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104. 湖のほとりの龍樹の家へ

 治療室から近い、翡翠宮の玄関に馬車を停めたと(アキラ)が言って、少し楽になっていた私は「歩けるよ」と言って玄関に向かった。


 私は御者をしてくれる(ハヤセ)と、玲と並んで玄関から外に出て……なぜだか五月の陽光に妙にまぶしさを感じてふらついた。


「……っと」


 隣を歩いてた玲がすぐに支えてくれる。


「あ、ごめん。なんか太陽まぶしくて、立ちくらみみたいになった」


「……呪いの傷ってそうなんだよな。太陽光きつく感じる」


 そうなんだ、と思っていたら、ひょい、と身体が宙に浮く。


「え、あの、玲、歩けるよ」


「すぐそこだ。もう抱えて行くから大丈夫」


「……でも重いよね?」


「問題ない。……って言うか最近痩せたんじゃねえのか? 前より軽い感じする」


 平日のランチは翡翠宮で食べているから変わらない量だったけど、夢が気になっていたこともあって、朝ごはんや晩ごはんは軽めだったなと思い出す。


「ちょっとダイエットを」


 言いかけたら玲から軽く睨まれた。


「必要ねえし! 食わなきゃ駄目だろ、人生は体力勝負なんだ!」


 少し前まで療養していた玲の台詞には説得力しかなくて、私は思わず笑って頷いた。そして玲の肩に頭をもたせかけるみたいにすると、玲は「そうそう、ゆっくりしてたらいい」と優しく言って、少し先に停めてあった馬車まで軽々と私を運んでくれた。



 馬車には玲の馬・天藍(テンラン)と、滝の炎群(ホムラ)がつながれていた。


「滝、御者してくれてありがとね」


 私が言うと、滝がにやっと笑う。


「おうよ、馬車の中で玲と仲良くやってくれ」


「いつも一言多いんだよ、おまえは!」と玲。


「キャーこわーい」滝がふざけて、私はくすくす笑う。


「いつでも出していいからな」


 玲は滝にそれだけ言うと、そっと私を馬車の座席に座らせて、自分も隣に乗り込んだ。外から滝が馬に声をかけているのが聞こえてきて、がたんと馬車が動き出す。窓側に寄りかかって外を眺めていたら、急にぐいっと肩を引き寄せられた。


「玲?」


「俺に寄りかかってろよ。少しは楽だろ」


 外では気を張っていて気づく余裕がなかったけれど、その時いつもの玲の香の匂いが微かに香ってきて、ありえないくらいほっとした。


「うん……気持ちいい……。

 なんか、前に北の森から帰って来たときと反対だね」


 こんな状況なのに、私の気持ちは安らいでいる。


「あのとき、俺がおまえに寄りかかってて、どれくらい安心してたか知ってるか?」


 そんなことを言われて、ほっとするのと嬉しいのと切なさまでもが一緒になって、私の心の中は涙の洪水みたいになっている。なんだか我ながら、違う人になったのかと思うほど涙腺が弱くなっていた。


「あのとき、玲、夢の中で私を探してたって言ってて……なんか、めちゃくちゃうれしかったんだ」


 それだけ言うと、玲が私の冷たくなっている左手の指先を、そっと握った。


「いなかったらいつでも探すし……いつも、おまえがちょっとでも、ここで気楽にいられたらいいなって思ってる」


「……さっき夏野が、玲が怒るのはキャパオーバーって言ってて」


「何それ」


「私が玲の容量を超えるって滝が」


「あいつら、いない所で何言って……」


「私が聞いたの。玲は皆には怒らないよねって」


「心配だからに決まってるだろ」


 玲、憮然とした表情になる。でも少し考えるみたいに黙って、それからゆっくりと、言葉を紡いだ。


「……なるほど。俺もうまくできてねえけど……戦もそうだったけど、呪いとか……たぶん、薫にとっては訳がわかんないことで、めちゃくちゃ怖いときもあるだろ?」


 言われて、私は黙って頷く。心の底から怖いと思っていたのは本当だった。


「呪いっていうのは、心の隙間……暗い考えというか、恐怖とか、そういう気持ちにつけこむんだ」


 玲の優しい声が胸に響く。そうか。私のまだまだって思う心の闇みたいなところを突かれたってこと?

 彼は続けた。


「だから、おまえがまず、いちばん信じなきゃいけないのは、俺のこと」


 はっと、顔を上げて玲を見る。玲はとてもとても優しい目をしていた。


「信じて、としか言えない。薫のことが大切だと思ったから、日本に置いてきた。おまえが来ちまって、俺は調子崩してたから、何か危険なことがあったときに守れないと思った。……ほんとにどうしようと思った……。でも、この前、吐血したときに思った。おまえがいるから、生きなきゃと思った」


「ごめん、玲。私」


 信じてなかったわけじゃないのに、結果的にそんな風にしてしまったと気付いて声が震える。外からは、がたんごとんと馬車が緩やかに揺れる音。滝が馬に声をかけてる。ある意味平和だと思えるそんな音の中で、玲は私を見て、安心させるみたいに少し笑った。


「なんで謝る……何回でも言ってやる。好きだ。本当に好きだ。おまえの無鉄砲なところも、すぐかっとなるところも、短気な……」


「やめて、悪いところ言わないで」


 涙目で文句を言うと、玲、いたずらっぽく笑って、耳元で囁く。


「じゃあ、おまえの目も声も、明るさも優しさも、いつも俺のことばっかり考えてるところも……」


「やめてやめて、はずかしい!」


 顔がものすごく熱くなってるのを自覚する。これは熱のせいじゃなくて玲のせいだと思う~。そんな私に玲は、にやっと笑って。


「そういうところも、好きだ」


 そう囁いて、私のこめかみにそっと口づけた。

 そして、言った。

 

「だから、怖いことが起こってる時は、俺になんでも言っていいんだ。時間が経って状況がよくない感じになったら、薫がきついだろ?」


 私に言い聞かせるような玲の言葉を聞いていて、私は今までの一連のことになんだか納得できたような気持ちで、頷いた。


「うん。ありがと。怖い夢みて、起きたら傷が痛かったりして、でも、冷やして治ったから大丈夫って思ってたんだ……。これからは、なるべく早めに相談するね」


 言いながら微笑んだ私の肩を、気力をわけてくれるみたいに玲はぎゅっと抱き寄せてくれて、私は安心して息をつき、滝の丁寧な馬車の扱いに心地良い揺れを感じながら、浅い眠りに引き込まれた。



     ◇



 龍樹さんが住む湖のほとりに建つその家は、窓も玄関の扉も開け放たれていた。傍では湖の水面がきらきら光り、爽やかな風が吹き抜ける。龍樹さんの人となりを表わしているような気持ちのいいお家だった。


 玲が私をかかえて運んでくれた。


「あの、龍樹さん、突然こんな格好ですみません」


 玲に抱っこされたまま、私が慌ててそう言うと、龍樹さんはにやりと不敵な感じに笑った。

 玲が年を取ったらこんな風になるのかなって感じの、玲にそっくりな顔で白髪交じりで無精髭。初めて会ったときやお花見のときと同じ、清潔そうな白地に薄いグレーの模様が入った着物姿だった。


「薫ちゃんは育ちがいいなあ。具合悪いときは挨拶なんて後で大丈夫だ。

 玲、さっき夏野の夜光鳥が手紙を持って来た。

 奥の部屋のベッドに寝かせてやってくれ」


 私は弱っているのもあって、すぐベッドに運ばれ、そのまま龍樹さんの治療を受けることになった。


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