8 不思議な公爵邸へ(3)
「さぁ諸君。
この度、数時間だがこの屋敷を預かることになったアリスだ。よろしく頼む。」
私の挨拶に全員が神妙に礼を返す。
私はそれに頷きで返し、皆の方をしっかりと見る。
「まずは各責任者は大雑把でいい。
サールンが生まれるまでの1日の仕事の流れを書き出しムールに提出。
それ以外の者はまず、各自持ち場の掃除、手入れ等を行なって欲しい。
おそらくどの場所も掃除が満足にできていないはずだ」
私の言葉に気まずそうに顔を俯ける使用人達に私は苦笑いをしながら言葉を続ける。
「皆がサボっていたなどとは思っていない。
今まで不自由な思いをさせてきた。
サールンが泣こうが喚こうが大丈夫だ。
思う存分仕事をしてくれ」
「「「「「承知いたしました」」」」」
「私は執事と話し合いののち、各場所を見学させてもらう。
その際にサールンと乳母を同行させるので、その都度細かい注意点などは伝えよう。
そして各責任者にはその後呼び出しをするので全員でミーティングだ。」
「「「「「承知いたしました」」」」」
「それでは解散!」
私の声に一斉に各自担当部署に散っていく使用人を横目に残った責任者をムールに託す。
私はチーシャを連れてサールンの様子を見に行った。
「お嬢……。俺はもう驚かないっす」
「何をだ?」
「お嬢が何をしようと……」
「まぁその覚悟は大事だな」
私とチーシャはあらかじめムールに聞いていたサールンの子供部屋に歩いた。
屋敷の中は少し埃っぽいものの、なんとか見える範囲では掃除を行なっていたという努力は見える。
サールンとトゥーニャのため。
できるだけ物音を立てずに保てるギリギリのところで掃除も行なっていたのだろう。
妻を亡くしたトゥーニャの思う通りに必死で慣れない子育てをしていたはずだ。
大事な妻の忘形見を自分がどうにかしなければと頑張っていたトゥーニャを使用人達も見守っていたのだろう。
この屋敷の使用人達が主人思いである事は良く分かった。
問題は使用人ではなく、トゥーニャにあることも。
もちろん細かい注意点はあるだろうがそれはまた別の話だ。
私とチーシャはサールンの部屋の扉をそっと開く。
すると乳母とご機嫌に遊ぶサールンの姿が見えた。
チーシャはさっそく、サールンと遊ぶためにサールンに近寄り、ぬいぐるみを使って遊び始める。
それを、我が子を見るような目で優しく見守る乳母に声をかけた。
「乳母殿。少し話を聞きたい」
「もちろんですわ。アリス様」
「まずは今までの様子を教えてくれるか?」
「はい。お任せください。
まずはサールン様は現在3歳になられました。
赤子の頃はまだ私の乳が必要だったため、日に何度も私のところにトゥーニャ様がサールン様を連れて来られていました。
奥様を亡くされてからトゥーニャ様はサールン様が、自らの視界に入らない場所におられる事が怖かったのだと思います。
サールン様がお乳離れをされてからトゥーニャ様は、書類とサールン様を抱え必死に過ごされていました。
最初のうちは何度も『お預かりしましょうか』とお声掛けさせていただいたのですが……。
その度、顔色を悪くされるので……」
「なるほどな」
私は乳母の話を聞いて思案する。
私もサールンと同じように母を子供の頃に亡くしている。
私の場合は父が屋敷の者も巻き込んで私を育てていたのを知っている。
父は慣れない事に困りはしたものの、しっかりと周りを頼る事を知っていた。
しかしトゥーニャは周りに頼れず、常に視界の中にサールンがいなければという恐怖観念に囚われてもいたのだろう。
「サールンの1日の流れはトゥーニャしか知らないのか?」
「いえ。一応……なんとなくではありますが把握しております。
サールン様が泣いたりぐずられたりするたびにトゥーニャ様は大騒ぎでしたので」
「では今後は昼寝の時間などもそろそろ固定させるようにした方が懸命だな。
そして抱っこばかりではなく外に連れでたり、屋敷の中を散策させたりする時間も必要だ。
人見知りはしないようだから、この生活にもすぐ慣れるだろう」
「はい。おっしゃる通りでございます」
チーシャの尻尾を追いかけて、立ち上がったり少し歩いたりはしているが3歳にしては歩行に不安が見える。
おそらく怪我を恐れてトゥーニャが抱き上げている時間が長かったのだろう。
「サールン。お外にお散歩にいくぞ」
私の言葉はなんとなく理解しているようでキャッキャとはしゃぎ出した。
「乳母殿、サールンと屋敷内を見学する」
「ご同行させていただきます」
廊下などには絨毯が敷き詰められているので、サールンがこけたとしても怪我はしないだろう。
立ち上がったチーシャの手の指をギュッと握ってサールンもゆっくりと立ち上がる。
「なんだ? チーシャ懐かれたじゃないか」
「子供って初めてなんすけど、おもしろいっす」
可愛いではなく面白いという感想がチーシャらしい。
面倒見もいいようでサールンに負担がないように腰を屈めるチーシャ。
サールンが歩きやすいように握られた指をそのままに、こちらに向かって歩いてくるチーシャに思わず微笑む。
「いい父親になるな」
私の言葉に顔を真っ赤にさせるチーシャ。
「お嬢。それは殺し文句っす……」
と呟きサールンの頭を誤魔化すように撫でるチーシャに笑いが込み上げた。