66. 瀕死の白鳥
玲が血を吐いた。
涙声の速水の話を聞き終わってすぐに、夏野が勢いよく黎彩と朱鷺子の方を振り向いて言う。
「黎彩、大至急、龍樹さんを呼んできてくれ。竜骨が必要だと伝えろ。言えばすぐわかる」
黎彩が頷き、無言で足早に青の間を出て行く。夏野は続けて朱鷺子に言う。
「朱鷺子、乾燥させている月零草の処置はこれからだな。月零草と、聖水を持って玲の私室に行ってくれ。少しくらい生乾きでも構わん。大至急煎じて玲に飲ませる必要がある」
緊迫した様子で朱鷺子も頷き、青の間を走り出ていく。
そして夏野は、茫然自失状態の私の目の前に立ち、ゆっくりと私の目を覗き込んだ。
「……薫。玲の私室に行くよ」
その声は静かだけど、有無を言わせない響きだった。私は呆然としたまま、
「あきらの?」
と呟く。夏野は頷き、
「そう。玲の部屋に行く」
と繰り返した。足が鉛のようで動かない私の手を、夏野がそっと引いて連れて行った。
玲の部屋に着くと、今までに見たことがないほど弱り切った玲がベッドに横たわっていた。
私の方まで息ができなくなりそうだった。
その瞳はきつく閉じられ、顔には血の気がまったくなく、唇や掌にかすかに血の跡が残っている。
玲の顔色と、布団の上に放り出されたその長い腕は、蒼白を通り越して紙のように真っ白だった。
不謹慎すぎる話だけれど、その時の私の頭の中には、昔日本で観た、瀕死の白鳥というクラシックバレエの映像がぐるぐると回っていた。
トゥシューズを履いたバレリーナが、パドブレというつま先立ちで歩く様子。今にも倒れそうな白鳥を、震える指先で表現する。
そんなことを思い出してしまうほど、目の前の玲は。
絶対にそんなことは考えたくないのに、瀕死、という一言が私の頭の中に大きく響いていた。
そばで朱鷺子が薬草を握り、涙をこらえながら呟いている。
「……玲、しっかりして……!」
朱鷺子は玲の横で必死に月零草をすりつぶして薬湯を作ろうとしている。
私はふらふらと、目を閉じたままの玲のベッド脇に近づき、投げ出されたその手に触れる。
怖いくらい冷たくて力なく、全然握り返したりもしない。
私は枕元に跪いて、玲の手を、きゅっと握った。
「……だめだよ、玲。月零草、すぐ、朱鷺子さんが煎じてくれるから……起きてよ……」
私の声は、全然玲に届いていない。
彼は目をきつく閉じたまま、息遣いも荒いというより弱くて、全然動かない。
夏野が静かに朱鷺子に近づく。
「朱鷺子、聖水と月零草の調合はどこまで進んでる?」
「調合にはもう半日必要よ。玲、こんなに急に悪化するなんて……」
「間に合わせろ。こんなところで、玲を失うわけにはいかない」
夏野がそう呟いたとき、部屋の扉が開き、僧医の清涼さんが入ってきた。
「……朱鷺子、神殿の薬草庫に炎症止めの月夜草があったので煎じてきました。
月零草の薬湯ができるまで、少し持ちこたえさせることができるはずです」
「……清涼さま……ありがとうございます……!」
涙声の朱鷺子に頷いて、清涼さんが玲の上体をそっと起こし、持っていた薬湯を飲ませる。私は邪魔になるといけないので玲から手を外して、速水が立ち尽くしていた壁際で、一緒に立って見守ることにした。
「玲、薬湯を飲ませますよ」
清涼さんの優しい声が響き、こくんと小さな音がして、玲が薬湯を飲んでくれたことがわかる。
でも、まだその目はきつく閉じられたままだ。
「龍樹を呼んだ方がいいですね」
清涼さんの声に、夏野が応える。
「黎彩に呼びに行かせた。もう十分もかからないと思うが……」
夏野が清涼さんに言いかけた、その時だった。
玲の部屋の扉が勢いよく開いたのは。




