自転車は走らず、金は逃げる
スポーツジム?って、あの、走りたければその辺の河川敷を走ればいいのに、わざわざお金を払って走りに行くやつか。
何でダンジョンにあるんだ?
「ほーぅ。結構いいマシン揃ってんな」
ウチの照明係は、部屋の全貌を明らかにするという仕事そっちのけで、手近なマシンに飛び付いた。結構広そうな部屋なのだが。
「このバイセップスマシン、限界までストレッチしたときにレジスタンスがかからないように作られてる。これならインジュリーのリスクが減らせるな」
ヒョロヒョロのネズミ君が筋トレに興味があるとは思わなかったが、彼は触手触手したマシンを操り、カタカナばかりで喋り始めた。
この鉄骨に囲まれた大袈裟な玉座のような椅子は、力こぶを作るためだけに作られているらしい。なんという非効率的なプロダクトだろう。まるで身長190センチ体重120キロのマッチョが、僕の特技は高速で納豆をかき混ぜることだけです、と言っているかのようだ。
「ここに置いてあるの全部マシンみたいね。あたしこういうのもいいんだけど、バーベルのバーがたわむような経験がしてみたいのよね」
我がパーティの筋肉系女子が求めるものとは少し違っていたようである。百万トンのバーベルを独り占めするような経験は、どこに行ったら出来るのだろう?
「このエアロバイク、音が静かですね」
妙子は筋トレなんかに興味がないかと思っていたが、彼女のような若い女性にとっては、筋トレ=ダイエットのようである。太めの自転車にまたがってキコキコとやっていた。
僕には、どうして走らない自転車に需要があるのかわからない。だったら飛ばない飛行機や浮かばない船があったって良さそうなものだ。
しかし、ここにスポーツジムがあるということは、モンスターたちは日夜体を鍛えて、打倒僕たちに燃えているのだろうか?季節が進むにつれて、モンスターが強くなっていったらどうしよう。
「この部屋には燭台がないな。となると、ここを使えるのは魔法で明かりをつけられる先生たちか?」
すぐに力こぶを鍛えるのに飽きたネズミ君が、ガチャガチャといろんなマシンを試していた。マタドール先生だったらここでオレオレやっていてもおかしくはない。
「ねえ、ネズミ君。この棺桶みたいなのはなんなの?」
部屋の奥には、プラスティック製の巨大な棺桶のようなものが横たわっていた。どれどれと、ネズミ君がランプを近付ける。
その脇には、木製の大工道具入れみたいな長方形の木箱。その上に、誰かが脱いだと思われる着物と手拭いが重ねられてあった。箱は長さ40cm×幅20cmぐらいで、高さも幅と同じか少し短いぐらい。着物は着物というより、甚平のようだ。
「これ、日焼けマシーンだな」
日焼けマシーンって、あれか。その辺をほっつき歩いていれば勝手に日焼け出来るというのに、わざわざお金を払って肌にダメージを与えるというアレか。
「やばいな。これ使用中だぜ」
と、ネズミ君の表情が曇った。
使用中?ってことは、中に誰か入っているということか?ということは、この傍らに置いてある着物は、この中にいる人のものってこと?
「だ、誰だろう」
トイレのときは独出君だったけど、彼が日焼けマシーンを使うとは考えにくい。
「分かんねえ。そういや、モンスターだったら暗闇でも目が効く奴がいたな」
ということは、今この中に入っているのは。
ウイィィィン、と音がして、ドアが開いていった。青いような紫のような、淡い光がドアの隙間から漏れ出してくる。
おわわわわっと、危機管理能力が野生動物並のネズミ君がなるべく遠くに後退りした。僕たちもそれぞれ近くにあったトレーニングマシンの陰に隠れる。
全開になった日焼けマシーンから出てきたのは、子供だった。いや、小人か?身長は僕のお臍ぐらいだろうか?吊り気味の大きな目に、極端に低い鼻。耳も大きくて先が尖っている。どことなく宇宙人を思わせる顔立ちだ。長い髪をオールバックにして後ろで束ねてあった。
全身が真っ黒に見えるが、これはダンジョンにいるせいか、それとも日焼けしたせいなのか。筋肉質の裸に白っぽいふんどしのようなものを身に付けているだけだ。子供にしてはゴツゴツし過ぎている。
そいつは眩しそうにこちらを見ると、僕らの姿を認めてペコリと頭を下げた。思わずこちらも会釈をしてしまう。
「お待たせして申しわけありませんでした」
へ?急に変声期の男の子のような声が聞こえたものだから、何が起きたのかすぐには分からなかった。それがたった今、日焼けマシーンから出てきた人物から発せられたものだと気付くのに時間がかかってしまった。
その間にそいつは着物を羽織り、手拭いを頰っ被りした。下半身はふんどしのみで、足は裸足だ。そうして大工道具箱のような箱を、よっこらせと肩に担ぐと、僕の方に向き直った。
「それでは、ご利用ください」
そう言って、チャリン、チャリンという音を響かせながら、出口に駆けていった。
あ、いや、僕らは日焼けマシーンが使いたくて順番を待っていたのではなくて。
そのとき、ネズミ君のけたたましい叫びが耳の奥まで届いた。
「あーー!!そいつ、ゴールド小僧だー!!」
日焼けマシーンから出てきた奴は、出口の手前で一瞬ビクッとしてこちらを振り返ったが、こりゃいかんとばかりに慌てて部屋から逃げ出した。
「待てぇー!!」
遅れじとネズミ君も後を追う。
ゴールド小僧?って、あの、板東組代さんたちが出会ったという、お金を沢山持っているっていうモンスターか。
「ま、待ってネズミ君!」
考えている暇はない。僕も飛び出していったネズミ君を追わなければ。ランプを持っているのは彼だ。こんな暗闇の中に取り残されるわけにはいかない。誰もいないはずのスポーツジムからガッチャンガッチャンやる音が聞こえてきたなんていう怪談は、どこにでもありそうだ。
「ま、待ってくださいですぅ!ゲンちゃん、行くよ!」
「ミャ〜ン」
荷物の多い妙子が遅れた。僕はネズミ君を追いかけるのを少し躊躇する。妙子が追い付き、ランプの明かりは猛スピードで通路を遠ざかっていく。
「勇者さん、あたし先に行ってる!」
鉄子が猛然と飛び出していった。明かりが数ブロック先で左に曲がるのが見えた。
「オオリャアァ!待てコノヤロー!」
馬鹿声を壁に響かせて鉄子も左へ。その声を頼りに何とか位置は把握できるだろうか?
「妙子さん、こっちだ!」
ようやく僕らも二人が曲がった辺りへ。もう50mぐらいは走ったか?妙子の荒い息遣いがすぐそばで鳴った。「うらあ!待て盗っ人ネズミ〜ッ!」という鉄子の声が遠去かっていく。声の感じからして、道は真っ直ぐだろうか?
ランプが残した微かな光も消え、妙子の豆電球だけになった。チャッチャという爪が床を削る音で、ゲンちゃんがちゃんと付いてきていることがわかった。