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身代わり姫と複雑王子 ー風雅の国ー  作者: MegumiS
身代わり姫と複雑王子
78/80

78. 西羅

 私たちは翡翠に連れられて、西羅(サイラ)の部屋に入った。


 豪華な調度品が置いてあるけれど、物は少なく、意外なほど実用的な部屋。


 その奥の椅子に、がっしりしていて薄い茶色の髪……見ようによっては金髪にも見える髪色の、威圧感ある男の人が、力が抜けたようにだらりと腕を両脇に投げ出して、座っていた……。


 彼の黒地に緑の模様が入った着物は、胸元や足の合わせの辺りが着乱れていた。

 たしかに、その緑にも見える暗い色の瞳は、濁ったように何も映していないみたいだ。


 一見だらしない風情というか、力が抜けている感じだけれど……そんな雰囲気の中でも、わかる。


 すっと通った鼻筋に薄い唇、瞳を縁取る鳶色(トビイロ)睫毛(マツゲ)……この人、通常の状態だったら、美丈夫と言えるほど、凜々(リリ)しい人なんだろうと思えた。


 私と夏野(カヤ)(ハヤセ)の三人が部屋の入り口で立ち止まっていると、急に低く響く声で西羅は言った。


「……誰だ」


 先にひとり、部屋の中央に進んでいた翡翠、さすがの雰囲気で動じずに口を開く。


「……侍女の(スイ)です。……お茶をお持ちしました」


 事前に翡翠は、精霊草を煎じた物を半分ほどお茶に混ぜ、急須に入れて、その手に持っていた。

 西羅の傍に静かに歩み寄り、脇のテーブルに伏せられていたお湯のみを取って、それを注ぐ。

 コポコポと、かすかな音が部屋に響いた。


「……不要だ」


 ずっしりと重い、低い声。

 (アキラ)みたいになめらかじゃない、でも、調子を崩していても凄みがあり、聞いている者の身体に響く。

 きっと軍を指揮しているとき、この人の声は、兵たちの心を高揚させ鼓舞するだろうと思わせた。


「少し水分を取られなければ、お体に(サワ)ります」


 翡翠の言葉に、西羅、笑い出す。


「今更、健康を害したといって、関係なかろう? ……まあ、いい。喉が乾いてはいるな」


 おかしくなっていると何度も聞いていた。

 でも。

 その受け答えは、ぱっと聞いただけでは、まったく変な感じがしなかった。

 いつもはもっと、整然と理論的に話す人、だったのかな……。


 翡翠が湯飲みを渡し、西羅がぐっとそれを一気に飲み干した時、私はそっと翡翠の傍に歩み寄った。

 滝と夏野は、私の後ろにいてくれている。

 後ろで二人が私たちの護衛のために、刀に手をかける音が小さく聞こえた。



 しばらく、私と翡翠は西羅の目の前で、沈黙して待った。

 沼の底にいるみたいだった西羅の濁った瞳が、徐々に鋭さを増して……そして彼の目が、立ち並ぶ翡翠と私を、捉えた。


 翡翠と私、ほとんど同じ二つの顔が、西羅の瞳の中で像を結ぶ。


「……翡翠……?」


 低い声が確かめるように翡翠の名前を呼び、彼は怖いものを見たかのように、ゆっくりと立ち上がる。


 西羅は、私と翡翠を交互に見つめた。


「なぜ、翡翠が二人……? ……幻、なのか……?」


 翡翠が私の隣で、一歩前に進もうとした瞬間、西羅の表情がゆがんだ。混沌と狂気……そんな言葉が頭に浮かんだ。そして、まるで身が引き裂かれるみたいな叫び声を上げ、彼は後ずさろうとして……さっきまで座っていた椅子が、がたんと倒れる。


「……近づくな……! 翡翠は、行方不明のはずだ……俺を残して……いなくなった……!」


 振り絞るようなその声が、私の胸の奥に直に響いた。




 わかった。




 翡翠が行方不明になった、その事実だけで。

 彼の中で、コップの水が溢れるみたいに、何かが……恐怖か何か、そういうマイナスの感情が溢れてしまった?

