79. 春の歌
季節は移り変わり、春になっていた。
西の砦で西羅が正気を取り戻したあの日から、風雅の国は少しずつ、でもたしかに変わっていった。
東軍と西軍の戦いは終わり、姫将軍・翡翠と西軍の将・西羅、二人が中心となって和平の協定が結ばれた。
翡翠宮の庭では桜の花がほころびはじめ、青の間は軍議の場から、国全体の再興を話し合う場所に変わった。
私が来てすぐの頃は血に染まることもあった谷や森には野花が咲きはじめ、木々の綺麗な緑が芽吹きはじめていた。
速水は神殿で巫子の修行を積んで、将来は僧医を目指すと言っていた。そうやって、街の人々を癒す役割を担いたい、と。
翡翠は西羅とともに西の砦にとどまり、和平の話し合いをするために、桔梗さんや夏野が西の砦と翡翠宮を行き来している。黎彩や滝は、国内の治安維持や外国との対応のため、変わらず軍で訓練を続け、皆が平和な国を作っていくために動いていた。
そして、私の隣には、いつも玲がいる。
月零草と、玲のお父さんで薬師の龍樹さんが処方してくれた竜骨という薬のおかげで、彼の体調は安定してきていた。まだ無理はできないけど、昔みたいに「薫、落ち着けよ」って笑いながら私をたしなめる玲の顔は、出会った頃のような優雅さを取り戻してきている。
私はここに来て以来、初めてと言ってもいいくらいの安心を感じていた。
今日は四月七日、玲と初めて会った入学式の日から、今日でちょうど一年だった。
私たちは、夕暮れの湖のほとりで、二人で並んで座っていた。
山の端がピンクに染まり、空はうす青から濃い青に刻々と変化しようとしている。あまりの美しさに息を呑んで、私はそのグラデーションを見つめていた。
不意に、玲が言った。
「……あのさ、薫」
私は首をかしげて、玲を見る。
彼は、湖の水面を見つめながら、静かに言った。
「もうしばらく、安静にしていたら……俺の体調は、もっとずっと安定してくると思うんだ」
「うん。……ちょっとずつ、治っていくといいよね」
私もほっとして、囁くようにそう言っている。
玲の肩に、私がそっと頭をもたせかけたその時、何か意を決したような彼の低い声が耳に届いた。
「俺が治ったら……おまえは、日本に帰るべきだと思うんだ」
(……え?)
私は驚いて顔を上げて玲を見る。
彼は言いたくなさそうに、……でも、言わなきゃ、って雰囲気で、私と目を合わせず……たぶん、目を見て言うことができずに、続けた。
「……風雅の国は、和平が結ばれて、国内の戦は終わった。
おまえのおかげだ。
でも、おまえは……日本に戻って、しあわせに」
そこまで言って、玲の目が……湖の方をじっと見ていたその瞳が、うるむように揺れたのを私は見逃さなかった。
「バカ!!!」
私はあまりの言葉に怒りが突き抜けてしまって、思わず立ち上がって怒鳴っている。
どうして!
言いながら、つらくて仕方ないって風なのに、そんなこと言ってくるのかな!!!
「……バカ?」
驚いた顔で、真顔で玲が、立ち上がった私を見上げて、そう聞いた。
私は泣いてた。
それを見て、玲、なんだか半笑いみたいな表情になる。
「おまえは俺を突然罵って……それで、なんで泣いてるわけ?」
私は玲を見下ろして、流れていた涙をぬぐって、息を吸い込む。
「バカとしか、言いようがないよ、こんなの……!」
そして必死に、それだけを言った。
玲は半分笑ったまま、仕方なさそうに立ち上がる。
「俺はどうしたらいいわけ?
なぐさめたらいいのか? それとも……急にバカとか言われて、怒っていいのか?」
くすくす笑いながら、怒る気なんて全然ないって風に、からかうようにそう聞いてくる。私は一度深呼吸して、私の目の前に立って覗き込むように見る玲を、じっと見つめて。そして、言った。
「どうして、いつもいつも……勝手に考えて、ひとりで決めて、そういうこと言ってくるのかな!
私の意見を先に聞いてよ。
どうしたいのか、聞いてよ……!」
私の言葉に意表を突かれたように、玲は驚いた顔をして、私をまっすぐに見た。
私は、吐血後の玲が、もう一度私に好きだと告白してくれたあの日から、頷いて泣くだけで何も言えなかったあの日から、ずっとずっと考えていたけれど言えなかった言葉を、やっと伝えることに心を決めた。
何言ってるのかな、この人。
ぜんぜんわかってない。
なんてひどい話だと、そんな風に思って。
それで、言った。
だって玲がいなければ。
私が幸せになるなんて、ない……!
