良心は痛み、愛情はない
その人物は、どこかで見たことがあるようなないような、そんなことを思わせる顔立ちだった。すれ違ったことくらいはあったのかもしれないが、多分ないのだろう。あったとしたら、きっと忘れることなどできやしないだろうから。
「あ、そうだにゃん。牛乳買ってくるにゃん」
急に鉄子は立ち上がって、牛乳を買いに行ってしまった。ネズミ君は支えを失って、青い顔のままテーブルに突っ伏した。
視線を妙子に戻すと、彼女の行く先で、人混みが自然と割れていく。みんな何かを避けているようだったが、それは何かすぐにわかった。
犬がいる。
それも一匹ではない。一、二、三。三匹もいる。あれは柴犬かな?クリンとカールした尻尾がかわいらしい。三匹ともそっくりで、見分けが付かない。
その三匹の柴犬を引いている人物が、妙子にピッタリと寄り添っていた。
ファンタジア学園の青いブレザー。恵まれた高身長。天然パーマのような、モジャモジャの髪。そして一度見たら忘れないであろう、濃い顔。逞しく通った鼻筋、彫りの深い大きな目。日本人というより、西洋人のような。
そうだ、思い出した。歴史の教科書に載っていた、ミケランジェロのダヴィデ像そっくりだ。だから見たことあるような気がしたのか。
ただ、ダヴィデ像は真っ白けだが、彼はいやらしく日焼けしていた。見た瞬間、こいつ女ったらしだな〜、という印象が僕を捉える。
そいつが妙子の隣にいるということが、妙に僕をイライラさせた。
心の中で複雑な感情が渦巻いていると、二人は僕たちのテーブルに到着した。
「ゆっ、勇者さんっ」
「妙子さん、どこ行ってたの?」
と言いつつ、自分でもワザとらしいなと思う。「こちらの方はどなた様?」って言うのが本来で、良心がチクチクする。明らかに彼にフォーカスするべき状況。それがわからない僕ではない。
「あっ、あのっ、鉄子さん、とっても変だったんで、助けを呼んできました」
チラッと彼の顔を見て、胸に視線を下ろした。教科書でダヴィデ像の写真を見たときは、しばらく目が釘付けになってしまったものだ。それなのに、あれに日本人男子高校生プラス日焼けをミックスすると、こんなにも落ち着かない感じになるのか。
胸のバッジは、猫の顔。妙子と同じ、幻獣使い科だ。ということは、この男は。
「はじめまして、勇者さん。僕は幻獣使い科一年の犬神佑と申します。妙子さんには、いつもお世話になっています」
キラッと、白い歯を見せてにこやかに笑った。
僕の思い込みかもしれないが、彼は「妙子さんにお世話になっている」という部分を強調したように聞こえた。
「詳しい話は野営実習のときに妙子さんからお聞きしています」
「あ、あの、犬神さんは、なんとかっていうお祓いの人みたいで。そ、それで、鉄子さんのことをお話ししたら、親身になってくださいまして」
「はい。なかなか混み入った話のようでしたので、昨晩夜遅くまでお伺いさせていただきました」
日本語の伺うには、聴くという意味と訪れるという意味がある。こやつ、ワザと意味深にしてるのではあるまいな。高校生が夜遅くまで男女で一緒にいるなど、けしからん。と、自分の行動を棚に上げる。
「オ゛〜ア゛〜、ンンン!エ゛〜ゥン!」
すると、妙子の胸に抱かれたままのゲンちゃんが、急に騒ぎ出した。
「だ、駄目!ゲンちゃん。今、勇者さんたち大事な話してるんだからっ」
慌てて嗜める妙子。それを見て彼は苦笑した。
「見ての通り、犬のにおいが染み付いているのでしょう。妙子さんの側に寄ろうとすると、いつもこんな感じで。昨日もお話を伺うのに苦労させられたんですよ」
そうか、そうか。それはそれは。ゲンちゃんナイスだ。
「ヌ゛ア゛〜、ア゛〜ァ、イ゛ゥ〜!」
「こ、怖くないよ?仲良くしよっ、ね?」
ゲンちゃんは三匹の柴犬に対しても威嚇を試みた。だが犬たちはまるで意に介するでもなく、潤んだ瞳で尻尾をフリフリさせていた。こっちの幻獣はウチの幻獣と違って、よく躾けられているようである。大体、飼い主の胸に抱かれながら威嚇するなど、横着にも程がある。
「えっと、お祓いをされるんですか?」
僕は少し勇気が出てきた。
「ええ。我が犬神家は、古より高知の山間部に伝わる呪法を修める陰陽師の家系。僕も物心つく前から、祖父より陰陽道のいろはを叩き込まれて育ったので、お祓いの心得があります。これは僕の相棒で、呪力を持った幻獣です。犬神流陰陽道では、犬を使って術をかけるのです」
はあ、そうなんだ。ナンパ用のペットではなかったんだ。でも、高知の山奥から来たというのに、土佐犬ではないのだろうか?
「このケルベロスは、幼犬の頃より我が弟と思って育てた幻獣でして。おお、ヨシヨシ、ケルベロス。いい子だ、いい子だ」
彼は屈むと、顔を綻ばせて、三匹の頭を順番に撫でていった。犬たちはそれに応えるように尻尾をフリフリして、桃色の舌で彼の手やら顔やらを舐めた。
僕も屈んで、恐る恐る手を差し出してみる。犬たちは最初、警戒するように僕の手のにおいを嗅いでいたが、すぐにペロペロと舐め始めた。頭を撫でても、噛んだりしない。
人懐っこくてかわいらしいなぁ。
「かわいいですね。どの子がケルベロスですか?」
と聞くと、彼は急には答えられない質問をされた人のような顔になった。
「どの子?」
「ええ。みんな良く似ているので」
「みんな、とは?」
キョトンとしていると、彼は疑問が解けたような表情を見せた。
「ああ、これは失敬。ケルベロスは、三つの犬の頭を持った幻獣なんです。頭は三つありますけど、その一つ一つにそれぞれ名前が付いているのではありません。全体でケルベロスなんです」
…。
はい?
全体でケルベロス??胴体も三つありますけど???
「ケルベロスは、俗に三頭の犬なんて言われますね」
いえ、犬が《《三頭》》おりますが?
「アッハッハ。こら、やめんか、ケルベロス。くすぐったいなぁ、ケルベロス。まったく、ケルベロスったら。いつもと違う人がいるものだから、ケルベロスが興奮しているようです」
ケルベロスは構ってもらいたいのか、彼にじゃれ続けた。
確かに三匹の区別は付かないけど。
普通、個体ごとに名付けると思うんだけどね。ペットを飼うような人ならば。
ケルベロス…。愛情が足りてないんじゃなかろうか。
「妙子さんのお話から察するに、その鉄子さんという人には、化け猫が憑いていると思われます。なあに、そいつがどんな奴だろうと、ケルベロスの顔を見れば尻尾を巻いて逃げ出しますよ」
当のケルベロスは、巻き尾をクリクリさせて飼い主に甘えていた。かわいいのう。




