56. 速水の処遇と散歩道
「……速水……」
隣の部屋とつながる扉の所に立ち尽くしていた速水を見つけて、思わず私はかたんと立ち上がった。
でも、私の声に、速水はびくんとその肩をふるわせた。
「……薫、最初は俺から話すから、ちょっと座ってな」
玲が静かな口調で私を制して、扉の方に向かう。そして、速水の前に屈んで、俯いた彼を下から覗き込むようにして……そっと話しかけた。優しくて低い、音楽みたいなその声で。
「……速水、もう、俺のことがわかるか?」
速水、何度も頷く。ぱたぱたと彼の瞳から涙がこぼれて床に落ちるのが、私の位置からもよく見えた。
「玲、さま……。僕、……申し訳、ありませんでした……」
振り絞るみたいに。涙声で速水は言った。玲がふふ、と笑って速水の頭を優しく撫でる。
「正気に戻ったならよかった。……大丈夫だ。薫の傷も浅かったし、もう元気になってる」
速水は頷いて……顔を上げてまっすぐに私を見た。目が合う。
「速水……」
「ごめんね……ごめんね、薫。僕、……操られて……ケガまでさせてしまうなんて、謝っても許されないこと、してしまった……」
思わず私も速水の方に歩み寄る。そして、彼を真っ直に見て、名前を呼んだ。
「速水。私、怒ってないし、許さないなんて思ってないよ。催眠術にかかってたんだもん。悪いのは速水じゃなくて、術をかけた西羅の方だよ。……今はもう、大丈夫……?」
私はそっと速水の手を握っている。彼の震えが少しずつ止まり、私と目を合わせて。
「もう、傷もふさがったし、私は大丈夫。……だから速水も、ゆっくり元気になろう?」
私がにこっと微笑んでみせると、速水は真面目な顔で、うん、と頷いた。
そして、玄奥さんと清涼さん、玲と速水と私の五人で話をした。
速水は今後、神殿預りとして、神殿で寝起きしながら巫子の修行をはじめ、私は速水邸の管理の関係もあり、速水の家でこれまでのように寝起きしてよしとする。
私は今まで通り、速水のお母さんの着物を借りてよい。
玲によると、初陣の関係で私にも翡翠宮から報酬を出すと夏野と決めたらしく、仕立屋に頼んでいくつか仕上がってきたら、そちらを着ていくことにする。
そして、私の食材についても、変わらず神殿からの提供とする。私は速水の様子を見に来てよいか尋ねると、勿論良いという話になった。
速水の処遇も一段落し、次は、どうやって西羅の術を解き翡翠を助けるか、皆で話をしなければ。
そして私にはもう一つ、玲の身体を治す具体的な方法を知りたいという気持ちもあった。
神殿からの帰り道、玲が私を速水邸まで送ると言った。
「湖の方を通って、治療室を突っ切って行った方が景色もいいし近いけど、翡翠宮の正門前を通って道沿いに帰ってもいいぜ。どっち行きたい?」
玲と歩きたかったけど、まだ少し顔色が良くない。無理させたらいけないなと思った私、
「じゃあ、景色の良い方がいいかな」
と、距離が近い湖から治療室経由で戻ることを提案した。
玲は、そうか? と微笑んで、急にぐいっと私の手を握って湖の方にゆっくりと歩く。
私より大きくて、どこか繊細な玲の手。でもその手が少し熱い……やっぱり今日、玲は少し熱があるのかもしれない。私はそう思って、でも外を歩くときに手をつなぐなんて、こちらの世界に来て初めてかもと思って涙が出そうで、黙って玲の少し後ろを歩いた。
冬の柔らかな太陽光を反射した湖はきらきらと美しく輝き、光の中を歩く玲も、思わずじっと見てしまうほど綺麗だった。
「……なんで黙ってるんだ?」
ふと、振り返って玲が私に聞く。私は涙目になってることを気付かれないように瞬きをして、にっこり笑った。
「うれしくて」
「速水が少し元気になってきたことか?」
明後日の方向の答えを返してくる玲のことすら可愛いと思いながら、
「それもある」と私は答えた。
玲は少し首をかしげて不思議そうな表情をする。
「他には何がうれしい?」
静かに聞いて、立ち止まる玲。私は背の高い彼を見上げる。
湖から少し冷たい風が吹き、玲の前髪を揺らした。寒いかもしれない……早く行かなきゃ。でも。私は一言だけ言った。
「……玲と手をつないで歩けてうれしいよ」
私の声に玲は微笑み、うん、と頷いて。ぎゅっと手を握る力を強める。
「痛いよ~」
「楽しいだろ?」
「うん。楽しい。ちょっと寒いから治療室入ろっか」
「ああ。朱鷺子に薬草茶もらおうぜ」
私たちはくすくす笑いながら、湖から治療室につながる階段をのぼった。




