樹海の飯は味気なく、夕食は驚愕
全員がテントを張り終えた頃には、もうとっくに昼食の時間を過ぎていた。
みんな朝に購買部で買ったお弁当を持ってきていて、おにぎりやらサンドウィッチやらを食べた。
「外で食べるご飯は美味しいね」
誰かがそんなことを言ったのが風に乗って聞こえてきた。だが、パンの耳は外で食べても味気ないことに変わりはなかった。
玉音銀次郎は馬車に積んだキャンプ用電子レンジで、スパゲッティを温めていた。
腐葉土と陰性植物のにおいに不釣り合いな、煮えたオリーブオイルの香りが、不愉快さを増幅させた。
駿野伏男君は小型のカセットガスコンロで、インスタントラーメンを作っていた。コンロはそのままでも十分小さいのに、さらに小さく折り畳めて持ち運びに便利だという。箸もネジで組み立てするようになっていた。そこまでしなくてもいいのに、と思ってしまう。
昼食の後は、なんとなく過ごした。宿営地を外れるのは、なんだか不気味だし、かと言ってすることもない。
板東組代さんが、ギターをポロンポロン奏でていた。楽器なしで過ごすことは、片時も考えられないようだった。
駿野君は、落ちていた木をナイフでせっせと削って、スプーンを作っていた。だったら箸も削ればいいのにと思ってしまう。
急に、マタドール先生が藪の中から現れた。姿が見えなかったのは、樹海で狩りをしていたからだったようだ。大きな鹿を取り逃がしたと言って、残念がった。代わりに獲ってきたのは。
「ギャーッ!!や、め、て、よ!もぅーっ!!!」
寒頼楓先生の、凍えるような悲鳴が樹海に木霊した。
マタドール先生の虫籠には、何匹かの蛇がニョロニョロと入っていた。
「そ、そんなもの、持って来ないでよぉ!」
「怖がることはありまセニョリータ。蛇は精が付きます」
食べるのか。
夕刻近く、生徒たちはある課題に挑戦した。火打ち石で発火させて、焚き火を起こすのだ。
着火材と薪が配られ、先生から渡された火打ち石が順番に生徒たちの間を回る。割と簡単につけられる生徒、苦労する生徒、色々だった。
駿野君も火打ち石は初めてのようで、なかなか苦戦していた。
僕も初めてだったが、これが意外と簡単に出来てしまった。
ただ、簡単に出来過ぎて、どうやって火をつけたのか、よく思い出せない。もう一度やってみろと言われても、おそらく無理だろう。
ううむ。訓練の意味がない。まあ、異世界に行くまでは必要ないからいっか。
火打ち石が生徒の間を一巡し、小さな焚き火が人数分出来上がった。日の落ちるのが早い樹海にオレンジの炎がメラメラと揺れて、なかなか情緒のある風景である。キャンプに行きたがる人の気持ちが少しだけ分かったような気がした。
「異世界じゃ魔法で火ぃつけりゃいいんだから」
とかなんとか言って、仏頂面の玉音がいち早く焚き火を消した。そしてそのままキャンピング馬車にこもって、出て来なくなってしまった。しばらくして、レンジの、チーンという音が聞こえた。まったく、情緒を介さない奴である。
マタドール先生はテキパキと蛇の皮を剥いて、串に刺して炙り始めた。異世界でサバイバルするためには、このくらいの野生が必要なのかもしれない。
寒頼楓先生は、なるべく距離を取ったところに座っていた。
駿野君も夕食作りに取り掛かった。まずは、リュックから折り畳み式の調理台をいくつも出して、几帳面にセットした。次に小さなまな板に小さな果物ナイフ等、調理に必要な器具を並べる。調味料は種類別に小分けされて小瓶に入っていた。陶器のお皿は、丁寧に発泡スチロールの保護剤で包まれている。
