102. 治療室にて。
第100話 滝の慧眼 の続きです。
「……朱鷺子~! ちょっと薫を……」
滝に連れられて治療室の裏口から屋内に入ると、そこには翡翠宮の医師・朱鷺子ではなく、夏野が座っていた。
夏野はもともと参謀兼医師見習いで、戦が終結した今は執政補佐兼医師見習いとなっていた。だから時々、朱鷺子さんの代わりに治療室にいることがある。
「朱鷺子は今日、西の砦に出張中だ。薫、どうした?」
いつもと同じ涼やかな視線でそう聞いてくる。今日は医師見習い用なのか、いつもの緑や茶色の着物ではない、すっきりした淡い水色の着物を身につけていた。朱鷺子は出張と聞いた滝は、そう言えばと頷いて。
「今週は軍の現状把握と医療の話で、黎彩と朱鷺子が西の砦行きって言ってたな」
と呟いている。
私は夏野の視線に少し肩をすくめて。
「滝が、剣術稽古のとき左をかばってるって言ってて……触診みたいに触ってもらったら、前に北の森で怪我したところがびりって痛くて」
「しかも、寝不足とか言っててよ。ここに戻って来る道で詳しく聞いたら、傷が痛くて目が覚めるけど、冷やせば治るとか言ってやがる。深刻だろ?」
「……なるほど。それは診てみる必要があるな。薫、そこの椅子に座って……」
夏野がちょうど私を椅子の方に促して、私が座ったとき。
「夏野、薬草茶もらえるか?」
軽く治療室の扉が開いて、入ってきたのは玲だった。
玲と目が合って、私は固まる。
心配すると思って、夢の話も傷が痛いって話も、全然してなかったんだよね……。
「……薫、具合悪いのか?」
「北の森で風狼にやられた傷が痛むらしい」
玲が真面目な顔で聞いて、すぐに夏野が答える。もはや隠しようがないと思って、私は足早に歩み寄ってきた玲から、気まずい思いで視線を外した。そんな私たちを眺めながら、滝はテーブル脇で呑気に薬草茶をお湯飲みに注ぎ、先にひとりで飲んでいる。
「いつから?」
低い玲の声。言い逃れできないなと思いながら、背中に冷たい汗が流れるのを感じつつ私は言った。
「……ええと、変な夢見て、傷が痛いような気がして目がさめるようになったのは……いつだったかな……」
「昨日今日じゃないのか?」
途端に玲の声が鋭くなる。これは言い訳できないなと諦めて、私は頷いた。
「十日くらい前、かな?」
「なんで言わない!」
急に大声を出す玲に、私の肩はびくんと震える。心配して怒っちゃうんだよね、玲は。なんとなくそれは、前に速水を救出に行った時や、まさに北の森に内緒で行こうとした時の経験で知っていて、それもあって黙っていたんだ。
「……玲、静かに。薫は調子崩してるんだ。今から傷を診るから……心配だろうが、黙って横に座ってろ」
夏野が静かに言って、玲はふうとため息をついて言われた通り隣に座る。
「……ちょっと薬草の在庫を見てくる」
夏野が隣の薬草庫に席を外し、滝は黙って自分が先に飲んでいた薬草茶を、私と玲に淹れてくれた。滝って性格は豪快なのに、いつもタイミング見て色々してくれるよね、と思いながらお礼を言って、薬草茶を一口いただく。玲も一口飲んで、少し落ち着いたみたいで私を労るみたいに見て、囁くように言った。
「そういうことは、はやく言わなきゃだめだろ?」
私はこくんと頷いて。
「うん。ごめん。心配するかなと思って、言えなくて」
「ひどくなったら余計心配するだろ」
「……だよね。なんか、そこまで考えられてなかった……」
言いながら、私は少しぶるっと震えた。咄嗟に両肩を抱くみたいにした私の動きに気付いた玲、黙って立ち上がり、ベッドの方に置いてあった膝掛けを取ってきて、私の肩にかけてくれる。玲にも夏野にも滝にもわかってしまって、私はかえって安心したのか、今までがまんして保っていた最後の糸が切れたような感じで、急に熱が出て来たような寒気を感じていた。