「私、日本には帰らないよ。
風雅の国で、玲と一緒に暮らしたい。
それで、いつか、玲の体調がよくなったら、私の親とお兄ちゃんに玲のことを改めて紹介するから……その時、一緒に日本に行こうよ。
私たち、そうするしかないよ……」
それは、私が心の奥で、ずっと考えていたことだった。
兄は同じ高校の二年生だったから、私と玲のことは知っていた。そして、夏休み前の学校帰り、海辺を歩いていた私たちは、ばったりと私の両親に会ったこともあった。
あのとき。
両親は、二人ともひどく驚いた顔をして、玲と私を交互に見つめた。
私は「お父さん、お母さん……」と呆然と言って、次の瞬間はっとして、両親に玲を紹介した。
「この人、神崎玲くん。一緒に通学してるの」
私と玲が一緒に通学していることを、兄は知っていたけれど、親には言っていなかったから。
去年の七月、ぬるいのと涼しいのが混ざったような夕方の海風が吹く中、夕陽がきらきらと波を照らした。
玲はぺこりと会釈して、父母は驚いた顔をおさめて、母が「薫をよろしくね」と、笑顔で言った……。
思い出した。
その夜に、お風呂に入ろうとしていたら、私は父から言われたのだ。
「薫、自分が信じることがあったら、思うようにしていいからな」
って。
私の目からは、止まらずにぼろぼろと涙が零れている。
玲はどうしてわからないんだろう。
ショックだった。
私は日本に帰るべき、って、じゃあ、玲は?
それで、ここに一人で帰ってきたときみたいに、また私を手放すの?
そんなことしていいと、本当に思ってるの?
玲の目が、心底驚いたと言うように、ぱちっと開いた。
そして、しばらく黙って……いつも、クールで優雅で、一見冷静にしている彼が、珍しく頬を赤く染めて、一瞬目を伏せた……。耳のふちまで赤くなっている。
私はわかった。
これ、はぐらかそうとしてるんじゃなくて、本当に照れてる。
かわいすぎる。
そんな玲に目を奪われていると、玲はその次の瞬間、とてもとてもうれしそうに、笑った……。
その笑顔に呑まれて、私の涙は止まる。
彼はふざけるように、言った。
「薫、それ……結婚の申し込み、なのか?」
彼の声は、私をからかうみたいだったけれど、少し照れていることが声の色からもわかって、それはもう……、その時の玲はあまりにも、ただただ、可愛かった。
「……え、……ちがうよ……。でも、……違わない、かも……」
私もなんだか熱くなってきて、慌てて首を振った。
そうしたら。
玲がふわりと、私の身体をやさしく抱きしめたんだ。
そして、頭を私の肩にもたせるようにして、小さく言った。
「あー……俺、めちゃくちゃ考えて、それしかないと思って覚悟決めて言ったのに……信じられねえ。
ほんと、おまえはびっくり箱みたいなんだよな。俺にとって……」
びっくり箱って。
「……もっと他に、言いようがあるんじゃない……?」
カラフルな箱の中から舌を出したからくり人形が飛び出してくるところを連想して、思わず呟く私に、玲、少し笑う。
「たとえば?」
その問いに私は考える。
「……たとえば……? なんだろ……。
かけがえのない宝物だ、とか。
予想外の幸せなことを持ってくるおまえのことが大好きだ、とか……」
言いながら照れてしまって、私は玲の顔を見ることができずに、ちょっと拗ねたように湖の方に視線を流す。すると、玲の胸、押しつけた耳に、くぐもった彼の声が届いた。
「ほんとそうだな」
私は呆然と、彼を見上げる。
玲は私と目を合わせ、言った。
「……何回言っても足りない。
好きだ。薫のことが。
俺も、ずっとおまえと一緒にいたい。
あのとき、どうしておまえのことを置いて戻って来れたんだって、何回も思ったのにな。
そして、吐血したときも、心底おまえのことが大切だから、俺は生きるって思ったのに……本当に俺も学習しないな」
玲の真剣な声が、私の心の奥を満たした。
そして、彼は私の顔をじっと見て……私たちはゆっくりと、唇を重ねた。
遠くで太陽が沈んで行こうとしている。玲の肩越しに、宵の明星がきらきらと輝いているのが見えた。
私は目を閉じて、玲のぬくもりに身をまかせた。
混乱の日々も、姫教育も、初陣も、玲の体調不良、そして西の砦も……そのすべて。怖かったすべてのことは、この瞬間が来るためにあったのかもしれないと、そういう風に思えた。
彼は言った。
「わかった。
俺の体調がもっと回復したら、一緒に日本に行こう。連れて行く。
それで、おまえのご両親と兄さんに、会わせて。
薫をくださいって、その時、言うから」
やさしくそう言う玲の瞳が夜空の星みたいに輝いて、その声はうつくしい歌みたいに、私の耳に、胸に響いた。
涙ぐんで私は頷く。
翡翠と西羅が和平を結んだ平和なこの国で、私と玲はこれからも一緒に歩いていくんだ。
笑いながら、ずっと一緒に。
読んでいただき、ありがとうございます!
1月31日(土)に薫の母視点のエピソードを、そして2月2日(月)にエピローグを公開して、"身代わり姫と複雑王子 -風雅の国-"第一部は終了します。
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