魔界に寛ぎはあり、聖女はいない
翌日、ザビエル暦五月第二週三日目。
いつもと同じ、マタドール先生のハイテンションな授業を終えて、僕はノブさんの酒場へと向かった。
戦士科と武闘家科合同の野営実習を終えた鉄子は、既に帰ってきているはずだった。
入れ違いに行くのは、僧侶科と魔法使い科。その次の日は、ネズミ君の盗賊科と妙子の幻獣使い科。それに羊飼い科も加わる。幻獣使い科と羊飼い科は、生徒が少ないのである。
遊民科、踊り子科、吟遊詩人科、旅芸人科は、翌週の頭に一緒くたである。これらの科は、みんな合わせても他の日より少ない。
ちなみにレンジャー科の生徒は、別のサイトにて一週間連続サバイバル実習の最中である。一泊二日の野営程度では、彼らの訓練にはならないのだろう。駿野伏男君は、レンジャー科に落ちて良かったと言える。
レンジャーを除けば、一つだけ単独なのを見ても、勇者科は特別扱いされているのがわかる。
戦士科と武闘家科は生徒数が多いから、あそこで一度にキャンプするのは、ごった煮状態だったろうと想像する。
校舎一階のロビーを抜けて、食堂へと急ぐ。ロビーは、人でごった返していた。
「無学君」
声をかけられた方を見ると、闇野あかりさんがいた。
彼女とは、野営の最後に少し言葉を交わした以来だ。なんだか、変に緊張してしまう。
なるべく意識しないようにしよう。あれは何でもなかったんだ。単なるクラスメイトさ。今までぼっち過ぎたから、免疫がないだけだ。
「や、やあ、闇野さん」
いかん。完全挙動不審体。
闇野さんは、彼女より少し背の高い、髪の長いおっとりとした少女と一緒だった。美人だけど、親しみやすい感じ?クールビューティな闇野さんと違って、ホンワカした女の子である。
胸は、結構デカい。割と肉感的なタイプ。じゃ、なかった。胸のバッジは、十字架。
「無学君、この子、私が言ってた僧侶の子」
「はじめまして。僧侶科一年の寛木なごみです」
と、丁寧に自己紹介してくれた。軽くお辞儀をすると、ダークブラウンの長い髪がサラサラと揺れて、ふんわりと花の香りが漂った。
「こ、こちらこそ、は、はじめまして」
意外にも癒し系である。この子が闇野さんの親友なんだろうか?魔界系の彼女とは対照的だ。いや、それよりも気になることが。
「あ、あれ?僧侶科って、今日じゃない?」
僕は闇野さんを見て言った。タイプは違えど、どっちも美人。なるべくドキドキしない方を見るとする。肉の関係である。
「うん。その予定だったんだけど、トラブル発生で、延期になったんだって」
「トラブル?って、戦士科とかで?」
「なんか、台風が通過した後のようにサイトがぐちゃぐちゃになったんだって」
台風の後?何があったんだろう。
「そうなんだ。パーティに戦士科の子がいるから、聞いてみるよ」
と、急ごうとしたとき、呼び止められた。
「あ、無学、さん」
寛木なごみさんだった。少しビブラートがかかった声。耳に心地いい。1/fの揺らぎだったっけか。
「何?」
「あの、無学さんの顔に」
髪と同じ色の瞳で、じっと見つめられる。ド、ドキドキ。
だが闇野さんが僕に好意を寄せてくれているとすれば、彼女の前で寛木さんに心動かされるような素振りは禁物。クールに、クールに。
「顔に、何か?」
「女難の相が出ていますわ」
じょ、女難?
「あ、この子、霊感があって。占いとか得意なの。キャンプの夜にも言ったけど、無学君、変なもの引きつけちゃうから。気をつけて」
なんか、そういえばそんなこと言われた。
「私も気をつけて見てるけど」
闇野さんは、ほんのり顔を赤らめた。もう引きつけてしまったんじゃあるまいな?
「じゃ、じゃあ、僕はパーティのところに行くから」
「あ」
行きかけた僕を、闇野さんが止めた。
「私も、一緒に行かなくていい?」
「え!?!」
僕はキャンプの夜のように、またドギマギしてしまった。寛木さんを見ると、口に手を当ててクスクス笑っている。
「パ、パーティのところだから」
な、なんなんだ!?
女難って、このことじゃないだろうな?この子たち、僕を揶揄って面白がってるんじゃないだろうか。美女の暇つぶしという言葉が脳裏に浮かんだ。
そのとき、ロビーの玄関の方がザワザワした。
「あ、皆さん、お帰りですわよ」
寛木さんに言われて、見ると、ロビーの人混みが大きく動いていた。まるで中央突破してきた猪の群れを避けでもするかのように、塊が左右に裂けていく。
「うわあ」
高校生にしては立派な体格をした戦士科と武闘家科の生徒たちが、傷だらけのボロボロで帰ってきた。テントの幕を担架代わりに使い、負傷した者を運んでいる。
一体、どうしたっていうんだ?何があった?やはり猪の襲撃にでもあったのだろうか?それとも、熊が出たのか。
それにしても、これじゃまるで、イギリス軍にコテンパンにされたフランス兵士だよ。彼らにジャンヌ・ダルクは現れなかったのだろうか?
一際大きな、ジャイアント汎田先生が、肩を丸めて歩いていた。背中に背負っているのは、行くときと同じで、大きな酒樽。
その周りにいる子たちは、見たことがある。女子生徒が4人、鉄子軍団のメンバーだ。皆一様に沈鬱な表情をしているが…。
彼女たちの一人が顔を上げた拍子に、目が合った。おかっぱ頭の、眉毛のない子だ。頭に巻いた包帯から、血が滲んでいる。
その子は僕に気づくと、悲しそうな微笑みを向けて寄越した。
心臓がドキッとする。暗い不安がよぎった。
鉄子の姿が見えない。どうした?彼女たちの中心で馬鹿でかい声を張り上げているはずじゃないのか?鉄子はどこにいるんだ?
「熊でも出たのかな」
闇野さんの口から不吉な言葉が出た。そういう台詞はせめて寛木さんの口から聞きたい。そうしたところで事実が変わるわけではないのだろうけど。
おかっぱ頭の子は、ジャイアント汎田先生に何やら囁いた。先生は大きく頷くと、僕に向かってやってきた。
女難の相…。さっき言われた言葉が、頭の中をグルグルと回る。
先生は僕の目の前で足を止め、ドンと、背負っていた樽を下ろした。
中には、セーラー服の少女が一人…。