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106. ホールケーキと幸せな夜

 龍樹さんの歌声で、異様にリラックスしてしまった私はそのまま夢も見ないで熟睡して、目覚めたらもう夕方、太陽が沈みかけていた。

 (アキラ)も戻ってきたのか、隣の部屋からは賑やかな声とおいしそうな匂いが漂ってきている。


「薫~そろそろ晩飯できそうだけど、起きれるか?」


 玲が呼びにきてくれて、熱も下がってきたようで少し元気になった私は、


「すぐ行くね」


 と浴衣を少し綺麗に着直して、隣の部屋に行った。

 来た時は体調不良であまりきちんと見ていなかったんだけど、玄関からつながっているそのお部屋はきれいに整頓されていて、台所と食堂とリビングを兼ね備えた一室だった。


 部屋の隅にロッキングチェアが置かれていて、湖が見える窓の傍には、とても綺麗な木彫りの人形が飾ってあった。ちょっとだけ玲に似てる感じがするなとその人形を見て思いながら、私は龍樹さんに勧められた椅子に座る。


 丸い木のテーブルの真ん中には美味しそうな鶏がゆの鍋が置いてあり、小鉢に青菜のお浸しと豚肉と卵の炒め物も置かれていた。

 

「あとでデザートもあるからな。たくさん食べてくれ。(ハヤセ)は足りるかな~」


 龍樹さんのおどけた声に、滝が笑う。


「デザートいっぱいあるんだろ? 今日は鍛錬の時間も短かったからな。そんな大量に食わねえよ」


「まあ、足りなかったら小魚を甘辛く煮たやつもあるから言ってくれ」


「それって父さんの酒のつまみなんじゃねえの?」


 笑顔で尋ねる玲に龍樹さんは微笑んで頷く。


「よくわかったな」


「俺、晩酌付き合ってもいいぜ?」


 そして滝の軽口に、龍樹さんは明るく笑った。


「おまえ、まだ十六だろ? 誕生日が来たらつきあってやる」


「俺は酒屋の息子だぜ?」憮然とした滝。


「酒屋の息子だろうがなんだろうが、決まりは決まりだ」と龍樹さん。


「これは滝が分が悪いな。……薫、風雅の国は、通常は男は十四で初陣、戦とかやってたから、十七になったら酒飲んでいいってことになってるんだ」


 と玲が教えてくれる。へえ、と私は頷いた。


「じゃあ、八月の俺の誕生日になったら飲みに来ようぜ、玲」笑顔の滝。


「俺は弱いからな~ま、酔っ払う二人を眺めとくよ」


 たしかに玲がお酒を飲んでいるところは、今まで見たことがなかった。そんな三人の掛け合いが面白くて私もくすくす笑い、鶏がゆも絶品で、夜は楽しく更けていった。



     ◇



 鶏がゆや他の料理もおいしく食べ尽くしたなという頃。


「ちょっと厠をお借りしていいですか?」


 私が言うと、龍樹さんが部屋の隅を指して教えてくれた。

 そして、厠から出て来た私に、龍樹さんはほかほかの蒸しタオルを渡してくれる。


「手と、ついでに顔も拭いたらいい。気持ちいいぜ?」


 私は小声でありがとうございますと言って、言われるままに顔と手を拭く。ふんわりとハーブのような香りがして、本当に気持ちよかった。


「デザートあるから、薫ちゃんはさっきの席に座ってな」と龍樹さん。


「楽しみです♪」


 さっきデザートって言ってたな、と、私は笑顔で席に戻る。


「玲も滝も、俺の菓子には目がねえんだ」と龍樹さん。


「本気で、うめえもんな!」


 滝が言って、玲も子供みたいにうんうんと頷いていた。私がそっと元の席に座ると、隣に座った玲が微笑んで言った。


「父さんが作る菓子はほんとうまいんだ。楽しみにしてて」


 さっきの龍樹さんのホットタオルとその玲の笑顔で、私は色んな不安や心配事なんて、ここにいたら消えてなくなっちゃうような感じだな、なんて思えて、笑ってうんと頷く。 そこに龍樹さんが、茶色っぽい生地に白いアイシングのような飾り付けがされたホールケーキを持ってきた。


「……え、すごい、ケーキ、ここに来てはじめて……!」


「キャロットケーキなんだがな」と龍樹さん。


「薫、人参食えるか?」と玲に聞かれて、


「大丈夫、私食べれないのは納豆だけだから」と半分上の空で私は答えてる。


「あー納豆は俺も苦手だ」


 玲が同意してくれていたけれど。私はと言うと、龍樹さん作のケーキに目が釘付けだった。


「すごいですね。上に乗ってるのはクリーム? ですか?」


「ここは牛があんまりいねえからな。山羊ミルクで簡単にカッテージチーズ作って、それに砂糖混ぜて乗っけたんだが……気に入るといいけどな」


 ふんふんと龍樹さんは鼻歌を歌いながら、私の目の前にそのケーキをまるごと置いて。


「ちょっと待っててな」


 と入り口近くの棚の方に歩いて行く。 そして、小さく一本蝋燭が灯っている燭台を持ってきて、玲と私の間に置いた……。


「蝋燭? ですか?」


 無邪気に尋ねる私に、龍樹さんは頷く。


「なんか、もうすぐ薫ちゃんの誕生日だって玲から聞いてな。細い蝋燭はないから、燭台にさしたままですまんが」


「え」


「それで、今から歌を歌う。……と言っても、滝は英語わかんねえから、手拍子してくれ。こんな感じだ」


 滝に向かって手拍子をはじめる龍樹さん。滝はいいぜと笑って龍樹さんに倣う。呆然と眺めている私のことは気にせず、手拍子の練習が終わると、龍樹さんは玲に声をかけた。


「玲は覚えてるか? この歌」


 小さく、Happy Birthdayを口ずさむ龍樹さんに、玲は「ああ、」と頷いて。


「なんか、子どもの頃誕生日に毎回歌ってたやつか……一緒になら歌えると思う」


「よし。じゃあ、滝、さっきの手拍子よろしく」


「りょーかい」


 滝と二人で手拍子をはじめて、それに載せてとても良い声で、最初に龍樹さんがHappy Birthdayを歌い出す。 もともとハスキーな龍樹さんの声が、歌い出すと音が二重に聞こえるような深みを持って……それに、玲の澄んだ声が綺麗に乗った。


 私の名前を歌うところだけ龍樹さんは歌うのをやめて、結果的に玲がひとりで私に囁くみたいに歌って。音程に乗せて薫と名前を呼んで、ふふっと玲が笑う。そして最後は、龍樹さんと玲が綺麗なハーモニーで、締めくくった。


「ほら、薫は蝋燭消して! 滝と玲は俺と拍手!」


  ぱちぱちぱち、と三人が拍手してくれる中、私はふうと蝋燭を吹き消す。 まさかだった。正直言って私は、ケーキも蝋燭も諦めていたから。


「あ、ありがと……」


 言いかけて、ぽろりと涙が零れる。 玲はふと息をついて。


「父さん、さすが年の功だな。俺はこういうの思い付かなかった……」


 と言いながら、私の頭をやさしく撫でてくれた。


「すみません、……私、実はケーキ食べたくて……それに、なんか最近、ちょっとホームシックで」


「だよなあ。まだ十六とか十七だろ? そりゃそうだよ」


  龍樹さんは手早くケーキを切り分けて三人にサーブしてくれる。


「はい、どうぞ」


 そのケーキは素朴な味わいだったけれど、とてもとてもおいしくて、私は久しぶりに心から笑えた気がした。


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