自然は遠くて、勇者は煩悶す
「僕はねえ、自然の中に身を置くのが大好きなんだ」
宿営地までの道すがら、僕は駿野伏男君と並んで歩いた。
「文明の中で生活して、文明に囲まれていると、本来の自分を見失ってしまうような気がしてね。時々こうやって、身一つで自然の中に溶け込む。そうすると、失われた自分の一部を取り戻すというか、大袈裟だけど、母親の胎内にいたときのことを思い出せるような気がするよ」
もし仮に母親の胎内にいるときに意識があったなら、僕はきっとあの世に戻っただろう。こんなに苦しみを背負うと知っていたら、産まれてはこない。
駿野君と話しているうちに、彼は京都の出身だということが分かった。街中の観光客が多い地域に実家があって、その反動なのか、自然に対する憧れが強いという。
幼少の頃は、気が付いたら大文字山に登っているような子供(どんな子供だ?)だったそうで、中学生になってからは、週末に関西のキャンプ場を一人で回る生活をしていたそう。
異世界を目指したのは、最早現実世界にはなくなった、手付かずの大自然を堪能したいから、ということだった。
「琵琶湖の周りをロードバイクで一周したときは楽しかったなあ。テントと寝袋を荷台にくっ付けてさ。同じように自転車で日本一周してる大学生の人たちに出会って、朝までキャンプファイヤーをして騒いだっけ」
ふうん。傍迷惑な。
ロードバイクか。金持ちの道楽だな。
「君、大荷物だね」
「大荷物?今日は少なめにしておいたよ。一応、学校の授業だしね。レジャーに行くわけじゃないから。薪ストーブとハンモックは持ってこなかった」
ストーブとハンモックが同じ文章の中に出てくるとは思わなかった。一体どこの国の人だ?
「それに、最近のテントは丈夫で防水性も高い上に、コンパクトにまとめられて、嵩張らないんだ。このザック、いいだろ?軽いし、無骨な風合がたまらないよね。サイドポーチがクーラーボックスになってるから、生ものを入れても安心だしさ」
「な、生もの?」
「ナイフで肉を切って、焼く。そんな単純なことでも、自然の中で食べると普段の何倍も美味しく感じるものなんだ。まさに自然が調味料を加えてくれるって感じだよね。タレはレモンとニンニク醤油だけど、今日は大根とおろし金も用意してきた。甘エビの刺身はコチュジャンと和えて、卵黄を落としてユッケにすると美味いんだぜ」
「甘エビ?ご、豪華過ぎない?」
「夜だけさ。明日の朝はコーヒー豆を挽いて、夜のうちに仕込んでおいたパンでピザトーストを作るだけの予定にしてる」
豆を、挽く?パンを、何だって?ピザトースト?
「やだなあ。なんて顔をするんだい?そりゃちょっと僕の料理の腕には余るけど、多少焦げたって、それもまたいいものさ」
この人は一体何を言っているんだろう?
「君が気にするのも無理はないか。食事って、キャンプにおける最大の楽しみだからね。しかも焚き火で調理するんだから、思わず身悶えしてしまうよ。無学君は、何を作るつもりなんだい?」
「何って、パンの耳を食べるだけだけど」
そう言うと、駿野君は実に驚いたような顔を見せた。
「本当に?それだけ!?」
「う、うん」
「本当!?」
あ、あのね。そんなに食い付いてこないでくれる?ここで貧乏を蒸し返されるのも嫌なんだけど。
「本当だよ。パンの耳と水だけだ」
「テントは!?」
「毛布だけ持ってきた」
駿野君は驚きの表情から、キラキラした少年の顔になった。
「やあ、君、最高だよ!僕は嬉しいなあ。君みたいな、自然の素晴らしさを語り合える仲間に出会って」
いや、一人で感激しないでくれる?今までの会話で、僕は君との距離を感じっぱなしなんだけど。それこそ琵琶湖一周分くらいある。
「いやあ、今日はなんていい日なんだ」
そう言って、彼はポケットから銀色のハーモニカを取り出した。
「キャンプに必要なのは、大袈裟な荷物じゃなくて、気の置けない友人とたった一つの曲だけさ」
ファーファ、ファー、ファーファファ、ファー。ファーファー。
ファーファ、ファファー。ファーファファ、ファーファファファー。
富士の樹海に、陽気で切ないメロディが響いた。世の中にこれほど悲しい音があるだろうか?
やがて宿営地に着いた。先に到着していた玉音銀次郎が、寒頼楓先生と何やら雑談していた。目立つ生徒と先生の談笑はよくあることだが、先生が美人なだけに、何だか腹が立つ。
マタドール先生の姿は見えないが、どこに行ったのだろう。
駿野君を始め、他の生徒たちは、それぞれに場所を決めて、早速テント設営を開始した。慣れていない生徒が多いようで、自分のを素早く張り終えた駿野君が、順番に手伝ってやっていた。
「駿野君、シェイシェイアル。助かたアル」
小学生女子に人気のキャラクターをあしらった、パステルカラーのテントは王援歌さんである。彼女も、こういうことは苦手らしい。ま、彼女のパーティにはウィリアム照夫さんという、レンジャー科の人がいるから、自分でやらねばならないことはないだろうけど。
「駿野君、手伝ってくれてウケる」
てっぺんから髑髏が睥睨する、黒の三角テントは、板東組代さんだ。一応、これで感謝の意を表しているようである。
僕の前の席の、闇野あかりさんも手伝ってもらっていた。まるで濡れたカラスの羽のような、漆黒のドームテントが完成していた。
うーむ、なんだかなあ。なんかムズムズするな。
別に気があるとかじゃないけど、もし自分が彼だったらっていうことを考えてしまう。
僕も彼のような人生を送っていたら、こういうときに女子生徒と交流出来たんだろうか。
うえ、なんか、まるで賀茂野さんみたいだな。あんまり悶々とし過ぎると、ダンジョンに引きこもってしまうぞ。
僕が若き勇者の悩みに苛まれているうちに、全員のテントが張られ終わった。結局、駿野君は、ほぼ全ての生徒の設営を手伝ってやった。
独出進君だけは、自力でテントを張り終えた。そのときまだ張れていない生徒が大勢残っていたが、彼は誰かを手伝ってやることはなかった。大した男だ。




