83. Happy Valentain's Day ーバレンタインに祝福をー
話は二月中旬に遡り、玲との初めてのバレンタインデー、薫はどうしたのかという話です♪ 時系列的には、第78話 西羅 に続くお話となります。
姫将軍・翡翠と、敵将だった西羅のことに決着が着き、私が西の砦から、夏野と滝と一緒に戻ってきたのは二月十二日のことだった。
「さすがにちっと疲れたよな!」
翡翠の街に戻ってきて、厩舎に戻した愛馬の炎群を撫でながら、滝が言った。
私は紅玉にお水をあげながら、ちょうど背中側にいた夏野の方を振り返る。
時間は午後二時、冬の空は綺麗に晴れて、ほんの少し緩んだ風が吹いていた。
「ほんと、お疲れさまだったね……。私の姫教育って明日から再開する?」
すると、夏野はあっさりと首を振った。
「行方不明だった翡翠が見つかり、西羅と和平を結ぶってことは、翡翠の身代わりとしての薫の姫教育は、それほど緊急性がなくなったってことだ。まあ、風雅の国の歴史なんかは今後も勉強する必要があるし、剣術稽古や乗馬は、鍛錬って意味でやった方がいいだろうがな。問題だった戦のことは一段落だ。今週は姫教育は休みにして、ゆっくりしたらいい」
私はなるほどと頷いて。
夏野はいつも通りの冷静さで続けた。
「この後、青の間に行って、桔梗と玲、黎彩と朱鷺子にまずは報告だな。滝は黎彩を呼んできてもらえるか?」
わかったと言って、滝がすぐに軍の訓練場の方に駆けていき、私は速水邸に荷物を置いてすぐ、軍議や姫教育に使っている青の間に向かうことにした。
◇
青の間での報告も終わり、玲が
「お疲れ、薫。よくやったな」と笑ってくれて、私は速水邸に戻った。
その日は疲れ果てて早寝をして、翌朝。
目覚めた私がお庭に出ると、しんと冷えた綺麗な冬晴れの青空が広がっていた。
(これこそ、あたらしい朝が来たって感じだよね……。)
呑気にそんなことを思った私、そこで、はたと気付いた。
昨日は二月十二日だった。
今日は十三日。
……明日って、二月十四日、じゃない?
「……バレンタインじゃないですか……」
今年に入ってから、速水は攫われ、入れ違いに私も拉致され、なんとか助けてもらったものの、その後は玲の身体を回復させなきゃと北の森に薬草を採りに行き、でも間に合わず、一月末に玲は吐血してしまった。
その後の二週間、私たちは再び彼の回復をはかりつつ、次は翡翠と西羅のこと、そして西軍と東軍をなんとかしなきゃと皆で走り回っていて、忙しすぎてイベント事なんて、完全に頭から抜けていた。
そして、私はこの四ヶ月、風雅の国でチョコレートを見たことがなかった。
……この国は、室町時代くらいの世界線。
チョコレートってあるのかな。
ないんだろうなあ……。
「ちょっと料理長に聞いてみよう!」
バレンタインデー前日、私は朝ごはんを軽く済ませて、翡翠宮の料理長・桐矢さんに相談することにした。
◇
翡翠宮の食堂・白龍亭。
平日はいつも、大体十一時三十分くらいからランチタイムが始まる。
いまは朝九時三十分。
早い時間のその広い空間には、さすがに誰もいなかった。
長いテーブルが四列並び、四十人くらい座れるようになっているこの食堂は、人がいないと知らない場所みたいにがらんと広い。
湖からの冬のやわらかい光が、窓にかけられた薄いカーテン越しに差し込んで、白いテーブルに木漏れ日みたいな模様をつくっていて綺麗だった。
私はひとり食堂の奥まで進み、そっと厨房の扉を開けてみる。
「……おはようございます~」
「ああ、薫さま! 夏野さまから今朝、聞きましたよ。翡翠姫と一緒に、戦を終結されたと!」
料理長の桐矢さんが、にこにこして小走りで来てくれる。
五十代の紳士的な人で、ぱりっとした生成りの着物に紺のエプロンがいつもながらきまってる。翡翠宮の栄養管理を一手に引き受けている人だ。会うと毎回ほっとするなあと思う。
「桐矢さん」
私も自然に笑顔になっていた。
「どうされましたか? 昼食には少し早いようですが」
「実は明日は、私が前に住んでいた所では、女の子が男の子にチョコレートっていうお菓子をあげる日なんですけど……」
そう聞いただけで、桐矢さんは人好きのする笑みを浮かべた。
「チョコレートというのは私は存じませんが……玲さまに、何かお菓子を作って差し上げますか?」
私はちょっと恥ずかしくなって頬が熱くなるのを感じながら頷き、何が作れるか(私の技術があまりないことも含めて)話してみることにした。
◇
相談の結果、十四日の昼食に甘味も出そうという話になって、姫教育がお休みになった私も、一緒に朝からお手伝いすることになった。
「小麦粉は最近、かなり手に入りやすくなったのですよ。西の国のパンというものも朱鷺子さんから習いまして、最近は時々献立に入れるようにしておりますし……いつもは食パンを焼くのですが、玲さまはまだ、少し柔らかいものが食べやすいようなので、抹茶を入れた蒸しパンも作りましょうか」
