待つのは男で、ドアノブは回る
「モンスター長屋?」
ここは私立ファンタジア学園裏庭、ダンジョン入り口である。
学園の授業は基本的には午前中だけで、午後からは課外活動、つまりダンジョンに潜って腕を磨いたり、異世界に行ったりする時間だ。
僕らのパーティは、午後2時にダンジョン入り口に集合することにしてある。
「ああ。さっき入っていったパーティに聞いたんだけど、南西エリアの、俺たちがまだ行ってないところな。そこにモンスター長屋ってのがあるらしい」
僕はいつも2時きっかりに着くのだが、せっかちなネズミ君は必ずその前にいる。彼曰く、異世界時間というのがあるそうで、午後2時は午後1時のことだそうだ。
「俺たちまだあんまり戦闘を経験してないだろ。だから腕を磨くのに丁度いいんじゃないかと思ってな」
戦闘の経験を積もうと言っている当の本人は、決して戦闘に参加しようとはせず、いつも安全な場所から照明を照らすだけなのであるが。
「それに10個部屋があるってことは、宝箱も10個だろ」
そういうことか。僕らがダンジョンに潜る目的は異世界に行くためであって、お宝探しではないのであるが、この盗賊は目的が捻じ曲がっているんじゃないかと思うことがある。
とはいえ、学園生活にも先立つ物が必要だ。学園の学費は無料だが、生活費はかかる。食事は購買部でパンを買ったり、ノブさんの酒場という大層な名前の学食で済ませなくてはいけない。
どちらも学生のお財布に優しい良心的な価格で、ネズミ君や妙子にとってはなんでもないことなのであるが、僕と鉄子は少々財政状況が厳しい。
ゴールド小僧というレアモンスターが落としていったコインをいくらか拾ったけど、それだっていつまでもあるわけではない。
日本円の持ち合わせの少ない生徒は、ダンジョンの宝箱からお金をゲットするしかない。
そうやって得られるお金は、異世界ゴールドといって、異世界においては本物の金だけど、現実世界では全く価値のない、言ってみればゲームセンターのメダルのようなものだ。
学園内であれば、1異世界ゴールドは千円として使える。お釣りが出た場合は日本円で貰えるけど、異世界ゴールドと円の相互の換金はできない。
武器などは異世界ゴールドじゃないと買えないようになっていて、異世界のものが現実世界に出て行かないような仕組みになっている。
その異世界ゴールドを集めるには、ダンジョンでモンスターを倒して宝箱をゲットするしかない。
だからネズミ君は本能的な欲望から宝箱を欲しているのではあるけれど、それは僕や鉄子の生存に直結していることでもあるのだ。
「いいんじゃないの。マップも完成に近付くし」
僕らはまだ地下一階の一部を探索しただけである。既に地下二階へと降りる階段は発見しているのであるが、先に一階のマップを完成させようという計画である。
「場所は商店から行けばすぐだからよ。にしても、おっせえなぁ」
「お待たせ〜」
噂をすればなんとやらであるが、いつものように女子二人が遅れてやってきた。と言っても、ほんのちょっとであるが。
「なにしてたんだよ!」
「女の子には色々と支度があるのよ」
ゲンちゃんもいて、荷物も多い妙子はわかるが、鉄子にはどんな支度があるのだろう。荷物は武器の竹竿しか持ってなさそうなんだけど。まさかセーラー服の下に鎖帷子でも着ているのではなかろうな。
思わずセーラー服の下を想像してしまって、いかんいかんと、妄想を振り切る。女子は支度が多いのだ。それだけだ。詮索は無用である。待ち合わせというのは、何時の待ち合わせであっても、そこに待ち合わせと名が付く限り、男子の方にのみ必然的に待ち時間が生じるものなのだ。
そんな女子二人に、ネズミ君が今日の計画を説明する。
「いいじゃない。モンスター長屋ね。なんか、虎の穴って感じでウズウズするわ」
と、予想通りの答えが鉄子から返ってくる。