「悪いな、滝。剣術稽古の途中でわかったのか?」
「顔色わりいなと思って、しばらく打ち合ってみたら、なんか左を庇ってる感じがしてよ。触診みてえなことやったら、傷跡が痛むって言うから稽古は中断して連れてきた」
「ありがとな」
「いえいえ。薬草、あればいいけどな」
二人が話している間に、夏野が戻って来た。
「精霊草の煎じ薬より、軟膏にしたものの方が効くだろうな。ちょっと塗ってみるけど、少し痛いかもしれねえから……玲、ちょっと薫の手、握っててやって」
言われて、玲が私の大丈夫な方の右手を握ってくれる。それだけで私は心に小さな灯がともるように感じながら、夏野が軟膏を塗ってくれるのを待った。鍛錬の稽古着をめくると、熱が出て来たからか他の理由なのか、傷跡が濃いグレーの色になっていた。
「……傷跡の色、濃くなってるな」
「さっきまではほとんど色は変わってなかったんだけど……いたっ」
言っている途中で軟膏が傷に触れ、急な熱さと痛みを感じて、私は思わず悲鳴を上げる。同時に玲の手をぎゅっと握ってしまってた。
「あ、ごめん、玲」
「大丈夫。痛み続くか?」
「いや、塗った瞬間だけ……でも、グレーのまま、だね」
「そして、おまえ熱出てきてないか?」
玲が優しく私の額に触れてくる。私は少し気が遠くなるような感じがして、頷きながら玲にもたれるような感じになった。
「……発熱してる。ちょっとベッドに寝かせた方がいいな」
遠くで玲の声がして、同時に身体が浮くような感じになった。
「あれ? ……玲、わたし……」
「具合悪くなってきたんだろ。とりあえずベッドに寝かせるから、大丈夫、そのまましばらく寝てたらいい。これからどうするかまた教える」
どうするかってなんだろう……?
ぼんやり思いながら、私は身体が重くなって目が開けていられない。
寒い感じがするなと思っていたら、ふわりと玲が羽布団をかけてくれたことを感じた。
「呪いの傷か……。一旦治ったのがひどくなるってあまり聞かねえよな。精霊草の軟膏が効かないときは……月零草の根が薬になるんだったか?」玲の声。
「そうだ。この前、祝宴のときに龍樹さんと話していて、龍樹さんの薬草庫に少し在庫があると言っていた」と夏野が答える。
「……父さんのところにこのまま馬車で連れて行くか」
玲が言うと、
「俺、御者してやろうか? どうせ今日は軍の鍛錬には行かねえし、玲が馬車で隣に乗ってた方が、薫は安心なんじゃねえの」と滝の声。
「そうだな。それだと助かる。
俺、ちょっと馬車の準備してくるから、夏野と滝は薫を見ててもらえるか?
熱が出て来てるみたいだから、解熱剤の薬湯飲ませといて」
緊迫した玲の声が、遠くに響いた。
「俺が準備してきてもいいぜ?」
ちょっと呑気な滝の声に、かぶせるように玲が言った。
「俺は今、腹が立ってじっとしてられねえから、馬車の準備する方が気が紛れる」
そのままバタンと音がして、足早に去って行く足音が響く。
怒らせちゃったな~……。
そんなことを思いながら、私は眠りに引き込まれる。
薬を塗った傷跡は鈍く痛み、熱が出て来たのか、かたかたと身体が震えていた。
寒いのもあるけど、怖かった。玲が怒ることも、呪いに侵されている自分自身も。
でも、こんな状態とは言え、玲も夏野も滝も、私が治るようにと龍樹さんの家に連れて行こうとしてくれている。そのことは痛いくらいわかって、私は心の奥で、心配かけたくないと思って言えずにいたことを、本当に申し訳なかったなと考えていた。