玲が最悪の体調になったのは二週間くらい前で、多少回復したと言っても、まだ翡翠宮の中を歩き回ったり、ほんの少し周辺を散歩できるようになったくらいだと知っていた。そしてこれまで、ランチやお茶の時間を一緒に過ごすうちに、玲が抹茶好きということも気付いていた私、思わず笑顔になる。
「それいいですね! 玲は抹茶好きだし……あんこも好きですよね」
「小豆も朝から炊きましょうか。それで、粒あんを作って、薄いパンケーキみたいなものに餡と黒蜜をかけて……」
「最高です! そうしたら、今、桐矢さんが言ってくれた甘いのと、あと、辛いのも作りませんか? 私、ゆで卵を作ってたまごサラダ作ります……あ、マヨネーズってあるんでしょうか」
「マヨネーズは、龍樹が以前、私に作り方を教えてくれたので大丈夫ですよ」
「さすがですね! じゃあ、たまごサラダと、何か薄い豚肉みたいな」
「保存の塩豚がありますから、薄く切って焼きましょう。それと、野菜スープを作りますか」
「完璧ですね!」
「あと、林檎がありますので砂糖をかけてカラメルのようにして、作り置きの金柑の甘露煮もつけましょう」
「そうしたら、私は……」
「薫さまは、そのたまごサラダと、小豆をゆでる時に焦げないよう、混ぜていただければ大丈夫です」
「じゃあ私、お茶を淹れて、出来上がって盛り付けたものを皆に渡しますね! 明日の朝、九時頃に来たらいいですか?」
「時間は今くらいで構いませんよ」
「じゃあ、九時三十分に……玲に内緒でやりたいので、裏口から?」
「開けておきましょう」
「よろしくお願いします!」
というわけで。
私は十四日の朝から、厨房にお邪魔することになった。
◇
「通常、小豆と砂糖は同じ量を準備するのですが……玲さまも夏野さまも、桔梗さまも、甘さ控えめがお好みなんですよ。今日、食べきれる量しか作りませんし、砂糖は少し控えめに入れます。そして、少し水が冷たいですが、最初に小豆を盥に入れて水でやさしく洗います」
私は着物の袖を紐で結んでエプロンを借りて、桐矢さんの指示に従う。
「こんな感じですか?」
「そうです、良い感じですね。ある程度洗ったらザルにあげて、厚手の鍋に入れます。水は倍ぐらいですかね……入れて、かまどにかけます。沸騰したら火を弱めるので、それは私がしますので大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
「もうひとつのかまどでゆで卵を茹でておきます。小豆は十分くらい煮たら、火から下ろしてそのまま蒸らします」
「はい」
私に教えながら、桐矢さんは手際よく野菜スープの食材を切っていく。魔法みたいだ。包丁で食材を切るとんとんという心地良いリズムを感じながら、私は茹でている小豆から漂うほっこりした良い匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「小豆を蒸らしている間に、ゆで卵は冷やしておきます。小豆の方は、三十分経ったら、水気を切って、また鍋にひたひたに水を入れて強火です」
「この後混ぜるってことですか?」
「まだです。いま混ぜると小豆の形が崩れますからね。沸騰して、小豆がくるくる踊る感じの加減で煮ていきます。水が少なめになってきたら、差し水をしながらですね。
そして三十分くらいですかね……豆が割れてきたら、一粒食べてみます」
やわらかく煮た茹で小豆は、口の中でほろっと崩れて、こくがあり少し甘い味がした。
「おいしい!」
私が呟くと、桐矢さんはにっこり。
「ですね。このまま、小豆がゆなどに使うこともあります。ぜんざいもいいですね。
柔らかくなっていたら、砂糖を三等分に分けて入れて、やさしく混ぜます。溶けたら、次の1/3ですね。残りも入れます。ここから、好みの固さになるまで、時々混ぜていったら良いです。煮詰まるとはねてくるので、やけどに注意して、はねるようになったら火を弱めるので言ってください」
「了解です!」
「最後にひとつまみ、塩を入れます」
「……スイカに塩をかけたら甘い、みたいな感じですか?」
私の言葉に、桐矢さんはにっこり笑う。
「隠し味ですね」
私はうんうん頷いて、ほんの少し桐矢さんが小皿に入れてくれた粒あんを味見させてもらう。
「お い し い !」
桐矢さんは綺麗な手つきで、自分も一口食べてみて。
「上品な味に出来ましたね。これは玲さまも絶対にお好きですよ」
桐矢さんは私と話しながらも、野菜スープを煮込み、パンケーキに使う小麦粉や砂糖も準備万端だ。私の方は冷めたゆで卵を使って、たまごサラダ作りに取りかかった。
◇
「……薫、桐矢を手伝ってるのか?」
