近所は迷惑で、心付けは痛い
バシッと、間一髪、フライパンで火の玉を受け止めるマドレ。
だが、勢いは止まらない。
ダイハード打線の中軸を担った強打者の打球は、マドレの手からフライパンを弾き飛ばした。
ヒラヒラと後方に上がり、カアンと天井に当たってユラユラと落ちてくるフライパン。
落下地点には、坊やの頭があった。
ゴンッ。
一瞬の静寂。後、バースト。
「ああーーーっ!!ぉああああーーーーっ(泣)!!!」
頭にタンコブを作ったヒポポタマス・ニニョスは、ダンジョンが崩れるかと思うような大声で泣き始めた。
「ぅおーっ!うおーっ(泣)!」
う、うるせぇ〜〜〜!
ヒポポタマス・パドレは何かしようと立ち上がったはいいものの、何もできずにオロオロしている。
マドレも、僕らとの戦闘をそっちのけにして、ニニョスの元に駆け付けた。
「おああ、いああ、いあうえあ!」
母音だけの言語で必死に慰めようとするが、泣き虫坊やには効果がない。
「なんだよ、これ、うるせえな」
ネズミ君も耳を抑えて近づいてきた。戦闘はもう終了したのか?
「あ、あたし、別に子供を泣かすつもりはなかったんだけど!」
鉄子から、さっきまであった殺気のようなものが消えている。母性の強いタイプのスケバンには、子供の涙は堪えたか。
「あー、あー、ああーーー(泣)!!」
泣き叫ぶ子供。
パドレがガラガラを取り出して、あやそうと試みてはみるものの効果がない。いないいないバァをしてみても、余計に喚くばかりである。
見かねたマドレが抱っこして、揺りかごをしてやった。だが、一向に泣き止む気配はない。
すると。
「ミャーオーーーーーーーーーン」
「ゲ、ゲンちゃん!?」
「ミャーオーーーーーーーーーン」
「ゲンちゃんは、犬じゃないよ!?」
子供の泣き声に触発されたのか、ウチの幻獣が遠吠えを始めた。
「だあーっ!近所迷惑だっつーの!おい勇者、なんとかしろよ」
猫が吠えればネズミも吠える。なんとかしろったって、君は他力本願で羨ましい。
とはいえ、ここは集合住宅である。確かに近所迷惑も甚だしい。また口裂け女に怒鳴り込んで来られたら厄介だ。
「あ〜、ああ〜、ぅおあ〜(泣)!」
「ニャァ〜、ニャァ〜、ゥニャア〜!」
「ゲ、ゲンちゃん!?お行儀良くしよっ!?」
お行儀良くったってね。タンコブが痛いんだからしょうがないでしょうに。
うん?
あ、そうか!
「要するに、痛みがなくなればいいんだね」
僕はツカツカと坊やの前に行き、心豊かに聖ザビエルのご加護を頼んだ。
「天にまします我らがミアモール。願わくば情熱の口づけを受け取りたまえ。この憐れな仔羊に痺れるような刺激たっぷりの熱い抱擁が在らせられんことを。テアーモ、テアーモ、激愛、降臨!」
キラキラとした淡い光が、ヒポポタマス・ニニョスを包み込んだ。
すると、見る見るうちに腫れが引いて、綺麗にタンコブがなくなった。
ピタっと泣き止んだ、ヒポポタマス・ニニョス。
僕を見て、ニコッと、その愛くるしい天使のような微笑みを見せた、のだろう、きっと。僕にはカバはカバにしか見えない。
「あお!あお!あおいあ!」
ヒポポタマス・パドレはペコリと頭を下げた。よほど嬉しかったのか、何度も何度もお辞儀をする。マドレも子供を抱いたまま、ペコペコと頭を下げた。
「ごめんなさい。あたし、子供を巻き込むつもりはなかったの」
鉄子がしょんぼりして謝る。
「あう!あう!」
パドレが、いいんだ、いいんだ、というように首を左右に振って、僕の肩をポンポンとやった。
君、力強い。それポンポンじゃなくて、バシバシ。僕、肩痛い。
「何はともあれ、無事に治って良かったよ」
僕たちが感動していると、目付きの陰険な男が近付いてきた。
「おうおう。良かったなぁ、ヒポさんよぉ」
な、何?馴れ馴れしい。嫌な予感!
「まったく、親の不注意で子供が怪訝してちゃ、笑い話にもならないぜ。天井からフライパンが落ちてきたんだ、下手したら後遺症が残るところだったぞ。気を付けなよ」
ポン、ポン、と、ヒポポタマス・マドレの肩を叩くネズミ君。出っ歯がひゅーっと伸びている。良からぬことを考えているときの顔だ。
「おあう〜。ういっ、ういっ」
なんだか済まなさそうに、肩をすくめるマドレ。子供を危険に晒して、一番傷付いているのは彼女なのだろう。
「もうちょっとでこのかわいい坊ちゃんの顔に傷が付くところだったぜ。いや、そうなりゃ世界中が涙にくれるところだった。エジプトのピラミッドが噴火する以上の世界的損失だ。こんなに将来有望な顔は見たことない」
な、なんだ、この人?何を言ってるんだ?
でも、息子を褒められて、ヒポポタマスたちはまんざらでもなさそうである。
「いや、俺はこう見えてもね、人相学の大家に学んだことがあるんだよ。この顔はスターの相だね。俳優になればハリウッドで主演、野球をやればメジャーリーガー、ふんどし締めれば横綱間違いなしだ」
何を言っているのかまるで不明だが、パドレとマドレは、ほおお、と話に食いついてきた。
「その世紀の才能が危うく台無しになるところだったんだぜ。オタクら、ツイてるなぁ〜。偶々この勇者が回復魔法を使える奴じゃなかったら、どうなっていたことか!」
「あう!あう!」
またパドレは僕にお辞儀をして、今度は両手でガッシリと握手をして、ブンブンと上下に振った。痛い、痛い!君、力強い!
「おお、待て待て待て。別に俺たちゃ、感謝を求めているわけじゃないんだよ。勇者だってお礼が欲しくてやったわけじゃないんだ。困ったときはお互い様だからよ。別に、何か欲しいわけじゃない。ん〜、でも、なんだ、オタクらが、なんつうか、そのぉ、心付けっつうか、そのぉ、お世話になった人になんらかの、そのぉ、いや、ねだってるわけじゃないんだけどよ。形にしたいっていうなら、別にこっちは困らないっていうか」
まわりくどいなぁ〜。要するに宝箱をくれって言ってるわけね。ヒポポタマスもお互い顔を見合わせて、何かと思案げな様子だし。
「やめときなさいよ、いやらしい」
鉄子がネズミ君の首根っこを引っ掴む。
「なんだよ。せっかく命を懸けて戦ったんだからよ」
「そういうんじゃないのよ。あたしは名誉にかけて戦ったのよ」
戦士と盗賊がゴタゴタやっていると、何を求められているのか理解したのか、ヒポポタマス・パドレが戸棚の方に行って、引き出しをゴソゴソやり始めた。
「ほら、離せよ。先方さんは快くお礼がしたいってよ」
へへへ、とネズミ君は歯を伸ばした。いや〜、この人、絶対悪者キャラだ。
「な、坊ちゃん。痛いの治って良かったでちゅねぇ〜」
猫撫で声で、ヒポポタマス・ニニョスの頭をポンポンとやる。すると、ニニョスが口を開けてガブッと噛みついた。
「あ、あぎゃ、ぎゃぎゃ、あぎゃぎゃあ〜〜〜!!!」
ネズミ取りよろしく、彼の手は、坊やの顎に挟まれたのであった。