98. 愛され神官・玲の秘めた決意とは?
和菓子屋さんは、入り口の番傘の下でおにぎりやあんみつを食べることができるようになっていた。
それで、私と玲は簡単な焼きおにぎりと味噌汁に小さなあんみつ付きのランチをいただいた。
「おいしいね」と言い合ってのんびり食べ終わり、最初に包んでもらっていたお土産を持って翡翠宮への帰途につく。
呉服屋さんに向かう朝の道でも思っていたけれど、帰りも道をゆっくり歩くだけで、翡翠の街の人々が玲をそっと見つめていることに、私は気付いていた。
買い物やすれ違うときに挨拶をしたりして、玲と話すときは皆うれしそう。
神官って立ち位置が関係しているのか、気軽に話しかけてくる人は少ない。
でも遠くから見るアイドルみたいに、皆が玲のことを見守ってる感じだった。
「皆、玲のことが大好きだよね!」
もう少し歩いたら、翡翠宮の外壁が見えるかなという辺りに差し掛かったとき、私が笑ってそう言うと、玲は少し考えるような表情をした。
「そうでもない。でもまあ、神官っていうのは賑やかし担当みたいなもんだから、あんまり文句言われたりすることは少ないかもな」
「誰か、文句言われたりすることがあるの?」
「やっぱり、神殿の僧医は人の病気や怪我を診るから、助けられなかったときに責められるってこともあるよな。戦の時は街の皆もぴりぴりしてたし……今は、戦が終わって、翡翠も時々は西の砦から翡翠の街に戻って来るようになったし、やっぱり、街の空気がやわらかくなってるなって感じた」
「……そっか。やっぱり、戦いの最中だと、心配だもんね……」
私がそう言うと、玲は微笑む。
「うん、結局、戦が続くとしわ寄せは街の皆に来るから……皆きつかったろうし、そこをきちんとするのが翡翠宮にいる俺たちの仕事なんだ。本来は。そして平和になったのは、薫のおかげもあるんだから、薫は胸張ってていいんだぜ?」
そう言って私を元気づけるみたいににこにこ笑うから、私は照れるような、胸がいっぱいになるような変な気持ちになっている。そして、どれだけの責任感を持って玲は神官として立っているんだろうと、尊敬の気持ちすら感じていた。
「……うん。まだまだできないこと多いけど、がんばるね!」
私が言うと、玲は首をかしげて不思議そうに聞いた。
「そんなにがんばらなくていい。何ができないと思ってるんだ?」
「ええ~、なんだろ。歴史とか呪術とか、まだ知らないことも多いし……あ、でも、料理は今度、また桐矢さんに教えてもらう約束してるんだ♪」
「いいな、それ。俺も一緒に習おうかな」
「玲は結構できるんじゃないの?」
「こないだ、おまえがバレンタインに作ってくれたみたいな餡子はまだやったことない。ぜんざい食いたい」
「じゃあ今度一緒に習おうか」
「そうしよ」
にこにこ笑う。
五月の太陽の光に玲の髪が照らされて、その目もきらきらと光って、私は穏やかな幸せを感じてた。そうしたら、ふと、玲が言った。
「ああ、でも……さっきの、賑やかし担当って話で言うと、俺は基本的にあんまり期待しねえし……俺がいなくても、風雅の国の政治はまわるんだ。だから、結構立ち位置的に、桔梗や夏野に比べたら楽してるって気持ちはあるかな」
「そんなことないと思うよ」
私は言った。
だって玲は皆の希望だと、今日、街を歩いていても、つくづく思っていたから。
「うん、それは役割の違いだから、まあいいんだけど……そうだな、さっきの、できないことって話で思い出したけど」
ふいに、悔しそうに玲が呟いた。
「俺は、薫がここに残るって言ってくれて……そうか、いなくなったとき俺は絶望するから、薫がここにずっといるって未来を考えないようにしてたと思って……似た感じで、父さんについては、そういう気持ちを持たないようにしてる、ってところはあるかも」
いなくなったときに絶望するなんて思うんだったら、最初から私のことを手放すなんて、思わなければいいのにね。
私は、玲がものすごく哀しそうな目をしながら、『薫は日本に帰った方がいい』なんて言い出した夕方のことを思い出す。
そしてもうひとつ、 私はその玲の言葉を聞きながら思い出したことがあった。
玲のお父さん、薬師の龍樹さんは、玲が吐血した時にしばらく傍にいて、薬を煎じてずっと看病してくれていたけれど、しばらくして玲の状態が快方に向かうのと同時に、また飄々とした風情で湖のほとりの家に帰って行った。
私はその時、玲が龍樹さんを見送るところを、直接見たわけではないんだけれど。
なんとなく、今月初めの祝宴のときに龍樹さんを見ていて、何かお互いに、そっと見守ってる感じをものすごく感じてたんだ。玲と龍樹さん、片方だけではなくて、二人とも。
もしかしたら、玲は怖いのかな。
龍樹さんに、置いて行かれたと思ってるのかな?
ほんとうは一緒にいたいんだと、思うんだけどな。
それは、心の奥で私が深く考えていた、玲の本質に迫る問いだった。
踏み込みすぎだろうか。彼がそれを言葉にしていないのに、こちらから聞いたら玲は不快だろうか?
同時にちくんと傷跡がまた痛んで、私は思考を断ち切られる感じになって、思わず聞いていた。
「龍樹さんと一緒に住めたら楽しそうだよね」
言った瞬間、玲がぴたりと固まった。
しまった。やっぱり触れたらいけないことだったと思って、私は話題を変えることにする。
「玲は、神官って役職を、辞めたいとか思ったことはないの?」
それもギリギリの質問だったかもしれなかった。
でもそれは、浄化の滝で一瞬浮かんだ私の暗い考え……助け手なんて投げ出したいという心理と絶妙にリンクしている問いだった。そして、神殿に六歳で預けられたと玲から聞いたとき、神官の勉強のためにと言っていた。それがなかったら、玲はずっと龍樹さんと一緒にいられたんじゃないのかなという気持ちもあった。
玲は一瞬私を無言で見つめて、少し口の端で笑って首を振る。
「ないな。……俺は舞は好きだし、やりたいことがあるから」
それは何、とは、なぜか聞けなかった。
怖いくらい美しい玲の舞を思い出す。
いつか教えてくれるだろうか?
私はそんな気持ちを胸に、玲の端正な横顔を見つめていた。




