72. 玲への見舞い ー龍樹、そして夏野ー
俺が吐血して、意識が戻った翌日の夕方。
ちょっとうとうとしていて目が覚めたら、枕元に父さんがいた。
「……よ」
軽い雰囲気で笑う。
昨日、俺が気がついたときの真剣さは影を潜め、にやっと笑ったその顔に、妙に安心する自分がいる。いつもの父さんは結構こういう感じだ。ちょっと一歩引いて周りをよく見ていて、呼ばれたら来るって印象がある。
「……父さん」
俺の声は寝起きでもあり、吐血したのが昨日の今日でもあり、少し掠れている。
父さんがそっと聞いてくる。
「……どうだ? 気分は?」
「昨日よりはだいぶいい……」
俺は起き上がろうとして、
「っつ……」
と、まだ胸の痛みを感じてベッドに引き戻された。
「ああ、まだじっとしてろ。身体の中の裂傷が原因だからな。しばらくは痛みがあると思う」
「……うん……」
素直に聞く俺に、父さんは少し真面目な顔で続けた。
「あのな、玲」
「……うん」
「俺は反省した」
「……何を?」
「今度、もし何か……通り道だけじゃない、戦でもなんでもいいが……何かあって、ちょっとでも体調が悪いと思ったときは、まず俺を頼れ」
「…………」
真剣なその目に押されて、俺はただ頷く。
父さんは少し笑って、言った。
「なんか、俺の願望だったかもしれねえが……昨夜、夢に奏が出てきてさ。あいつも安心してた。おまえが助かって」
母さんが夢に出てきたと聞いて、俺は弱ってるのもあり、なぜだか少し泣きそうになる。
そうだよな。
もし、俺ではなく父さんの方に吐血する可能性があって、そのことを俺に言わないままで、父さんが今の俺みたいな状態になってしまっていたら?
やっとわかった。
そうなったら俺は、心配が突き抜けて、心の底から怒るだろう。
「……ごめん……言わずに心配させた……」
「ああ。そうだな」
そこで素直に肯定するなと言いたいが、本当のことだから仕方ない。
絶対次からは俺に言ってな、と念を押されて、俺はわかった、と頷いた。
しばらく黙って、流れるような綺麗な手つきで、父さんは俺に薬湯を煎じはじめた。薬草を小さな臼ですりつぶす音が、妙に耳に心地良い。
子供の頃、父さんが安定した均一なリズムで薬草を扱うその音も、確かな手つきも大好きで、いつまでも見ていられたな……と思い出す。俺は父さんが二三歳の時に生まれたと言ってたから……もう四十歳になるのか。
白髪ちょっと増えたな、と、ぼんやりと父の横顔を眺めながら考えていた。
煎じ終えたそれを俺に飲ませてくれた龍樹、
「ところで……」
と不意に言った。
「うん?」
俺は素直に聞き返してる。父さんは続けた。
「昨日、部屋の隅にいた、おかっぱというか……ボブカットの彼女は、おまえの女か?」
面白そうにニヤニヤ笑って聞いて来やがる。
…………。
部屋に少し沈黙が流れた。
「……関係、ねえだろ!」
思わず大声になり、俺は身体の痛みに顔をしかめる。
「大声出させんなよ、いてえんだから……」
「悪い悪い」
ぜんぜん悪びれずに言う龍樹。本当にムカつく。
「翡翠にそっくりだったから、ああ、この子が今回の助け手かと思ってな」
わかってるなら黙ってろ、と思いながら俺は父さんをにらむ。
くすくすと笑いながら、父さんは言った。
「……ま、そのうち紹介してな」
俺は黙ってそっぽを向く。でもまあ、もう少し落ち着いたら、そんな話になるのかもな、と思いながら。
そして、父さんが出て行ってしばらくして、今度は夏野が来た。
「……龍樹さん、ほんとお前をからかうのが好きだな」
くすくす笑いながら夏野が入ってきた。千客万来って感じだな、今日は……。
まあ、俺がそれだけ皆に心配かけたってことか。
「……夏野」
俺の声は、少しほっとした響きを帯びる。
この親友は、いつも清涼剤のように俺のイライラや複雑な心を鎮めてくれるなと思いながら。
「昨日よりは良さそうだな」
そんな夏野も、心配の色を隠さずにそう言った。
「……あー……皆に心配させて手間かけちまった。俺もまだまだだな」
夏野、素直に吐露する俺を見て、めずらしくまじめに頷く。
「当たり前だ。お前に死なれちゃ困る。
……俺は、こんなところでお前をなくすために、この足をダメにしたんじゃないからな」
俺は、沈黙して夏野を見た。
十五の時、戦場で俺をかばった夏野の足は、元通りには動かなくなった。
いつも、夏野は足のことはけして自分から言わない。俺が気にしていると知っているから。
それが、わざわざその話をしてくるということは、……めちゃくちゃに怒っているのだ、夏野は。体調不良もあまり言わずに自己完結しようとしていた俺に。
俺は夏野と目を合わせる。
「……心配かけて悪かった」
夏野は切れ長のその目を伏せ、
「わかればいい」と言ってすっと立ち上がる。
「それだけ言いにきたのか?」
「いや……見舞いに来たら龍樹さんの声が聞こえたから待っていたんだが」
俺を見下ろして夏野、いたずらっぽく微笑した。
「……で、薫はお前の女なのか?」
もう知ってるけどな、という風な口調に俺は苦笑いする。
「ほっとけ、バカ」
俺は寝なおそうと、夏野に背を向ける。
夏野もくっくと笑い、お大事にと言って去って行った。
薫のことも、ちゃんとしなきゃな……。
そう思いながら、俺はまた眠りに落ちる。
吐血の可能性があることは、薫には言えなかった。負荷の話と同じだ。言えば必要以上に心配するに決まっている。
そして、通り道の負荷のことや、吐血リスクのことがあるから、日本にいた頃よりも薫に対して、一歩引いて接していたことは否定できない。
悲しませたくなかったんだ……。
でも、今回のことでわかった。
言っても言わなくても、どちらにしろ薫がショックを受けて悲しむのなら。
絶対に薫に、ちゃんと伝えるんだ。おまえが一番大事なんだと。




