肩に乗る憂鬱
この世界では、憂鬱さは隠せない。
人の肩の上に、魔物として現れるからだ。
軽い憂鬱なら、小さなスライム。
通勤電車で見かける程度のものだ。
俺の肩には今、
スーツを着た中年悪魔が座っている。
腕を組み、深くため息をつく。
「……はぁ……月曜か……」
いや、それ俺のセリフだから。
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駅のホームは、魔物博覧会だ。
・学生の肩には、机に向かって勉強しているスライム。
もうすぐ受験なのだろう。
・新人社員の肩には、プレゼンの練習をしているゴブリン。
取引先との打ち合わせがあるに違いない。
俺の悪魔は、電車が遅れるたびに舌打ちする。
「この遅延、俺のメンタルが持たないぞ」
だからそれ、俺のメンタルだって。
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会社に着くと、上司が声をかけてきた。
「おはよう」
上司の肩には、三段腹のケルベロス。
三つの口が同時に吠える。
「進捗!」
「残業!」
「気合!」
上司本人は黙っているのに、
魔物だけがフルタイムで働いている。
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昼休み、同僚の佐藤が言った。
「見てくださいよ、俺の」
彼の肩には、小さな魔王。
ホワイトボードを掲げている。
『ストレス』
・上司
・仕事
・上司
「上司、二回書いてるな」
「重要項目ですから」
魔王、几帳面すぎる。
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午後の会議。
会議室には、人間と同じ数の魔物がいる。
発言するのは、特定の一人と、
その肩のケルベロスだけ。
あとの人間は、全員置物のように黙っている。
ふと横を見ると、
参加者たちの肩の魔物が、
車座になってトランプをしていた。
人間が思考を止めているから、
魔物も暇なのだ。
「上がり」と言わんばかりに、
スライムがカードを叩きつける。
現実の議題は、一歩も進んでいない。
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帰り道、雨が降る。
魔物たちは、濡れると弱くなる。
俺の中年悪魔は、急に縮み、
文句も言わなくなった。
「……寒い……」
「傘、半分貸そうか?」
「……ありがとう」
なぜか、礼儀正しい。
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家に帰ると、悪魔は肩から降りた。
ソファに座り、勝手にテレビをつける。
「今日はもう、無理だな」
「ここ、俺の部屋なんだけど」
「じゃあ家賃半分な」
「一円も持ってないだろ、お前」
遠慮という概念を、
彼はどこかに置いてきたらしい。
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風呂上がり、鏡の前で歯を磨く。
俺の肩は、少しだけ軽い。
憂鬱は消えていない。
でも、ツッコミどころがあるだけで、
だいぶマシになる。
ふと、違和感に気づいた。
――悪魔の肩だ。
スーツを着た中年悪魔の肩に、
小さな、小さな魔物が乗っている。
灰色で、しょんぼりして、丸くなっている。
「……お前、そんなの乗せてたっけ?」
悪魔は、ちらりと自分の肩を見る。
「ああ」
ため息。
「最近な」
「仕事?」
「部下」
即答だった。
俺は歯ブラシをくわえたまま、
しばらく考え――
ぽつりと言った。
「……お前も、大変だな」
悪魔は一瞬だけ黙り、
それから、少し肩をすくめた。
「まあな」
悪魔の肩の魔物が、
ほんの少しだけ、軽くなった気がした。
⸻
明日も、きっと肩は重い。
世界から、魔物は消えない。
でもたぶん、
誰かの肩を見てやるだけで。
「そこにいるんだな」と認めるだけで。
魔物は、少し軽くなる。
ここは、そういう世界なのだ。
俺は電気を消した。
隣のソファで、
俺の憂鬱が、
大きなあくびをした。