「わ、私は、どこからでもいいですぅ」
これまた予想通りの答えが妙子から出る。
「ミャ〜ン」
これは言わずもがなだ。
「良し、決まりだな!んじゃ、早速入ろうぜ」
ダンジョンに降りる階段を降りて、ネズミ君がランプに火を灯す。装備は、僕と鉄子は武器のみ、妙子は何が入っているのか分からないモノグラムのトートバック。ダンジョンに相応しい格好をしているのは、リュックを背負っているネズミ君だけだ。
ランプが照らしてくれるのは、せいぜい1ブロック。心許ない明かりだが、暗闇の中では命綱である。
ランプを持ったネズミ君が先頭、その次が僕、その後ろがマッパーの妙子、しんがりを鉄子が務め、ゲンちゃんはチャッチャと足音を響かせてその辺を付いてくる。これがいつもの行軍隊列だ。
ダンジョン入り口は南辺のど真ん中にある。数ブロック北に歩いて、すぐに突き当たり。ここは東西と北に扉が付いている。北の扉を開けて一本道をしばらく進み、一つ東に横移動すれば、ダンジョン内にあるスーパーマーケット、ちんぶり商店ダンジョン支店の南東の入り口に着く。
中は魔法で明るく、心をなくした河童が、僕らの存在など気付かないかのように、淡々と人面魚を油で揚げている。
店内を通り、南西の出口から出て、すぐそこにある扉をまた開ける。ここから先が、モンスター長屋と呼ばれるエリアだ。
ピリッとした空気が走る。ここから先には確実にモンスターがいるのだ。
道は1ブロック南に下ると、西に曲がっていた。最初の3ブロックはそのままだったが、次のブロックには、南北に扉が付いていた。少し進んで、次のブロックも確認する。やはり同じように扉があった。扉のないところまで下がって、息を整えた。
「ここがモンスター長屋だな。勇者、どうする?」
ネズミ君が声を潜めて僕に聞いてきた。彼は自分で決めれるときは独断で決めてしまうのだが、判断に迷うときだけ僕に丸投げしてくる。つまりはこの質問に対する回答には、重い責任が伴うのだ。
僕は妙子のマップを見せてもらった。まだマップが未完成のところは、西に6ブロック。部屋が10部屋なら、おそらくこの先5ブロック続いて南北に扉があるのだろう。
「入り口に一番近いところから」
手前の、北側を選んだ。闇雲に言っているわけではない。逃げるときのことも考えてのことだ。10部屋全ての部屋にモンスターがいるとして、もしもモンスターが一度に出てきたりしようものなら、奥にいたのでは逃げ場がなくなってしまう。地下一階のモンスターはそんなに強敵ではないとはいえ、一度に複数相手にするのは危険極まりない。
「良し、決まりな。いいか、お前ら」
「ふふ。腕が鳴るわね」
「ゲ、ゲンちゃん、おいで」
「ミャン!」
鉄子が武者震いをする。妙子はマッピング用ノートをトートバックにしまい、ゲンちゃんを抱き上げた。そしてネズミ君は、ランプを掲げてサササッと後ろに下がった。
「な、なんだよ、その目は」
ま、いつものことだけど。
「ランプ持ってんの、俺だけなんだからしょうがないら」
「ちゃんと中まで入ってきてくれないと、あたしらだって見えないんだからね」
扉を開けるのは僕の役目。危険な役は僕に回ってくる、のか?
初めて玄室に侵入したとき、ネズミ君は扉を蹴破れと言ったけど、ダンジョンの扉は手前に開く扉が多くて、とても向こうに蹴破ることは出来ない。ここも例によって例の如く、こちらに引かなくてはいけない。
勇者科の初期装備である、ナマケモノの剣をよっこらしょと構えて、ドアノブを握る。この剣はその名の通り、刃が付いていない。剣の格好をしているだけだ。それに重い割に片手でしか持てないから、肩を痛めがちである。
鉄子も竹竿を構えて、いつでも踊り込める態勢を整える。よし。準備はバッチリ。
「行くよ!」
僕は小さく気合いを入れると、ガチャリとドアノブを回した。