードはとうに分かった。「おむらいす」だった。最近食べてないと思ったら無性に食べたくなったので今夜はオムライスを食べようと決めた。しかしパズルは全て埋まっていない。単純に分からなかったからである。検索すれば分かるだろうが、それはそれで負けた気がする。しかし悩んでいる間に〆切が過ぎたら癪だ。抽選に応募してから残りをゆっくり考えよう、と結論付けて、応募用ハガキを雑誌から切り離す。

「はーい、コーヒーと、おやつのクッキーでーす」

「いただきます」

「召し上がれ」

 コンビニのプライベートブランドのチョコチップクッキーをもさもさと口に運び、半日近くクロスワードパズルに費やした脳を存分に甘やかし、流し込むコーヒーの苦みで刺激していると、ドアの向こう、階段の方から、かつんかつんという足音が登ってくるのが聞こえた。

「八ツ森さん、仕事終わったんですかねぇ」

「疲れたから直帰するってメッセ来てたわ」

「今日どこの猫ちゃん探しでしたっけ」

「宮川さんちのモカちゃん」

「あー、あのおっきい子」

「そうそう」

「ちょっとしたお米の袋サイズなのに逃げ隠れがお上手ですよねぇ」

 靴音が通り過ぎて、数拍の後。事務所内にインターホンが響いた。

「あれ、八ツ森くん?」

「直帰する言うてましたから違うと思いますよ? はーい?」

 鳩が小走りにドアまで駆けていく。

「あの、探偵事務所って、ここですか」

 戸惑いの色が濃い声が、静かな室内にやけに響く。

小柄とは言え成人男性である鳩の陰に隠れてよく見えないが、それなりの量の荷物を抱えた男性に見えた。猫を連想させる、やや丸まった背中と顔つきと癖毛。知らない人間。飛び込み営業や強盗には見えない。つまり客。

 応募は後にしよう。折戸はそっと雑誌を閉じ、机の引き出しに放り込んだ。


 数分前。

 桃花台時志(とうかだいときし)は、探偵事務所と書かれた看板に目を留めていた。練習に使っていたスタジオの近くに在る、5階建ての古びた雑居ビルの4階。何度も通過した建物なのに、今までどんなテナントが入っているかなど、1階にコンビニ、2階はずっとテナント募集中の張り紙が貼られた空き部屋だという以外の認識しかしていなかったのに。

 入ろうと決意したのは、ただ単に気休めをしたかったのかもしれない。自分を知らない誰かと話して、笑い飛ばされたかったのかもしれない。夜を過ごす相手がいないという現実に向き合うまでの時間稼ぎをしたかったのかもしれない。エントランスにあったエレベーターを待ちながら、時志は自分が何をしたいのかを考察する。探偵をカウンセラーにしたいだけなのだなと結論づけて、それでもまだエレベーターが来ないのを訝しんでいると。

 かつんかつんと、床にやけに響く靴音が耳に届いた。

「そのエレベーター、修理中ですよ?」

「え?」

「あぁ、張り紙剥がれてたんだ」

 後ろからぬるりと現れたのは、綺麗にプレスされたグレーのスラックスと、何故か枯れ葉と枯れ枝がまとわりついた黒いトラックジャケットを纏った男だった。上半身が例えばストライプ柄のシャツならば、芸能関係かベンチャー企業にいそうなインテリヤクザ風味があったかもしれないが、藪の中で暴れまわってから戻ってきたような上着が彼を正体不明にしている。

 男は床に落ちていた廃品回収のお知らせを拾い上げると、エレベーターのドアに張り付いていた養生テープを使って貼ってみせた。昨今のフライヤーにしては珍しく、裏面には何も印刷されていない。そこに、故障中、と、太めの黒い油性ペンで殴り書きされている。

「もしかして、4階に用ですかぁ?」

「ぇ、あ、いや、あの」

「エレベーター使いたかったってことは、3階から上でしょ? 3階の雀荘は今日定休日だし、5階にはお店入ってないし。屋上に寝泊まりしようとしてるようには……うーん、見えなくもないですけど。それならエレベーター待たずにさっさと階段使いますよねぇ? 待ってたら人目に付いちゃいますし。違ったらごめんなさい」

「……はあ、まあ、そうです、はい、合ってます、けど」

 合っているし、このビルのテナントを把握している人間なら簡単に察しが付くのだろう。しかし、初対面の相手に目的を当てられるのは、頭の中を覗かれたような不快感がある。

「僕途中まで行きますから、荷物持ちますよ」

「ありがとうございます」

 5階にお店は入ってない、と曖昧なことを言っていたから、もしかしたら5階を住居にしているのかもしれないな、と思いながら、好意に甘えた。踵を返した時に目に入った夕陽がいやにギラついたから、「気にしないでください」と笑い声で応じた男の表情は伺えなかった。

「ここの探偵って、腕前どうなんですかね」

 2階を通り過ぎ、3階に置いてあった雀荘の立て看板を押しのけた頃、沈黙に耐えきれず口を開いた。

 かつん。かつん。かつん。男には着替えを入れたリュックしか預けず、また彼自身A4サイズの茶封筒しか持っていなかったのに、背後からいやに靴音が響く。

「さぁ? 僕は依頼したことがないから、分からないですねぇ」

「大丈夫でしょうか」

「頼んでみて、ダメだったら他を当たればいいんじゃないですかあ?」

 男の返事は平坦かつ冷淡だ。悩みも言っていない相手に受容や共感や問題解決を求める方がレートのおかしい話ではあるが、自分勝手という自覚を持った上で少し腹が立った。

「そっすね」

「深刻なんですか? お悩み」

「……まあ、それなりに」

「それ、僕に話せる内容ですか?」

 言葉を吐く代わりに唾液を飲んでいた。

 話せるわけがない。あんな、自分の正気すら疑わしいこと。遭遇した時に自分以外の人間がいなかったら、間違いなく探偵事務所よりも先に精神病院に駆け込んでいたような、出来事が。

「……いいえ」

「じゃあ、大丈夫ですよ。そういうことを解決するのが、探偵らしいですから」

 4階に到達する。男は右肩に掛けていたリュックを降ろすと、ここでいいですかと確認して、壁に立て掛けた。

「解決するといいですねぇ」

 そう言って、やはりやけに甲高い靴音を鳴らしながら案の定、上の階に登っていく男の背中を見送ってから、時志はインターホンに手を伸ばしたのだった。

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