63. 北の森にて
北の森の最奥、月夜見の泉のほとりには、淡い紫色の花々が、仄かにうつくしく光っていた。
「……あった……」
私は傷の痛みも忘れて、泉のそばに膝をつく。
夏野が注意深く花を観察して頷く。
「これが月零草だ。根本の膨らんだ部分にも効能があるらしいから、傷つけないようにな」
夏野は小刀で月零草を採取し、皮袋に丁寧に収める。
滝が奥から走ってきた数体の風狼を切り裂きながら、
「さっさ終わらせて帰るぞ!」と声を上げた。
私は泉の水に触れようと屈んで、さっき風狼にやられた傷に、その冷たい水をかけた。
すると、疼いていた痛みが和らぎ、血が止まった……。
「……すごい。血が止まったよ……」
夏野が私の傷を確認して、泉の水に手を触れる。
「本当に聖なる水なのか……すごいな。これも採取する必要があったな……」
持参していたそれぞれの竹筒に、水も汲む。
滝がもうひとつ皮袋を持っていたので、それにも水を汲んだ。
「戻ったら玲にも飲ませよう」
夏野が言って、私と滝は頷いた。
泉の水を汲み終えて、月零草と聖水、精霊草も確保した私たちは、森を出ることにした。
風狼に傷つけられた腕の傷は痛むけれど、聖なる水のおかげで止血できて動くこともできる。宿で待っている玲のところに、早く帰ろう。森を抜けるため、急いで歩みを進めた。
ふらつく足取りで、どうにか霧が立ちこめる北の森を抜け、宿に辿り着く。
森を抜ける辺りに来て、風狼は出ないと判断した滝が私をおぶってくれた。
すると、遠目に、宿の前に玲が立っているのが見えた。
もう明け方、外は冷えるのに外套を着て、宿の扉に寄りかかって立っている。
寝なかったのかな。早く目が覚めたのかな……?
私がぼんやりとそう思っていると、玲は一瞬ほっとした表情を浮かべ、でも滝におんぶされた私を見るなり顔色が変わった。
「薫、おまえ真っ青だ。怪我したのか? 腕に血が……!」
狼狽えた様子で玲が言って駆け寄ってくる。私は滝の背中から下ろしてもらい、玲を見上げてなんとか笑顔を作った。
「……ちょっと風狼を避け損ねちゃったんだけど……泉の水で血が止まって、痛みも引いたからだいじょう……」
言い終える前に、目眩がして膝に力が入らなくなり、その場に座り込んでしまう。
「薫!」
玲が膝をついて、私の肩を支えてくれる。
「怪我するなって言っただろ……」
苛立ちを抑えられないような口調で玲が言う。
でもわかってきた。これは心配してくれてるってことなのだ。
こじらせてる、と言っていた滝の言葉が頭に浮かぶ。
「出血のせいだな。泉の水に止血作用があって、血は止まったんだが……すぐ休ませよう」
夏野が冷静に言って、隣で滝がちっと舌打ちするのが聞こえる。
「かなりでかい風狼でよ……首を落としたから、もう問題ねえんだがな。俺としたことが怪我させちまって悪かった」
滝の声にも心配が滲んでいるのがわかって、私は少し微笑んだ。
「滝のせいじゃないよ……玲の顔見たら、気が抜けた……」
屈んで私の肩を支えていた玲、血が止まった後で夏野が巻きなおしてくれた包帯をじっと見つめ、次の瞬間、彼は軽く私を抱き上げた。
「えっ! あっ、あの、玲、私、歩けます!」
私は抵抗しようとしたけれど、身体に力が全然入らなかった。
玲は鋭い目で私を睨み、
「ぜったい無理だ。いま座り込んでただろ。夏野と滝は怪我はないのか?」
鋭い視線を二人に向ける。夏野も滝も首を振り、玲は小さく頷いた。
「わかった。今日はもう何もするな。もう一泊、宿に泊まる手続きをしてくる」
そう言うと、私を抱き上げたまますたすたと宿の中に入っていく。
「……あの、……玲、歩くよ……」
「無理だ」
体調がよくない人に重労働させて申し訳ないなと思いつつ、私は玲の腕の中で彼を見上げて、そっと言った。
「玲、でも……月零草も、精霊草も、泉の水も手に入ったよ……」
私の言葉に、玲の瞳が少し柔らかくなり、頷く。
「……ああ。おまえたちのおかげだ。……ありがとう」
その一言に、疲れた身体に暖かさが広がった。私は気を失うように眠りに落ち、目が覚めたのはもう、部屋の窓から夕陽が差し込む時間帯だった。
私はうとうとしながら、玲と夏野が話す声を聞いていた。
夏野が竹筒から月夜見の泉の水を湯飲みに汲んで、玲に手渡していたようだった。
「この水、医術系の巻物に、浄化や身体を補強する力があると書かれていた。ひとまず飲んどけ」
私はうっすらと目を開ける。玲は湯飲みを受け取り、静かに一口、それを飲んだ。
「……飲むとすっとするな。気持ちいい」
玲の低くてなめらかな声が、優しく響いた。
「……弱ってるところを、補強してくれたらいいね……」
うっとりと私が呟くと、眠ってると思っていたんだろう、夏野も玲も振り向いて、ベッドに寝ている私を見た。
玲と夏野は私の言葉に一瞬目を合わせ、どちらともなく微笑んだ。玲の笑顔は、いつもより柔らかくて、どこか儚く私の目に映った。
「目が覚めたか……。そうだといいな、薫」
玲がそう言って、夏野も、私を安心させるように微笑んだ。