十一時半をすぎて、最初に白龍亭に来たのは玲だった。お盆をもらおうと厨房を覗いた玲、私を見つけてちょっと笑う。
「そうなの! ちょっと桐矢さんに相談させてもらって」
甘い方には粒あんと黒蜜、辛い方はたまごサラダとベーコン風の塩豚、蒸したキャベツを盛り付けたパンケーキの皿と、抹茶蒸しパンに野菜スープの小さい器、そしてお茶。別の小皿に林檎のソテーと金柑を添えたお盆を渡すと、途端に玲がにこにこと笑った。
「何これ、今日って何の日なんだ? 誰かの誕生日?」
ああ、なんだか伝わったみたいでうれしいなあと、私も笑顔になる。
「今日はね、日本は、バレンタインってチョコレートのお祭りみたいな日なの。それで、何か作りたかったんだ」
私の言葉に玲は少し首をかしげて。
「……そしたら、おまえも一緒に食おうぜ。ひとりより、絶対一緒に食べた方がおいしいと思う」
「え、でも、私、お茶係……」
気にして桐矢さんを振り向くと、にっこり笑って首を振っている。
「大丈夫ですよ、薫さま。ちょうど今、配膳や皿洗いを手伝ってくれる莢香が来てくれましたから」
裏口の近くでエプロンを着けようとしていた、莢香という私より少し年上の、いつも昼食でお盆を渡してくれる綺麗な子が私にぺこりと会釈した。
「莢香、頼むな」
玲が笑顔でそう言うと、莢香は照れたように赤くなって、かしこまりましたと小さく言っている。
本当に玲は自分の微笑みの威力を知らないよね……と思いながら、私は片手にお盆を持った玲に手を引かれて、厨房からの扉の近く、いつも座っている席の辺りに移動した。
「薫のも持ってきてやるよ」
「え、いいよ、玲の方が座って……」
「作るの手伝ったんだろ? 休憩してたらいい」
言いくるめられて、すたすたと厨房の方に戻っていく玲の背中を見送る。その歩き方も、しゃべり方も、日に日に活気を取り戻してきていた。私は少しほっとするような気持ちで、いつもの藍色の着物姿の玲が優雅に歩いて行く様子を目で追いかけている。
よかったなあ。
弱っていた玲も皆のケアで日々復活してきて、翡翠と西羅も、そしてこの国全体が良い方向に進もうとしていた。
私がしみじみと玲を見つめていると、お盆を持ってもう一度戻ってきた玲、綺麗な所作で私の前にそれを置いて、目の前に座る。
そして微笑んで、言った。
「バレンタインって、ちらっとばあちゃんに聞いたことある。日本では、女子が男子にチョコレート渡すんだよな」
「うん。最近は、義理チョコとか友チョコとか、マイチョコとか色々あるんだ」
「マイチョコってなに?」
「自分自身に贈るチョコ」
「へえ~……」
一口、最初に粒あんと黒蜜の方を食べて、玲はにこにこと笑う。
「めっちゃうまいよ」
「よかった! 私、あんこ混ぜたの」
「すげえな。今度作り方教えて」
「いいよ~」
私は辛い方を一口いただく。たまごサラダもとても良い味に出来ていた。
「おいしいね」
「うん。すげえおいしい。……今日のこれは、どんな意味とかあるのか?」
野菜スープを飲みながら、玲がやさしく私を見て、そう聞いてくる。
私はどきんと胸がはねるのを感じながら、お茶を一口。
「これは……結局皆に作ったから、友チョコ的な……友ランチ?」
言うと、玲がははっと笑った。
「本命ランチだろ?」
…………。
思わず沈黙して、じっと見つめてしまう。
本命って言葉も知ってるし、ちゃんと、ちゃんとわかってるんじゃん!
でもでも。
私はごくんとスープを飲んで、そして、言った。
「そう。……チョコレートは無いみたいだったから……本命チョコじゃなくて、本命ランチ、です」
聞いて、玲は満足したみたいにふふっと笑う。
「ありがと。薫の気持ちはちゃんと受け取りました」
私は、うん、と頷いて、思わず涙が出そうになっている。
こんな幸せが、この国で、訪れるとは夢にも思っていなかったんだ。
怖いことばっかりで、心が折れそうになって、でも。
玲が生きて、笑ってるから、救われてきたんだ。
「……こちらこそ、ありがとう」
私は真摯な気持ちでそう言った。
そうしたら玲も微笑んで。
ぱくんと金柑の甘露煮を食べて、頷いて、言った。
「食い終わったら、湖の方、散歩しようぜ。今日、天気もいいし、俺もかなり体調よくなってきたから」
私は頷いて、餡子と黒蜜の甘いバージョンのパンケーキに取りかかる。黒蜜の甘さと小豆のこく、そして生地の香ばしさ……!
「むちゃくちゃおいしい~……!」
思わず足をじたばたとさせた私を面白そうに見て、玲もうれしそうににこにこと笑う。
そんな玲の顔を見ていて、私は心の中で、つくづく思った。
歩いて行こうね。
ゆっくりでもいい。時々ぶつかってもいいから。
私たちのペースで行こう。
そんなことを思いながら、私はもう一口、その餡子と黒蜜とパンケーキのマリアージュを堪能して……玲と目を合わせて、私たちはお互い上機嫌で微笑んだ。