焚き火にオーブンスタンドを被せ、その上に、あらかじめ米を入れたあったクッカーに、水を必要量注いでセットした。米は出発前に軽量して入れてきたらしい。実に用意のいいことだ。
今度は、サイドポーチのクーラーボックスから、タッパに入った甘エビを取り出す。殻はあらかじめ剥いてあった。そこにコチュジャン、醤油など、各種調味料を混ぜたら、陶器の器に盛り付けて、生卵の黄身を落とした。更に白ゴマを振り、小ネギを小口切りにして散らす。
次は、あらかじめ手頃な大きさに切ってきた大根をおろし、焼肉のタレ作りに取り掛かった。小皿を並べ、レモンを絞り、ニンニク醤油を入れた。
肉はどうするのだろうと思ったら、スーパーで買ったままのパックに入っていた。焼肉用と書かれたラベルが貼られている。
肉を切るとか言っていたが、彼がナイフで切ったのは、パックを覆っていたラップだった。指で剥がせばいいと思うのだが。
さらにリュックから小さなグリルを出して、それを組み立てた。このリュックには、実にいろんなものが入っている。異世界の人の目には、きっと魔法のリュックと映るだろう。ライターでグリルに火を入れると、肉を焼き始めた。
…焚き火で調理するんじゃなかったのか。
僕はちょっと呆れてしまった。他の生徒の様子でも見るとするか。
独出君は焚き火に飯盒をかけ、竹筒でフーフー息を送って火を煽っていた。
浅野君と吉良君はお揃いのクッカーでご飯を炊き、揃ってカレーを作っている。
駿野君が昼に使っていたような、小さいコンロを持ってきている生徒も多い。板東さんはそれにフライパンを乗せて焼きそばを作っていた。
王さんはスナック菓子と炭酸ジュース。どういう食生活だ?
玉音銀次郎は愛馬オニオンヴルーテにニンジンをあげていた。馬車と言っても、楽なことばかりではないようである。
僕もそろそろお腹が空いてきた。バッグからパンの耳を出して齧るとするか。しかし、隣で焼肉をしているとなると、いつにも増して侘しさが募るな。
「ねえ、無学君。僕、ちょっと思いついちゃったんだけど」
駿野君が言った。
「もし、良かったらでいいんだけどさ、今日は君と僕を交換してみないか」
うん?何を言い出すんだ?
「僕、こう見えて君みたいなキャンプにね、憧れるところがあって。一晩だけでいいんだけどさ、夕食とテントを交換しないかな」
「どういうこと?」
「つまり、君が僕の夕食を食べて、僕が君の夕食を食べる。今晩は君が僕のテントで寝て、僕は外で寝るってこと」
「え、ということは?」
「もし君が焼肉や甘エビが嫌いでなければっていうことだけど」
え、え、え、え、えーーーー!!
こ、この人、正気か!?
「べ、別に、いいけど!?」
そう言うと、駿野君は少年のようなキラキラした笑顔を見せた。
「うわぁ、ホントに!?悪いね。迷惑じゃなかった?」
め、めめ、め、迷惑だなんて、滅相もございません!
うあー。一体どういう風の吹きまわしだ?ほ、ほ、ほんとにいいのか!?
僕はジュージュー焼けている肉を見て、ゴクリと唾を飲み込んだ。
炊きたてのご飯を駿野君から受け取る。い、いいにおい!あったかい!
駿野君はパンの耳を嬉しそうに眺めた。
「これ、これ。これだよね。これこそまさに本来のキャンプだよ。うん、ボソボソして食べにくいね。キャンプってのは不自由なものだな」
「あ、無理だったら、いいよ。まだご飯に手を付けてないし」
「おや?君は僕にはこういうキャンプは無理だと思っているかい?それはちょっと駿野伏男を見縊り過ぎだよ。心配ご無用。僕にだってサバイバルは可能さ。えっと、君、ジャムとか付けない?付けないんだ。ジュース飲むけど君は?いらない。そう。あ、ちょっと肉を貰ってもいいかな」
ど、どうぞ。無理をなさいませぬよう。