第11話:異常繁殖の理由と戦術的撤退
村を出てしばらく街道を歩き、叫び声が届くはずもない距離まで離れたところで、ようやく足を止める。
ここなら村に迷惑はかからない。
「……そろそろやりましょうか」
自らを囮にするやり方は、どうにも気分が悪いけれど、効率を考えれば、背に腹は代えられない。
私は一度息を整え、声を張り上げた。
「――きゃ~!誰か〜!助けて〜!」
澄んだ声が森に広がり、鈴の音のように木々の間へ響き渡る。
少し恥ずかしい気持ちもあるけど、聴覚の鋭いゴブリンたちなら、聞こえればすぐに飛び出してくるだろう。
……問題は、人間に聞かれてしまった場合だ。
もし通りがかりの冒険者が来たのなら、素直に謝って事情を話し、ついでにゴブリンの情報を聞けばいい。
しかし、うかつに近づかれたり、触れられないように注意しよう。
もし怪しい素振りをすれば、斬ればいい。
ゴブリンを探るため、森の気配に耳を澄ませる。
――森の奥から、不快なざわめきと足音が近づいてきている。
枝を折り、地面を蹴り、獣じみた笑い声を漏らしながらゴブリンの群れがやってきた。
ざっと数えて十数体、後続もあるだろう。
静かに息を吐き、戦闘思考に切り替える。
「よし、やりましょう」
万物保管庫から、錬成しておいた片手剣を呼び出す。
掌に現れた冷たい質量を握り込み、腰を落とした。
始めの方針と違い、錬成術を戦闘で極力使わない事に決めた。
切り札は隠してこそ意味がある。
だからこそ、一定の強さを手に入れた今、この程度の戦いはスキルや黒衣に頼らず、己の肉体と技で挑むべきだ。
昨日の強行軍で魔物を斬り続け、確実に身体強化は進んでいる。
体力も微増を繰り返した結果、効率の良い動きを意識して消耗を減らし、戦闘中の僅かな空き時間に呼吸を整えれば、継続戦闘を行える。
あらゆるスキルはスキルの仕組みを理解して運用すると、補正が強まる。体術の場合は身の熟しや呼吸法に補正が掛けられるので、体力を無駄に消費しないようになっているのだった。
森の影から、牙を剥き出しにしたゴブリンが飛び出してくる。
その軌道を冷静に観察し、最短の動きで踏み込み、剣を振り抜いた。
刃が肉を裂き、赤い飛沫が舞う。
血糊がこびりついても問題ない。
錬成し直せば、いくらでも新しい刃に換えられる。
振り返りざま、もう一体の喉を一閃で断ち切った。
数の強みは相手に掛ける圧力である。
押し寄せてくる前に新たな道を作り、その圧力を散らすことで、一対一の状況を繰り返し、安全を確保しながら効率よく敵を減らす。
ゴブリンの動きは粗い。
武器を持つ個体もいるが、振りは大きく、隙だらけだ。
観察しながら最適な角度を選び、一撃必殺を積み重ねていく。
焦りも恐怖もない。ただ必要なのは、冷静な判断と合理的な処理だけ。
黒衣を翻し、剣を握る腕にさらに力を込めた。
――ここで試す。己の実力だけでどこまで戦えるかを。
――――――――――
ゴブリンの群れが執拗に私を攻めたてる。
引き付け、躱し、すれ違いざまにその剣を首に滑らせる。
己の力だけでスキルを得られるなら、もう剣術のスキルを覚えていただろう。
剣術スキルがあれば派手な技も使えるらしいけど、殺すだけならその刃を急所に当てるだけでいい。
振り下ろし、切り裂き、返す刃で喉を裂く。
血飛沫と断末魔が重なり合い、足元には屍の山が築かれていく。
やがて、百体ほどの命を刈り取った頃――。
ゴブリンたちの喚声に焦燥が混じりはじめた。
牙を剥いて飛びかかってきたはずの眼に、明らかな怯えが宿っている。
「……気づくのが遅いですね」
村を襲っていたゴブリンも最後まで逃げなかった。
知能が低いのか、判断力が鈍いのか……。
低く息を吐いたと同時に、群れの後方から我先にと背を向ける影が現れた。
最初の一匹が逃げ出せば、それは連鎖する。
次々と仲間を置き去りにして駆け出し、統率など存在しない烏合の衆と化したのだ――。
――――――――――
