その男子の名は、永野すばる。
新しい彼女は、純粋に私より、かわいかった。
「……誰とも、付き合ってないよ?」
『私が彼氏だと思っていた人』は、私の聞こえるところで、そういった。それも、告白した翌日に。
『一緒に帰ろう』と返事をもらい、 ウキウキの気分でそのまま付き合うのだと思っていた。でも私だけだった。要するに昨日、私は『私が彼氏だと思い込んでいたクラスメイト』と、ただ手を繋いで一緒に帰っていただけらしい。そういえば、明確な返事はもらってない。そんな線香花火のような、1日経たずに終わる、はかなく散った薄い関係性だった。
大事なことなので繰り返すが、『新しい彼女・桜井さん』は、かわいかったからだと思う。私なんて比にならないほどに。昨日の告白はなかったことにされたのか、捨てられたと思うべきか。どちらにせよ、私はとにかく終わったのだと、そう認めた。
悔しい、悲しい、切ない、泣きたい、を全部ごちゃごちゃに混ぜた――私の心の中を投影するように、その日はどんよりと曇っていた。
ただただ茫然と学校の屋上で一人になりたくて、風を浴びるためにフェンスのそばで突っ立っていた。そんな時だった。
「奇遇ですね、あなたも死ぬつもりですか」
背後からの声に、振り向いた。
声をかけてきたのは男子高生で、色々な意味合いで酷かった。モサッとした髪の毛に、くっきりとした丸い黒ぶちメガネ、ニキビだらけで背中を丸めて。――極めつけは、私以上の世界中の不幸を凝縮して煮詰めたような辛気臭い顔の人物が立っていたのだ。
「……別に死ににきたわけじゃないけど」
「そうですか、じゃあお先に」
彼はフェンスに手をかけ、さすがに一瞬だけ、私は声を失った。
「ちょ、ちょっと!?」
「死なせてください!」
「はぁ!?」
「俺は、フラれて、もう生きる術を失いました! この世に心残りはありません!」
よくわからない絶叫をされ、私は止めるべく、ぐいと後ろから羽交い絞めし男子高生を引き戻した。
「……奇遇ね、あなたもフラれたの? でも死なないで! 少なくとも今は! 私がいなくなった後なら、落ちようが死のうが何でもいいから!」
「なんですか、それ! あなたの都合なんて、知るわけないでしょう! 俺は、今、死にたいんですよ!」
私が力をこめ引っ張ると、男子の手はフェンスから離れ、2人で屋上にどさりと倒れ込んだ。
「ハァ、ハァ……ちょっと、あなた……な、なんのつもりですか!」
「それはこっちのセリフよ! 私だって、ただでさえフラれて落ち込んでるのに、さらに目の前で自殺って……気分が悪くなるから、後にしてッて言ってるの!」
「……ええ……?」
お互いの息を整え、男子は袖で口元を拭った。
バチっと目が合い、誰だかここでようやくわかった。ああ、永野くんだ。
「矢崎さんですか。去年、同じクラスでしたね」
その通り。去年、近くの席ではあった。今は別のクラスだ。
「それより、その……、矢崎さんも、フラれた、っていってましたよね? なんでフラれたんですか」
「それは……どういうべきか……わからないけど。とにかく新しい彼女が、可愛かったからよ……」
永野くんは私をじっくりと眺め、ああなるほど……というような、視線を送ってきた。確かに仕方ないだろうなコレではと、いわんばかりに。
「それより、永野くんは? 誰にフラれたのよ」
「俺は……同じクラスの木原さんにです」
「ああ、あの子ね」
木原さんという女子も過去に同じクラスだった。それなりに明るく可愛かったような感じはあったけれども、グループは別で、ただ、少し私としては性格が合わなかったので、あまり知っている訳ではない。
「木原さんとは……委員会が一緒だったんです。いつも話してて気が合うな、って思ってて……好きでした。でも……『永野はダサいから無理。ほんと無理』っていわれて……」
「それは……」
確かに永野くんは、ダサい。
控えめにいって、相当にダサい。
でも、さすがに、気の毒に思う。
「明日から、木原さんに会うのが気まずいです。だから……もう……」
永野くんはもう一度フェンスに手をかけようとしたので、ぐいっと思いっきりシャツを引っ張った。永野くんはよろめいて床に倒れ込み、私を驚いた顔で見上げてきた。
「だから! どうして止めるんですか!」
「待ってよ! よくよく考えたら、そんなことで死ぬなんて、バカバカしいじゃない。それなら……もっといい方法があるじゃないの」
「もっと、いい方法? なにをするつもりですか」
「復讐よ」
「不穏なことを」
「正当性のある、復讐よ。要するに見返して、やるの。私たちがお互いを褒め合って――、あなたをかっこよく――私をかわいくすればいいのよ。ええと、良いアドバイスをしあって! つまりはっ……私を、私たちをフッたことをアイツらに死ぬほど後悔させてやるのよ!!」
きっぱりと言い放った私を、永野くんは見上げてくる。私は、応えるようにじっと永野くんの顔を覗き込んだ。私の中に問いかけるように、何より私自身にも言い聞かせるように、さらに強くいった。
「……永野くん。そんなこといわれて、悔やしくないの? 見返したくないの?」
「……それは」
彼の声は、震えていた。やがて、目に、涙を、いっぱいためて、永野くんは……
「はい……すごく、悔やしいです」
と、袖で顔を隠し、声を押し殺して泣いた。