肉は口惜しくて、任務は秘密
「うん、うまいねこの肉。君、エビはどうだい?あ、辛いの平気だった?僕は辛いのが好きだから、多めにコチュジャン入れちゃったけど。ちょっと味見してみていいかな。うん、なかなか刺激的だね」
食事を交換するとか言っていたのに、位置関係はこうなっている。駿野君は自分のテントの前で自分の椅子に座り、その前に調理台と焚き火がある。僕はその隣で地べたに座り、白米が入ったクッカーを抱えている。
甘エビのユッケも、焼肉も、彼の前にあって、彼の箸を受け入れている。
「君、箸を持ってきていないだろう。さっき作ったスプーンだけど、使うかい?」
「あ、ありがとう」
ようやく僕は、本日の夕食にありつけた。
「僕、連休中にもパーティのメンバーとキャンプに行っていたんだ。実はね、甘エビのユッケは、そのとき魔法使いの女の子に教えてもらったんだよ」
へえ。楽しそうじゃないか。
「その子は料理が得意なんだ。だから色々と凝ったものを用意してたんだね。でもレンジャー科の子たちが、そうじゃないって言い出して。あ、僕のパーティは、レンジャー二人に、魔法使いね」
僕は手を伸ばして、スプーンで焼肉を取ろうとした。だが、肉は少し横にいざっただけだった。
「こんなこと、君だから言うんだけどさ」
僕だから?今日が初対面と言ってもいいけど。勝手なイメージを持たれても困るぞ。もしかしたら、凄く口の軽い奴かもしれないんだぞ。
「そのことが原因でね、気まずくなっちゃって。せっかく楽しくキャンプをしようと思っていたのにね。キャンプ観っていうのかな。どうもそれが違っていたみたいだ。僕は楽しさと快適性を求めていたけど、彼らは厳しさとサバイバルを求めていたんだよ。僕が魔法使いの子を庇ったのも、彼らには面白くなかったみたいだな。僕も、つい感情的になっちゃって。うっかり酷いことを言ってしまったかもしれない。彼らも売り言葉に買い言葉で、僕にはサバイバルは無理だって吐き捨てて、帰っちゃったんだ。あはは、ごめん。こんなこと聞かされたって、困るっていう顔をしているね」
ごめんと言われても、君が撃った弾はもう当たっちゃってるぞ。
駿野君はユッケの器を手に持って、口に流し込むようして食べた。
僕は結局、ユッケの味を知らずじまいだった。
「肉、焦げるよ」
彼はさっき僕がスプーンですくえなかった肉をヒョイと箸でつまむと、大根おろしをたっぷり乗せて食べた。
「モグ、モグ、うん、うまい。君と一緒で良かったよ。彼らの言うことも、今なら分かる気がするな。僕はこれでパーティを終わりにしたくはないんだ。また彼らに会ったら、よく話し合ってみるよ。駿野伏男はもう以前の駿野伏男じゃないってところを見せてやるぞ。君、レモン使わないようなら、僕が貰っていいかい?」
なんか、根本的に違うような気がするな。話し合ったところで、うまくいかない気がするけど。
しかし結局、僕は焼肉の味も知ることはなかった。
「ふう、食った、食った。じゃあ、僕は朝食用のピザの仕込みに取り掛かるから、テントは君が自由に使ってくれたまえ。ハーモニカを吹いてもいいかい?」
「う、うん。僕もう寝るよ」
「ああ、おやすみ。そのテントの寝心地にびっくりするなよ」
彼は白い歯を見せて自慢げに笑った。
僕は毛布を持ってテントに入り、入り口を閉めた。
クゥ〜、焼肉!くれるんじゃなかったのか。
あー、食事の相手は選ぶべきだな。ネズミ君のマイペースは気が楽だけど、彼のマイペースは気疲れする。
その後、しばらくペッタンペッタンという、生地を捏ねる音がしていた。それが終わると、駿野君は場所を移動したのか、遠くからハーモニカの音と、ギターを弾く音が聞こえてきた。板東さんとセッションしているってわけか。
やがてその音も消え、隣でゴソゴソと、寝袋に入るらしき音がして、すぐに寝息の音しか聞こえなくなった。
ふう。やっと静かになったか。
寝てしまおう。焼肉のことは忘れよう。テントで寝れるだけでも、有り難いじゃないか。
けれど、僕は疲れているはずなのに、目が冴えて眠れなかった。
テントがかえって快適過ぎるからなのか、それとも肉を食えなかった悔しさか。いずれにせよ、慣れない環境が興奮を引き起こしているようだった。
もうみんな寝たのかな。今、何時だろ。僕は腕時計なんか持っていない。
ああ、5月でも、樹海の夜は冷えるな。
そのとき、とある筋から任務を受けて、僕は身を起こした。
寒い。
ウールのセーターを着ると、静かにテントを出た。有り難いことに、焚き火の火はどこにも見えない。任務は秘密裏に実行されねばならない。
樹海の夜はほぼ真っ暗だ。星明かりを頼りに、足音を立てないように進んでいく。
もうそろそろ宿営地の端だというところで、僕は立ち止まった。
この辺にするか。樹海の奥までは行きたくない。
僕は両手両足をセットして、任務の遂行に取り掛かった。
ジョボ、ジョボジョボジョボジョボジョボ。
ブルブルッ。
ふーっ。
誰にも見られてなかったろうな。
さて、任務完了。快適なテントの中へ帰るとするかと、戻りかけたときだった。
「無学君」
「ひぃっ!」
急に声をかけられ、狼狽える僕。しまった。家に帰るまでが任務だった。
振り返ると、漆黒の闇に、ボウっと浮かび上がる、青白い女の顔。
「あ、あ、あ。あっ、あっ、あっ」
で、出た!出た!出たぁ〜!!
「私。闇野あかり」
「あ、あ、あ、あ、アカリ・ヤミノさん!?」
僕はそのとき唯一口蓋を震わせていた恐怖に慄く音に、無理矢理体裁を繕わせた。もちろん、日本人だったらそんな言い方はしない。
僕は、オバケじゃなかった安堵感と、今のを見られたかもしれない恐怖感とで、感情の落ち着きどころを失っていた。
「無学君も眠れないんだ。私も一緒」
闇に浮かび上がる少女の顔は、これから始まる残酷な宴の予感に満ちているように見えた。
「ま、まだ起きてたんだ。な、何をしていたの?こんな時間に」
乾いた喉で必死に言葉を絞り出す。すると、冷たい顔に、クスッと笑みが浮かんだ。
「無学君って、なんだか面白いよね。まだ10時を過ぎたところよ」
え、まだそんな時間?
「喉、乾いてるわよね。お茶でも飲まない?」
え?
「そこ。私のテント」
すぐ側に、彼女の濡れた烏の羽のような、漆黒のテントがあった。
近っ。気付かなかった。
「私、焚き火まだ消してないよ。あったまろっ?」
ぐるりと回ると、オレンジの炎がチロチロと燃えているのが見えた。
クッ、不覚。漆黒のテントに隠されて見えなかったのだ!
任務を遂行していたことがバレたかと思うと、カーッと顔が熱くなるのを感じた。