夏の終り
あれは八月の終る頃だった。
病院へ見舞いに行く道すがら、私は道の真ん中に蝉が落ちているのを見た。
長患いで臥せっている友人にその話をすると、彼は「その蝉は、きっと僕だ」と言った。
私は、どうしてそう思うのかと尋ねた。
「夏を越せず、秋を迎えぬまま死ぬ様が、丁度僕の姿と重なったからだ」
僕はじき死ぬだろう。静かにそう話す彼の身体は心做しか、以前見舞いに来たときよりも痩せ細っているように見えた。
「しかし、医者によれば治る見込みは充分にあるそうじゃないか」
「うん、けれども僕は夏中に死ぬ予感がするんだ」
「そんなことを言うなんて君らしくないな。きっと病で気が弱っているんだろう」
私は話を続けた。
「あの蝉なら、足で突いたら驚いて飛んでいった。死んでいるように見えたが、きっと暑さにやられていただけだろう。儚く見えて意外にも逞しいのだ、ああいった虫は。ましてや君は人間なのだから、そう簡単に死ぬわけがない」
私は嘘をついた。爪先で突いた蝉は、飛ばずに地面の上を転がった。しかし、そのことを言えば彼が本当に近いうち死んでしまうような気がした。
「そうか。では君の言うように、僕は気が弱って、少し過敏になっていたのかもしれない」
「きっとそうだ。病は気からと言うじゃないか」
「よく言ったものだ」
彼はそう言って、かつてのように明朗に笑った。
それからほどなくして、私は彼が亡くなったという訃報を受け取った。肺炎が突然悪化したらしい。まだ暑さの残る、九月の初めのことだった。
私宛の遺書には長年の付き合いへの感謝と、見舞いの礼とが彼らしい文体で丁寧に綴られていた。
それから夏の終りを迎えるたび、死にかけの蝉を見かけるたび、私は、彼の最後の笑顔を思い出さずには居られない。