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80. ノスタルジア ー菜子ー

薫の母・菜子視点のエピソードです。

「二人に紹介したい人がいるんだ」


 海辺のハンバーガーショップに呼び出された私と貴弘は、神崎龍樹(カンザキリュウジュ)が少し照れくさそうにそう言って連れてきた美女に見とれて、一瞬息を呑んだ。


 長いさらさらの黒髪と白い肌、窓からの陽光を透かして星みたいに輝く瞳。紺地に白い花柄のワンピース姿が異様に似合う、古風なタイプの美人。


「こいつは、(カナデ)

 急なんだけど、結婚することになって……奏の故郷に行くことになったんだ。遠くてしばらく会えねえと思うから、貴弘と菜子(ナノコ)には紹介ついでに今日会っとこうと思ってさ」


 いつもにやっとした笑いを崩さない龍樹が、いやに真顔でそう言う。


 その時、悟った。

 ああ、龍樹はもう戻ってこない。




 私の名前は日髙菜子(ヒダカナノコ)。あれは大学を卒業したばかりの夏で、私は二三歳になっていた。隣に座っていたのは宮城(ミヤギ)貴弘。私と貴弘、そして龍樹は高校の同級生で、一緒にバンドを組んで歌っていた仲だった。


 私と貴弘は従兄妹同士で、日髙財閥と呼ばれる複合企業の一人娘として生まれた私と、母方の叔父の息子だった貴弘とのお付き合いは、両家ともに絶賛反対中だった。後に貴弘がお互いの家族を説得し、私が生まれた日髙本家に養子に入ることでどうにか結婚できたのだが、あの頃はまだ、私はいつも少し苛々していた。


 日髙の家がなんだっていうの。


 その苛々の奥には、私が属する日髙家、そして会社の取引先にあたる神崎家という血統に受け継がれた、『運命の子供』が生まれることがあるという話が、少し関係していたと思う。

 私はそのことを、二十歳になった時に詳しく知らされていた。


 奏の絶世の美女とも言えるうつくしさと、言いづらそうな龍樹の雰囲気を見てピンと来た私は、龍樹に訊いていた。


「遠くって……日髙家と神崎家に昔から伝わってる、数世代おきに違う世界に行く子供が現れる、っていう話と関係がある?」


 貴弘には、秘密とは言われたものの、私が聞いた時に少し話をしていた。二人の将来にも無関係ではないと思っていたから。確信めいてそう聞いた私を、貴弘が面白そうに見る。


 龍樹と奏は……二人は驚いた顔をして、ただ黙って頷いた。



 その日の後、私と貴弘は、龍樹にも奏にも会っていない。




 二人が消えてほどなくして私と貴弘は結婚が認められ、長男の郁、そして長女の薫という二人の子供を授かった。



 最後に龍樹と会ってから、十八年の月日が経過した夏の日。

 久しぶりにリモートワークだった貴弘と、夕方五時過ぎ、二人で家から少し歩いた、昔龍樹とも一緒に歌ったり笑ったりしていた海辺を散歩していた。


「最近、薫が一緒に通学してる子、男の子みたいよ」


 私が笑ってそう言うと、貴弘は複雑そうな表情になる。


「なんだよそれ……俺としては平静じゃいられねえなあ」


 そう呟いて砂浜から視線を上げた貴弘、驚いたように視線を止めた。


「……菜子、あれ」


「……え?」


 つられて視線を流した先の光景に、私も驚き、瞬間、心の中が真空になるような気持ちになった。

 自転車を押して、制服姿の薫が歩いてきていた。その隣をやわらかな笑顔で一緒に歩いていた男の子は……その目鼻立ちも、シルエットも、歩き方も、あまりにも神崎龍樹にそっくりだったのだ。



