100. 滝(はやせ)の慧眼
楽しい日曜日が終わり、一行日記には『楽しい一日!』と一言書いて、私は幸せな気持ちで布団に入った。でも翌朝、やはり夢にうなされた。
掌から浮かび上がる、勿忘草みたいな薄紫を帯びた青い炎。今回は背後に何か、暗い影のような不気味な気配も感じる。でも、私はおそろしくて振り返ることができない。
"私を受け入れろ"
また暗く闇を広げるような声が頭に響く。
私って誰。
怖くて、身体が震えて、でも見なきゃと思って必死で振り返ろうとした時。
「薫!」
玲の澄んだ声が聞こえて、駆けてきた玲が私の大丈夫な方の右手を掴み、かばうみたいに引き寄せてくれたところで目が覚めた。瞬間、見えた。不気味な影は風狼のシルエットだった。
「……たすけて、くれた……」
それは、涙が出るくらい安心することだった。
しばらく起き上がれないくらい身体が重く、動悸もはげしくて息苦しかった。
私は深呼吸を繰り返して、大丈夫、大丈夫。と言い聞かせる。
起きようと上体を起こしたとき、ずくんと傷が痛んで、傷跡を抑える。やっぱり熱を持っていた。
「とりあえず、水汲んで冷やそう……」
冷たい水で冷やすと、痛みが消えてほっとした。
「……よかった、痛くなくなった……」
私はふうと息をついて、ひとまず寝間着の浴衣から着物に着替える。
消えていたはずの傷跡が、うっすら色が濃くなってる……?
怖いなと思いながらも、痛みが消えたことに安心して、私は月曜日も姫教育のために青の間に向かった。
大丈夫、大丈夫、痛くない。
そんなことを呪文みたいに、心の中で唱えながら。
◇
その後、身体が重くてすぐ起き上がれないことは、毎朝続いていた。一行日記も、なんて書きようもないなと思い、『夢』、『炎』、『悪夢』と、一言日記みたいになっていた。
でも、動けるうちは動かなきゃ、心配かけちゃだめだと、妙な強迫観念にも似た気持ちで、私はそのことを誰にも言えずに姫教育に通っていた。
そうして、木曜日の午後。
その日は滝との剣術訓練の日だった。
「さて、と。準備運動終わったな~」
翡翠宮の裏、湖に面した開けた場所で、いつもの気軽さで滝が言った。
「いつでもいいよ」
かかってこいとばかりに私は木刀を構える。……と、滝、ふと目を細めるように私を見て。
「なんか薫、顔色悪くねえか?」
いきなりそう言われてどきんとして、でも私は笑って首を振った。
「えー別に問題ないけど……言われてみればちょっと寝不足、かな?」
青い炎の夢を見て夜中に飛び起き、朝も傷の痛みで明け方に目覚めることが続いていた。そして闇が心を覆い尽くしていくような暗い声も、少しずつ大きく聞こえるようになっていた。起きて冷やすことで痛みは消えるけれど、夜ごとに痛みの度合いも増すような気がしてた。
滝は、ふうん、と頷いて。
「……ま、いいや。打ち合ってみたら調子もわかるだろ」
言われて私は楽しくなってきて、すっと構える。
「はあっ!」
滝のかけ声と同時に駆け寄って、ガツッと木刀がぶち当たる。何度かラリーみたいに繰り返していると、不意に滝が私の左側にすごい速さで回り込み、ぐっと私の左肘をつかんだ。
「えっ、なっ、何?!」
「なんで左かばってる?」
かばったつもりはなかった。でも、夢のことを気にしてるのかな、私?
私は首をかしげて。
「……かばったつもりなかったけど……」
滝は黙って、やわらかく私の左腕を、手首のあたりから上腕に向かって押し始めた。急に腕を触られているけど、それは明らかにお医者さん的な、異常を見るための手つきだとわかって私は黙って滝の手元を見つめた。翡翠軍第二の剣士ともなると、怪我の対応も上手くなるのかなとぼんやり考えていたとき、上腕の中程まで来て、滝はやさしく触れているくらいなのにズキンと傷跡が痛んだ。
「あっ、そこは痛っ……」
「前にやられた傷か?」
真剣な声に、私は渋々頷く。そんな私を見て、滝は鍛錬している場所のすぐ傍に裏口がある、朱鷺子さんの治療室の方を顎でしゃくった。
「今日は中断だ。それで、前に風狼にやられた傷跡、ちょっと朱鷺子に見せるぞ。見た目は変わらねえみたいだけど……痛みが増してるとかねえのか?」
「普通にしてたら痛くないけど、夜中に痛い時あって……それと今、触られたときびりっと痛かった」
滝、うんうんと頷いて。
「呪いの傷が一回治った後でまた悪くなるとか、あんまし聞いたことねえけどな……俺より朱鷺子の方が詳しいからな。聞いてみようぜ」
それですたすたと先に立って治療室の方に歩き出すから、私もやむなく滝の後に続いた。




