嘘は美しく、笑顔は気持ち悪い
学園の裏庭にある、ダンジョンの入り口では、「遅えよ」と、見事に予想通りというか、期待通りの反応をしてくれたネズミ君が待っていた。
このベタさ加減が彼の魅力かもしれない。実に、マンネリは偉大なり。
「14時ぴったりじゃないのよぉ」
「異世界時間ってのがあんだよ。14時ってのは13時ってことだ」
ブーたれる鉄子に屁理屈で返すネズミ君である。これも予想通りで、なんだかホッとする。出会ってからそんなに時間は経ってないけど、僕はこのパーティに居心地の良さを感じ始めていた。
シュボッと、ネズミ君がライターを使ってランプに火を入れる。黴臭いダンジョンの空気が燃えるにおいがして、ボンヤリとしたオレンジの光が闇を照らした。その光の向こう側は、真っ黒というよりも、黒の下に濃紺や深緑が潜んでいる。まるで閉じた心の中に、救いを希求する声が潜んでいるかのようだ。
いつものように、リュックを背負ったネズミ君が先頭。次にナマケモノの剣を腰に差した僕、モノグラムのトートバッグを肩に掛けたマッパーの妙子と続いて、しんがりが竹竿を肩に担いだ鉄子という隊列を作って進む。その足元で、ゲンちゃんのチャッチャという足音が石床を削っていく。
真っ直ぐ北に進み、三枚の扉の分岐点で西を選択する。ジグザグ回廊をジグザグしてから、ゾンビの部屋の前で小休止である。
「くっさ〜い」
あからさまに鉄子が嫌そうな顔をした。毎度のことながら、思春期の少女にくさがられるゾンビが哀れに思えてくる。
僕も将来、結婚して娘を持ったら他人事ではない。
「出来るならこの部屋を通るのは最後にしたいよな」
とか言いながら、ネズミ君がリュックの中をガサゴソやっている。
ゾンビの部屋は通路兼用になっているため、僕らが今攻略しようとしている南西のエリアを探索するためには、どうしても通過する必要があった。
そのことは僕らにとってもゾンビにとっても、非常に迷惑なことであるのだが、やはりここのダンジョンの設計者は意地が悪いのだろう。人にもモンスターにも優しくない。
もっとも、ゾンビはオトモダチ・モンスターであるため、うまくすれば戦わずに済むのだが、僕らは初対面で最悪の印象を残してしまっている。
人とうまくやるのも難しいが、モンスターとうまくやるのも難しいものだ。
「よし、お前ら、これに乗って行くぞ」
と、ガサゴソやっていたネズミ君が取り出したのは、乗り物ではなく、人数分×2の、雑巾だった。
「いちいち靴を脱いでたら面倒臭いだろ。雑巾に乗っていけば、床も汚さないし、かえって掃除してるように見えるしな」
靴のまま雑巾に乗り、ズリズリとすり足で進もうという作戦だ。店で売っているような雑巾ではなく、使い古されたタオルをミシンで縫って雑巾にしてある。まさか彼が週末に自分で拵えていたのではあるまいな。
「本当にこんなのでうまくいくかな?」
「小学生男子の発想よね」
「だったらお前らは何かあんのかよ」
「ノープランだけどさ」
「つべこべ言ってないで、さあ、乗った、乗った。妙子、その短足猫落とすなよ」
「だ、大丈夫ですよぉ!」
慌ててマッピングノートをバッグにしまい、ゲンちゃんを抱き抱えた妙子。ゾンビとのこれまでの二度の邂逅は、二度とも我がパーティの幻獣がぶち壊しにしている。
ん?はて?なんか違和感あるけど。
「どうした勇者。行くぞ」
「あ、うん」
ネズミ君を見ると、ランプを持ったまま動かない。あ、そう。僕が先頭で入れってことね。はいはい。
「お邪魔しま〜す」
おずおずとドアを開けてみると、中が明るい。燭台に火が灯されている。
「うわ、綺麗」
と、思わず声が漏れてしまった。それもそのはず、休日にメンテナンスを終えた室内は、見違える程に綺麗になっていた。
元々この部屋の住人が綺麗好きなお陰で、ゾンビの一人暮らしの割には清潔に保たれていたのだが、先週の五日目にどこかの乱暴なパーティがグチャグチャに部屋を荒らしていったせいで、家具という家具が壊滅的な被害を被ってしまった。それが何事もなかったかのように元に戻され、それどころか、タンスも戸棚も全て新しいものに変わっていた。
驚いたのが、新たに二段ベッドが入っていたことである。ゾンビ御自慢のアイランドキッチンも、総ステンレス製に変わっていた。これなら傷付かないし、汚れも拭きやすい。
ダイニングテーブルも椅子が六つ付いた新しいものに変わっており、テーブルの上には見たこともない奇妙な花がガラスの花瓶に活けてあった。
見事なリノベーションによって、思わず友達を呼びたくなるような、そんなリビングに変貌していた。
僕らが入っていくと、驚いたことに動く死体の部屋に客人が招かれていた。客人は入り口に対して背を向けていたが、僕らはその背中に見覚えがあった。
「おい、ガーゴイルいるじゃんかよ」
雑巾をズリズリさせながら、ネズミ君が僕の耳元でヒソヒソと囁く。リフォーム祝いに招かれているのは、あろうことか、あの紅茶の好きなガーゴイルだった。
「しーっ!刺激しないようにそーっと進もう。とにかく笑顔、笑顔」
ゾンビにしろガーゴイルにしろ、僕らを恨むだけの十分な理由はある。連携して襲ってこられたら、たまったものではない。
みんなで気持ちの悪い作り笑顔を見せながら、不恰好にズリズリと歩いていく。普通に考えれば笑える状況ではないのだが、人間とは笑いたくなくても笑える生き物なのだ。モンスターと違って。笑顔がこの世で最も美しいものであるならば、嘘つきとは最上の美徳だ。
モンスターたちは新しいダイニングテーブルを挟んで、新しいティーセットで午後の紅茶を楽しんでいる最中だった。
ゾンビが上機嫌で盛んに身振り手振りをしながら、何やらゴガゴガと、母音と子音を合わせても三つの音しかない経済的な言語で熱弁を奮っている。
チラッとゾンビと目が合い、軽く会釈を交わす。ゾンビは客人との会話に忙しくて、僕たちを構っていられないようであった。
しめしめ。そのまま会話に夢中になっていてくれ。決して客人を飽きさせないように。もし会話に飽きて客人がこちらに注意を向けてしまうようなことがあれば、彼(彼女?)は、復讐の鬼と化すだろうから。これ以上怪物を作ってどうするのだ?
問題は、ガーゴイルの隣をパスした後である。どうしたってガーゴイルの視界に入らざるを得ない。なるべく顔を壁に向けて、急ぎ足で通り抜ける。
どうかあいつが僕らだって気付きませんように。もし顔が合ってしまったら、笑顔、笑顔。笑顔でごまかす。世界で一番、これ以上ないくらいの、とびっきりの笑顔。えへへ、えへへ〜。
表情筋を思い切り引き攣らせているうちに、なんとか出口に着いた。無事全員が通過して、バタン!と扉を閉めたときには、みんな一斉にフーッと大きな息を吐き出した。
あー、緊張した。
「おい、勇者」
「何?」
「いつまで笑ってんだよ、気持ち悪いな」
緊張し過ぎて表情筋が戻らなくなっていた。笑顔は気持ち悪い。それが今日、僕が学習したことだ。