68. 玲
骨が、きしむ……。
呼吸がうまくできない。そして胸の奥が灼けるみたいに熱い。
「玲さま!」
遠くに聞こえた速水の悲鳴が、ゆっくりと蘇ってくる。
俺、どうしたんだっけ……?
目の前がまっ赤に染まるイメージが次に浮かんだ。
そうか……。俺……吐血したのか……。
たしか、朝から速水の様子を見るために神殿に行っていた。
速水を神殿に預けた数日後に、俺は薫たちと北の森に行ってしまったから、一度激励も兼ねて見に行こうと思っていたんだ。
速水と談笑していたとき、急に胸の奥がひどく熱くなった。
まずい。
思った瞬間、俺は口元を両手で塞いだが、間に合わなかった。
俺は咳き込んで鮮血があふれ……その後、地面に膝を突き、倒れた自分の肩や頬が芝生に当たる振動を感じた後、記憶が飛んだ……。
思えば北の森から戻った夜から、かなり最悪の体調だった。
片道三日、往復で一週間近く馬車に揺られたんだ、さすがに疲れたんだろうと思っていたが、厠に行くのもふらふらで、週末は食事もスープくらいしか食べられないほどだった。
日曜の朝は、心配した夏野が食堂からおかゆを持ってきてくれたほどだ。
この程度でこんなに疲れてしまうのかと驚く反面、もう仕方ないからこれ以降は大人しくしておくかと思ってた俺は、正直、状況を軽く考えすぎていたかもしれない。
少し前の南の谷で、二日連続での速水と薫の救出劇、その疲労は確実に俺の身体を弱らせていた。そんな俺には、馬車で行ったとはいえ、北の森への往復は正直かなりきつかった。
でも、行きたかったんだよな。
往路はとても楽しかった。馬車の中でぎゅうぎゅうになって弁当を食べたり、途中の宿に泊まったり。友人と旅行なんてしてこなかった俺は、こんなに楽しいものかと内心感心していたほどだった。
三日後の夕方に北の森の麓の宿に到着して、すぐに薫と夏野と滝は森に入って行った。
俺は休んでいろと言われて、一人、宿で夕食を取ったが、そう言えばあいつらは晩飯も食わずに行ってしまった。宿のおかみさんに頼んで、夜中に戻ってきた時のために、握り飯をいくつか作ってもらい、部屋に置いた。(結果的に、それは戻ってきた夏野と滝がほとんど食べてしまったのだが。)
用意された部屋で最初はおとなしく寝ていたが、明け方ふと目が覚めて周りを見回すと、誰も帰ってきていない。時間は早朝、五時……まだ空は真っ暗だ。
まさか、誰か大怪我とかしてねえよな……?
俺は心配でいてもたってもいられなくなり、寝間着の浴衣の上に外套を羽織って、宿の玄関前で待っていることにした。
小一時間ほど経って太陽が昇り始め、北の森特有のうっすらと青みがかって見える霧に、明け方の金色の光が差してくる。三人の姿が森と道の境に見えたのはその時だった。
案の定と言うべきか、薫が負傷していた。
言っても言ってもきかねえんだ。
初陣の時は仕方がない側面もあったが、基本的に自分のやりたいようにして怪我をしたり倒れたりする。それを俺が喜ぶと思うのかと問いたいくらいだ。
こっちは心配してるんだと敢えて言ったことはないが、言うべきなのか。まったく毎回腹が立つ。
薫の安全をいちばんに考えて俺が動いても、そこを軽く飛び越えて行ってしまう。
そして俺は心配が突き抜けて怒ってしまう。
ただ、笑って幸せでいてほしいだけなのに、悪循環もいいところだ。
薫は風狼から引っ掻かれて腕に傷を負ったが、聖水で血は止まったらしい。三人は月夜見の泉の聖なる水も汲んできてくれていた。飲むと胸がすっきりして、宿に着いた頃から感じていた、喉の奥に血の味がすることも緩和された。
俺は我ながらほっとしていた。自分から行くと言って北の森まで同行した挙げ句に、道中で吐血したなんてことになったら話にならないと思っていたからだ。
そう。
吐血のリスクは、俺が日本から戻ってきた時からずっとあった。
通り道の負荷は、行く時はさほど問題ないが、二回目に発現させた帰り道で体内に裂傷を負う。『風脈』という、風雅の国から発生している風の流れ……それに逆行して帰って来ることが、最大の原因だと言われている。
戻った後、安静にせず無理を続けた場合、吐血する可能性が高い。そして血を吐いた後、半年持たなかった者もいると、巻物には書いてある。
俺は生きなきゃいけない。半年持たないなんて考えてもいない。
神官業務のこともある。
何より翡翠がいない東軍を、夏野や滝、黎彩や桔梗と一緒に支えなきゃならない。
そして、薫。
俺が生きてなきゃ、もし、ここに一人残されたりしたら、あいつはどうなる?
でも。
そのことを俺は、どうしても薫に言うことができなかった。
聖水を飲んだことで血の味が薄くなると同時に、少し身体の痛みも消えてほっとして、北の森からの帰り道は無意識に薫の肩を借りてうとうとしていた。
毎回怒ったり、薫の無茶を止めたりしているが、心底思った。
こいつにどれほど助けられているだろうかと。
俺が、初めて会った頃からずっと、薫に救われてきたことも本当だったんだ。