 

 愛し合うようになっていった、と、水牢で翡翠は言っていた。

 お互いが、お互いのことを思っている、と。

 なのに、気持ち的なすれ違いがこの状況を生んだのであれば。



 助けられると、思った。



 一度に飲ませると効き目がありすぎると朱鷺子が言って、精霊草を煎じたものは、少し時間を空けて半分ずつ飲ませるようにと言われていた。そして、朱鷺子はこうも言っていた。

『心が動揺しているときにこの薬はよく効く』と。


 私は言った。


「……翡翠。この、最後の煎じ薬の半分を、……飲ませよう」


 私が持っていた薬の小瓶を翡翠に渡す。

 翡翠は頷き……彼女はさっと西羅の胸に飛び込むように、駆け寄った。



 翡翠は素早く薬を口に含み、西羅の唇に自分の唇を重ねた。

 ほんの一瞬のことで、私も夏野も滝も、息を呑んで二人を見守る。




 その一瞬、時間が止まったみたいだった。


 


 西羅の喉が動き……飲んだことが見て取れた。

 でも、次の瞬間。

 西羅の筋肉質な太い腕がわずかに動いたのを見て、私は咄嗟に駆け出していた。



 私は翡翠を跳ね飛ばそうとした西羅の腕を避けて、翡翠の身体を引き戻そうとして……完全には間に合わず、彼の腕が凄いスピードで翡翠の肩に当たり、引き寄せた私もろとも跳ね飛ばされた……!



 バランスを失い床に倒れ込む私たち二人を、滝が駆け寄って支え、私たちと西羅の間に夏野が立つ。


「翡翠!」


 思わず私も滝も、彼女の名を叫んでいた。

 反動で床に崩れた翡翠の肩を、私は隣で必死に支える。


「……何の真似だ……! ここに翡翠が、……いるわけがない……!」


 西羅の身体は、傍目にもわかるほど、がくがくと震えていた。

 彼はまだ、完全には意識が覚醒できていない。



 わからないんだ。

 まだ、翡翠のことを完全に思い出せていないから。



「翡翠、しっかりして……目を開けて!」


 私の声と動きに、翡翠がうっすらと目を開ける。


「……薫、大丈夫よ……」


 小さな声で、でも、翡翠の綺麗な声は、ゆるぎない強さを持って、その場に響いた。その声が届いたのか、震えていた西羅の身体、その震えがぴたりと止まる。


「滝」


 そして翡翠は、流れるように滝の名を呼んだ。


「私を立たせて。そして、申し訳ないけれど、西羅の前までつれて行って」


「あぶねえだろ……?」


 心配する滝の方を翡翠はちらりと見て。頷いて、確固たる口調で命じた。


「大丈夫です。……連れて行きなさい」


 その威厳は、東軍の将、姫将軍そのものだった。



 滝が渋々と翡翠の肩を支えて立たせている間に、西羅から守るように私たちの前に立ってくれていた夏野が、西羅に近づく。

 夏野は刀を下ろさず、いつも通りの冷静さで声をかけていた。


「西羅、……聞こえるか?

 翡翠はここにいる。罠でも幻でもない……目を覚ませ」


 彼の声には、どこか西羅への同情が混じっているように聞こえた。



 西羅の瞳が、ゆっくりと夏野を捉える。


「……ここに……いるだと……?」


 夏野は頷き、夏野の隣に翡翠を支えて、滝が歩み寄った。



「西羅」


 そして翡翠が、凜とした綺麗な声の響きで、彼の名を呼んだ。


 


「西羅。私はここにいるわ。幻でも、罠でもない。(スイ)という名前で、ずっと傍にいたの。一緒に、戦を終わらせましょう」




 彼女の声は、草原を渡る風みたいに涼やかで、でも、力強かった。

 青白い顔で、細い声で、でもその声には、西羅のことを信じるという絶対的な意志が秘められていた。


「……(スイ)が、……あの侍女が……翡翠だった、だと……?」


 西羅の身体は、再びがくがくと震え出す。


「……ずっと……?」


 翡翠の言葉を繰り返して、半信半疑という様子で西羅は翡翠を見つめた。

 静かな優しい沈黙が流れて、翡翠は頷く。


「翡翠……俺は、何をしていた……?」


 彼の声は、まるで罪悪感に震えるみたいに、どこか儚くその場に響いた。

 そして西羅は、翡翠を見た。


「……すべてを疑い、……見失っていた……おまえへの愛情も、……何もかも……」 


 翡翠は微笑み、言った。


「……私が行方不明になったのは……あなたを、この国を、すべてを良い方向に向かわせるには、どうしたらいいかと思ったから……。終わらせましょう、西羅。

 そして、あたらしく、はじめましょう」


 西羅は呆然と、でもまっすぐに、翡翠を見つめた。


「あたらしく、はじめる……?」


 翡翠はつよく頷いた。



「愛だとか、……大好きだとか……もちろん、それも嘘ではないのだけど。

 言葉であらわせる気がしない。

 ずっととなりで……一緒に生きていきたいと思っているわ」



 翡翠の言葉に、西羅は目を見開く。


「あなたと私が和平を結べば、戦は終わりにできる。

 そして、新しい風雅の国を、一緒に、作りましょう」

 


 西羅の瞳がうるむように一瞬揺れた。

 


 そして彼は、確かに、頷いたのだ。




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