 貴弘が、砂浜から道路に続く階段を先にのぼり、私もそれに続いた。

 私たちの姿を見た薫、呆然とした顔で固まるのがわかる。


「お父さん、お母さん……」


 薫はそれだけ呟いて、次の瞬間、はっとしたように、私たちに彼を紹介した。


「この人、神崎(アキラ)くん。一緒に通学してるの」


 目の前に立つと、その玲くんの瞳は星を映したようで、一度だけ会った奏にとても似ていた。

 神崎という苗字と、そして、この風貌。

 間違いない。


 夕暮れの光が私たちを照らし、七月の海風が私たちの間をさあっと吹き抜けていく。私の長い髪と着ていたワンピースの薄いスカートがふわりと揺れた。


 玲くんはぺこりと会釈して、ああ、お辞儀の仕方も龍樹に似てるなと思った私は少し微笑み、

「薫をよろしくね」と、一言伝えた。


 そして、海辺を歩く薫と玲くんの背中は、夕暮れの光に溶けるみたいにして、角を曲がって見えなくなった。



 ざざあ、ざざあ……と波音が響く。

 私と貴弘は無言で歩道に立ち尽くす。


 しばらくの沈黙のあと、貴弘が、ポケットに手を突っ込んだままでぽつりと呟いた。


「……今の……」


 私は小さく頷いて、貴弘の言葉を続けるようにして、言った。


「龍樹そっくりだったね」


 見上げると、貴弘は目を細めて。ゆっくり息を吐く。


「あいつと奏の子かな」


「……姿形は龍樹、瞳は奏って感じだったね……」


 夕陽が沈もうとしていて、私たちの影が長く伸びる。

 貴弘は私を見つめて、軽く笑った。


「そうか、薫の彼氏は、あいつらの子か……」


 私は、貴弘の腕にそっと触れた。まるで自分の気持ちを落ち着かせるように。


「……連れていかれちゃうね」


 貴弘と目を合わせることができずに、遠くの水平線を見つめる。

 派手な日没はうつくしいショーを終え、静かに夜が訪れようとしていた。



 隣で貴弘が頷く気配を感じて、もう一度見上げる。


「たぶんな」


 彼は一瞬黙って、波音に耳を傾けたようだった。


「龍樹は昔から……大抵のことは何でもこなすやつだった。あの玲って子も、龍樹そっくりな雰囲気を持ってた……。薫は大丈夫だ」


 私はそっと、貴弘の手を握った。


 薫を、手放したくない。

 でも、あの子は自分で決めたら行くだろう。

 私は寂しそうにしているだろうか。

 それも嘘ではない。


 でも育てる中で、薫の冒険者のような強さを幾度も感じてた。

 あの子なら大丈夫。信じてる。そして、愛している。


 私は自分を勇気づけるように少し笑い、貴弘の胸に軽く頭を預ける。

 財閥と呼ばれる日髙家と取引先の神崎家、ふたつの家には、違う世界に召喚される子供が生まれることがある。


 その子が召喚された後も惑わず生きて行けるように……、生まれた子供たちを自由につよく育てることが日髙家の家訓だった。

 そしておそらく、神崎家も。


 自分たちの世代で呼ばれたのは龍樹。

 そして、子供たちの世代では薫だというのか。



「龍樹がいるならきっと大丈夫。守ってくれるわ。寂しいけど、薫が幸せならそれがいちばんのはずよね」


 まるで自分自身に言い聞かせるように、私は言った。

 貴弘が私の肩を引き寄せ、静かに言う。


「そうだな。危険な目にはあってほしくないけどな」


 私たちはしばらく無言で立ち、薫と玲が消えた道を眺めていた。波の音が静かに響く。貴弘が私の手を握り直して、あえて軽い調子で言う。


「なあ、菜子。薫と郁と、近いうちにまたハンバーガー食いに行こう。たくさん思い出作っておこう。どんなことがあっても、俺たちも薫も負けないように、さ」


 私はもう一度微笑み、なんとか頷いた。


「そうね。……楽しみ」


 私たちの背後で海は、まるで薫と玲の未来を見守るように、静かに波を寄せていた。


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