――本来なら、この群れの指揮を執る“ゴブリンリーダー”が退却を命じるべきだった。
だが彼にとって目の前の人間は極上の獲物。
暴力的な性欲に支配されていた思考が、退く判断を許さず、彼の足を縛りつけていた。
結果、退却の号令は出されず、群れは勝手に潰走を始める。
リーダーは、ついに舌打ちして諦め、やっと逃げ帰る選択を選んだ。
――――――――――
(……やっと撤退しましたか)
静流はあのゴブリンが逃げるのを待っていた。
当初から、異常繁殖の原因を調べるなら拠点を見つける必要があった。
だから最初から、ゴブリンを絶滅させるつもりもなく、戦いながら特別なゴブリンを探していた。
そして発見したのだ。
何やらハゲ頭にカツラをのせたゴブリンを――。
――――――――――
カツラを被ったゴブリンリーダーは逃亡中、南の森近くの隠れ里を脳裏に思い浮かべた。
そこはかつて逃げ延びたゴブリンたちが築いた巣穴で、いまだ健在だ。
もっとも安全とは言いがたい。
南の森からは時折、オークがゴブリンたちを追って侵入してくる。
だがオークたちは、ゴブリンを見下しているのか、一度に一体ずつしか現れない。
ここに拠点を構えたときから、その周囲にオークの重みだけを感知する落とし穴を張り巡らしてきた。
愚かにも単独で現れるオークたちは、その罠に捕らえられ、ゴブリンの糧となってきたのである。
カツラを被ったゴブリンリーダーは、舌なめずりしながら森の奥へと姿を消した。
戦場に残されたのは、屍を晒す無数のゴブリンだけだった。
――――――――――
森の中を駆け、カツラを被ったゴブリンリーダーを追い続ける。
……やがて、視界が開けた瞬間、異様な光景が飛び込んできた。
そこには広大な巣穴――いや、拠点と言うべき場所があった。
岩肌をくり抜いて作られた住処の周囲には、夥しい数の骨が散乱している。
腕、足、肋骨……白く乾いた残骸の中には、子供のものと思しき小さな骨までもが混じっていた。
……村から攫われて、喰われた者たちがいたのか。
しかし、その惨状の中でも異様に目を引くものがあった。
拠点を囲むように並べられているのは、巨大な頭蓋骨。
形は明らかに人間ではない。
太い顎、歪んだ牙、隆起した頬骨……それはオークの顔の形そのものだった。
いくつもの頭蓋骨がずらりと並べられ、まるで「戦利品」のように晒されている。
(――ゴブリンごときが、オークを……?)
驚愕に目を見張ったその時。
ぶごーーーー!!と怒声が響く。
視線を向ければ、巨大なオークが落とし穴に嵌っていた。
その上から、群がるゴブリンたちが槍を突き下ろしている。
ぐしゃり、ずぶり。
血が飛び散り、重苦しい呻き声が森に響く。
もがくオークの身体は既に傷だらけで、地上にあがる術もなく、ただ一方的に嬲られていた。
オークが綺麗に嵌るサイズの落とし穴で身動きを封じ、完封を実現させていた。
静流は剣を握り直し、眉をひそめた。
(……これが、異常繁殖の原因……)
冷静に思考を働かせる。これは、ただのゴブリンの群れではない。こいつらは狡猾な頭脳と弱者を甚振る習性を持っている。
集落と呼んで差し支えない規模の拠点。
数百の気配がうごめき、巣穴の奥にはさらに無数の影が潜んでいるのだろう。
単純に突っ込めば、確実に罠に掛かる。
目の前のオークを仕留めている落とし穴のように、あらゆる罠が拠点を守っているかもしれない。
ここを一人で潰そうと思えば、情報と準備が要る。
勢いだけで挑めば、命を落とすのは目に見えていた。
小さく息を吐き、剣を万物保管庫に収めた。
「――これは、一度報告に戻らないと……」
ギルドに報告すれば、何らかの手立てを考えるだろう。
独りで無茶をする必要はない。
黒衣の裾を翻し、踵を返した。
森のざわめきの中になお耳に残るのは、オークの絶叫と嗤うゴブリンたちの声。
その異様な光景が瞼の裏に焼き付いて離れない。
(あれを放置すれば、村は確実に飲み込まれる……)
焦りを抑え、足を速めて道を戻っていった。




